2010年11月27日(土)スペースFS汐留
香港映画界が誇る伝説のスター、ブルース・リー。
彼のただひとりの師匠といわれているイップ・マンを描いた作品『イップ・マン 葉問』の公開を記念して、ブルース・リーの誕生日(生誕70歳)である11月27日にイベントが行われました。
彼の友人でもある日本のアクションスター倉田保昭さん、『燃えよドラゴン』を見て格闘技を始めたというK-1の尾崎圭司選手、『イップ・マン』の日本公開に尽力をつくされた染野企業電影工作室の染野行雄さんがトークに花を咲かせました。
倉田:最初にブルース・リーに会ったのは1970年頃にゴールデンハーベストのスタジオで、彼は白いチャイナ服を着ていました。日本の皆さんの彼のイメージは身長が180cmぐらいあって、シャープな感じでしょう?それが170cmなくてちょっと小柄なんです。握手したんですけどかっこよかったですねえ。今でも手を握ったときの握力みたいなものを感じます。
尾崎:僕は実際に会ったわけではないんですが、一番最初に見たのが『燃えよドラゴン』で、アクションが凄くて特に足技に魅了されました。そして「Don’t think, Free(考えるな、感じろ)」というセリフが深いなと思いましたね。
染野:ブルース・リーが香港の格闘技のチャンピオンから挑戦を受けて、ゴールデンハーベストのスタジオの裏の空き地で試合をしたときに、私もその現場にいました。それが最初の出会いです。試合は言うまでもなくブルース・リーが勝ちました。
倉田:あまり外をブラブラしないんです。なぜかというと、映画はチケットを買ってお客さんが劇場に足を運ぶもので、テレビとは違うから普段(街では)見れないイメージを作る。そういう映画俳優としての意識が非常に強かったですね。
倉田:ブルース・リーに会う時にヌンチャクを持って行ったんです。ヌンチャクは沖縄のもので中国にはないんですね。それでアクション監督にヌンチャクのやり方を教えていたら、ブルース・リーに「こういう(後ろにヌンチャクを回す)こともありだよね」みたいな話になって、その後、撮影で使うためにやわらかいものを作ったんです。プレゼントしたはいいけど、ブルース・リーがヌンチャクで「アチョー」ってやったあとに私は使えないんですよ(苦笑)。彼のまねをすることは当時タブーでしたからね。だからトンファーというものを使ったんですけど、地味で人気は出なかったですね。
倉田:ある時レストランで遭遇したときに、私たちの会計を払って先に帰ったりとか。そういうやさしいところがありましたね。
尾崎:僕は映画の中でしか知らないんですけど、アクションですね。足で踏みつけたりするシーンでも顔を作るんですよね。今でも真似をする人はいますが、それを超えることはできない。彼は僕の永遠のヒーローです。
染野:私が一番好きな彼の言葉は『パスタ』。「パワーがなければだめだ。スピードがなければだめだ。そして相手を倒すにはタイミングだ。」という三原則で、非常にやさしいながらも、武道家の精神をいつも持っている人だなと感心しました。
倉田:主役のドニー・イェンを若い頃から知っていたんですが、今ではスターになって、彼自身『イップ・マン』で人生が変わったっていってますね。
尾崎:ブルース・リーファンならまずは師匠から学べということで、映画も楽しめると思います。
染野:この映画を見たときに、ブルース・リーにこんなに素晴らしい先生がいたんだなと非常に感動しました。イップ・マンは、ブルース・リーに武術の真髄を教えた方なんです。
ブルース・リーのただひとりの師匠といわれているイップ・マン(葉問)の人生を描いた作品。
香港、中国で2010年4月に公開されて大ヒット。香港では4週連続興行収入第1位で、結果、2010年の年間第1位も獲得しました。
イップ・マンを演じるのは、この映画のヒットで一躍スターダムに躍り出たドニー・イェン(甄子丹)。ブルース・リーの映画にも出演していたサモ・ハン・キンポー(洪金寶)、中国の人気俳優ホァン・シャオミン(黄暁明)らが脇を固めています。
『イップ・マン 葉問』から遡ること約15年、激動の時代にも誇りを失わなかった武術の達人イップ・マンを描いた『イップ・マン』2部作の第1部『イップ・マン 序章』。
2009年のお正月映画として香港、中国で大ヒットし、香港アカデミー賞最優秀作品賞も受賞しました。
「『イップ・マン 序章』は、『イップ・マン 葉問』の観客動員が5千人を超えたら公開される」
とのことです。
ひとりでも多くの方に是非映画館に足を運んでいただき、『序章』の日本公開が実現するといいですね。