1946年、ブラジル。第二次世界大戦が終結した翌年になっても、日系移民の大半は日本が戦争に勝ったと信じ切っていた。当時、ブラジルと日本の国交は断絶していたのだ。そんな中、情報を入手することのできた一部の日系人は日本が負けたことを知っていた。勝ったことを信じる「勝ち組」と、負けたと知る少数の「負け組」との間で死傷者も出る抗争があったことは、これまでほとんど語られることがなかった。タブーともいえる事実をブラジル人であるヴィセンテ・アモリン監督がフェルナンド・モライスの原作をもとに、日本の著名な俳優たちを起用して映画化。ブラジルに先立ち、7月21日より日本での公開がスタートした。
作品紹介→ http://www.cinemajournal.net/review/index.html#kegaretakokoro
公開を前に来日した監督にインタビューの機会をいただきました。お会いする2日前の6月12日、NHK BS1で放映された「エルムンド」に出演された監督のトークを拝見。辛く重い映画の内容と対照的に、いたって陽気な監督。「ナイスガイの監督にお会いできるのを楽しみにしていました」と挨拶すると、「あの日は着いたばかりで時差ボケはしているし、ひどい顔をしていました。今日は大丈夫です!」と照れる監督。「いえいえ、テレビで観た時差ボケの監督も充分素敵でした」と、すっかり監督のファンになってしまった私。「エルムンド」で語られていたことを踏まえて、お話を伺いました。
父が外交官で欧米諸国を転々とした少年時代を過ごしたことから、アイデンティティーを巡って引き起こされる悲劇に大きな関心を寄せるようになりました。前作『善き人』に続いて自分のパーソナルな歴史も含めてアイデンティティーをテーマにしたいと思って模索する中で『汚れた心』の原作に出合いました。1946年のブラジル日系人社会を舞台にしたフィクション。人々が忘れてしまった戦争の傷を描いたもの。そこにアイデンティティーというテーマを見出しました。長い間、日系人の中でもタブーだった抗争の事実。日本人どうしが殺し合ったことは、ほとんど日本で知られていない過去。博物館で見るような資料としてではなく、リアリティそのものを打ち出したいと思いました。日系人どうしの関係のほか、日系人とブラジル政府の関係も描く必要がありました。ブラジルでナショナリズムが一番強かった時代で、日本人だけでなく、憲法で移民が制限されたり外国の本や物が規制されたりした時代。そういう時代を伝えたいと思いました。
父が外交官で自身は1966 年ウィーン生まれ。ロンドン、オランダ、ワシントンなど様々な国で育ちました。ブラジルに戻っても、訛りのあるブラジル語。4年ごとに違う国に移りましたが、自分がブラジル人であることは事実。ルーツはどこにあるのかをいつも考えていました。ブラジル人でありながらアメリカ国歌を歌ったりして、ブラジル人であると同時にほかの文化も取り入れて、自分は何者?と。世界市民という感覚があるかもしれません。
― 私の母方の祖父は1930年代に外国航路の船長をしていて、ブラジルに移民する人たちを運んだこともあるようです。我が家に青と黒の蝶々の羽で描いたリオデジャネイロの風景画があって、小さい頃からそれを眺めて育ちました。
監督:あ~有名な蝶の絵ですね。
― 私の生まれ故郷の神戸に、かつて移民した人々が出発前に過ごした「国立神戸移民収容所(神戸移住センター)」があって、現在「海外移住と文化の交流センター」という博物館になっています。そこを訪ねた時、移民した人たちの故郷を後にする複雑な思いを感じました。後から移民した人が先に移民していた人にだまされたという話は、その博物館で知りました。ですが、戦争が終わった後に、ブラジルで「勝ち組」と「負け組」の抗争があったことは映画を観て初めて知りました。しかも、映画が戦争の終った翌年の1946年が舞台であることに驚きました。
監督:対立関係は1年以上どころか、もっと続きました。本作は事実を元にして、1946年を舞台にしています。 実際、「勝ち組」と「負け組」の抗争は1947年くらいまで続きました。傷は今でも癒えてないといえます。この事実が一般に知られなかったのは、怒りや恥の気持ちがあって、新しい世代の人たちや一般の人に知られたくないという思いがあったからだと思います。「恥ずかしい」(この言葉だけ日本語で)ということが一番大きな要素だと思います。公にしたくない人たちの気持ちも理解できます。でも、そこから学ぶために、歴史は公に知らせないといけないし、表に出さないと傷が癒えることもないと思います。精神療法のようなもので、話して入り込むことで癒されると思います。
― 日本が負けたことを知った人たちは、言葉が出来たり、短波放送を聴くことが出来た、いわゆるインテリ層で、ブラジルでの生活面では勝ち組だと思うのですが、実際どうだったのでしょうか?
監督:負けたことを受け入れた人たちの多くは、すでにブラジルの生活に適応出来始めていた人たち、ブラジルに残ることを心に決めた人たちです。よりポルトガル語が出来た人たち。ですが、そのように適応力のあった人たちでさえも、ブラジル政府や支配者層に抑圧されていました。今ではブラジルはオープンな社会になりました。そこに至るまで閉鎖的で封建的で後進的な社会でした。ようやく進化しました。
― アシスタントディレクターの女性は日系3世の方とのことですが、彼女のおじいさんはどちらの立場だったのでしょうか?
監督:負けたことを信じた負け組の方です。菅田俊さんが演じたササキという人物に反映されています。キャラクターはフィクションですが。
― 勝ち組サイドで加害者だった方やその子孫の方は口を開いてくれたのでしょうか?
監督:加害者もしくはその子孫の方にも脚本家が会いに行って、話を聞いています。特攻隊員で当時、負け組を殺した方にも会っています。「後悔はしている。でも、やらなければいけない時には、またやる」とおっしゃていたそうです。その方は、7~8年前に亡くなられたので私はお会いしていないのですが、勝ち組側にいて、人を殺したことのない人には私自身も会っています。今でも勝ち組サイドの人は多くて、「日本が勝っていてほしかった」という気持ちです。80%の日系人は勝ったことを信じていましたので、今でも繊細な問題として残っています。私もできるだけデリケートに扱うことに気を遣いました。真実に基づいて扱う必要もありました。センセーショナルな形で打ち出したら、彼らに敬意を表していない映画になってしまったと思います。
― 原作はすでにベストセラーですが、勝ち組の側の人から何か妨害するような行動はありましたか?
監督:私たちはまだ調査を続けているのですが、実際、勝ち組側の人に会いたいと思っても、なかなか許可が出なくて会えない状態がありました。日系コミュニティの中で映画の視点が定かでないとして、良い認識がありませんでした。それが変化した大きな要因は、コミュニティの重要なリーダーたちが説得してくれたことでした。非常に微妙な問題ですが、それは今でも世界の各地で起こっていることだと思います。精神療法が大事だと思います。トラウマを乗り越えずにタブーにしてしまうと、よりトラウマが増大してしまいます。亡霊のように一生さいなまされてしまうことになると思います。
― キャスティングについてお伺いします。常磐貴子さんと菅田俊さんはイラン人のアミール・ナデリ監督が日本で撮った『CUT』に出演しています。撮影は『CUT』の後でしょうか?
監督:『CUT』はまだ観ていないのですが、撮ったのはこちらが先だと思います。2年前に撮影したのですが、キャスティングをスタートしたのは3年前です。
― キャスティングの経緯は?
監督:それにはとても長いプロセスがありました。日本の役者全体を知りたいと思いました。人が示してくれた候補者だけでは満足できなくて、いろんな日本映画を観ました。日本以外で公開されてないものが大半でした。橘豊(たちばなゆたか)さんがキャスティングの手助けをしてくれました。オーディションはブラジルにテープやDVDを送ってもらって、候補として選んだ人たちにスカイプでインタビューして行いました。漠然と候補の方を決めていたのですが、話すことによって、この役柄にこの俳優と確信しました。最低限、才能のある役者を選ばなければならない。しかも知名度のある人をという視点で選びました。
― 常磐貴子さんを選んだポイントは?
監督:常磐貴子さんだけでなく、ほかの皆さんも同じなのですが、テープを見せてもらった時に、役柄を理解してくれていると感じました。皆さん脚本を読み込んでいて、私が想像していたより多くのものを見せてくれるという印象を受けました。常盤貴子さんの印象は、もちろん素晴らしいのですが、どこかミステリアスで非現実的で、この世のものでない魅力。でも地に足がついていると感じました。彼女の役には台詞がありません。体験する感情をきちんと表現できる人でないといけないし、観客が彼女の目線で物語を追っていけるように表現できる人である必要がありました。
― 日本の役者さんたちの演技については、彼ら本人の判断にかなりの部分ゆだねたのでしょうか? 監督からどのような注文をつけたのでしょうか?
監督:判断にゆだねた部分と、注文をつけた部分の両方ありました。スカイプのインタビューやブラジルでのリハーサルの期間にもいろいろ話し合いました。脚本が要求していることも踏襲しなければいけないのですが、実際決まっていないことについては、いろいろやり方を試して、新しい方法を見つけていくこともしました。何がうまく機能して、何がうまく機能しないかを検証していきました。
― 言葉は通じないけれど、心で通じたという思いでしょうか?
監督:そうです! シーンに要求されるものが何なのか、お互いとてもよく理解できていました。セットに入った段階で何をすべきか、皆迷いがなかったと思います。
― リハーサルと撮影にどれくらいかけたのでしょうか?
監督:撮影全体で1か月半、日本からやってきた役者さんとは2~3週間で撮りました。日系の役者とは時間をかけなければいけなかったのですが、日本の役者さんとは時間を置かずにすぐ撮れる状態になったのは幸運でした。
― 日本の役者と仕事をしてみて気づいたことは?
監督:日本人の俳優の役に対して前向きであるという印象は裏切られず、再確認した思いです。才能があって、勤勉、正確で、この映画にしっかりと関わってくれました。映画は演劇やテレビドラマとは違います。彼らは皆、非常に映画的な役者でした。
― 日系人の出演者の方たちは、プロの役者の方たちでしょうか?
監督:ほとんどがほかの仕事もしている人たちです。日系人の役者にはあまり機会が与えられないのです。役者のみで生計を立てている人は少ない。私の映画で少し変わってくれるといいのですが。才能のある人たちですので。
― 次の作品もアイデンティティーをテーマにしているのですか?
監督:ブラジル内での家庭内暴力について作っています。夫から暴力を受け、立ち向かっている女性。裁判を起こし、彼女のお蔭で法律が変わりました。今回はアイデンティティーよりもジェンダーがテーマです。来年早い時期に撮り始めたいと思っています。プロデューサーが資金集めをしているところです。もう一つ、アイデンティティーを強く扱ったものを考えています。『Windows(窓)』というタイトルなのですが、チリのクーデターの時代を背景にしたもので、チリに住むブラジルの9~10歳の女の子がヒロインです。
(写真を撮っている間、そのチリでの物語について、通訳の方がいろいろ尋ねていました。いずれ、公表されるのを楽しみにしたいと思います。)
日系人や日本人にとっては、語ることの難しかったブラジルでの出来事を映画化したアモリン監督。お話を伺って、不寛容や人種差別などによって、今なお争いが絶えない世界に一石を投じた監督の気持ちをずっしり噛みしめたいと思いました。