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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『エクレール・お菓子放浪記』
完成披露試写会報告

日時: 3月10日(木)      
場所:虎ノ門・ニッショーホール


戦災孤児になったアキオが、様々な人と出会いながら生き抜く姿を、甘くて人を幸せな気持ちにするお菓子を通して描いた物語。原作は西村滋さんの自伝的作品で、初版以来35年愛し続けられてきたロングセラー小説。原作の舞台は東北ではないのですが、縁あって宮城県の方たちに支援されて製作することになり、撮影も東北地方、特に宮城県を中心に行われました。
そして、この完成披露試写会の行われた翌日の3月11日に起きた大震災・・・。シネジャ創設者の一人、泉悦子さんが本作の脚本に携わり、メーキングも撮影したのですが、泉さんはフランス・ブルターニュ地方の中心都市レンヌ滞在中に地震のニュースを目にし、2ヶ月間ロケで町ぐるみでお世話になった石巻が大きな被害を受けたことを知り驚愕しています。この映画に納められた風景の中には、津波で流されてしまったところもあるそうです。大勢の人がこの映画を観ることによって、ささやかながら被災された皆様を元気づけてあげられればと願う次第です。

それでは、大震災が起こることなど予想もしていなかった春の訪れを感じる平穏な3月10日に行われた完成披露試写会の模様をどうぞ!


司会:襟川クロさん
登壇者(敬称略):吉井一肇(新人・12歳)、早織(22歳)、竹内都子(49歳)、尾藤イサオ(67歳)、林隆三(67歳)、いしだあゆみ(62歳)、西村滋 原作者(85歳)、近藤明男監督(63歳)


『エクレール・お菓子放浪記』
製作委員会代表 鳥居明夫氏

◎映画『エクレール・お菓子放浪記』製作委員会代表 鳥居明夫氏ご挨拶

上映に先立ちお礼を申し上げます。ここに至るまで3年。平坦な道ではございませんでした。たくさんの困難もありましたが、夢の実現に向けて、そっと押してくださったのは地域社会を担うたくさんの皆さんの手でした。作品は完成しましたが、これからの課題は全国の皆さんにどう発信していくかです。主要都市での劇場公開は決まっています。その他、劇場のないところでも15県での上映が決まっています。人の幸せを願って、国の未来を開く一歩となることを願いまして、挨拶を終えます。




◎製作に力を貸した後援団体からのご挨拶


全日本菓子協会会長 森永剛太氏

◆全日本菓子協会会長 森永剛太氏

この映画はお菓子の不思議な力を描いています。食べると美味しいし、夢があって楽しくなる。孤児になったアキオが、養子になった家族や旅芸人の一座と波乱万丈な戦後を生き抜き立ち直っていきます。今、グローバル化で厳しいけれどチャレンジャブルな時代。ストレスも溜まり、閉塞感も漂い、おぞましい事件も起きています。こういう時こそ、お菓子を食べて笑顔になって、人と人との繋がりが豊かになってほしい。より多くの人に観てほしいと思います。地域の有志の皆さんによって、草の根的に上映を広げようとの動きもあります。明るい楽しい時代になって欲しいという思いを込めて、上映の成功を祈念してご挨拶とさせていただきます。




全国保護司連盟会長 谷川和穂氏

◆全国保護司連盟 会長 谷川和穂氏

犯罪を起こした青年や、非行青年を保護することをボランティアで行っているのが保護司です。世の中で道に迷った人を手助けして復帰して貰う仕事。アメリカの弁護士から、「日本では悪いことをした人を自分の家に入れて食事をすることはあるか?」と聞かれ、「はい、あります」と答えると、非常にびっくりしていました。愛という字は、「心を受ける」ことを意味しています。悪いことをした人にも愛を注げば受け入れてくれる。どんな重い鉄の扉も小さなチョウツガイで動きます。人の心も小さなチョウツガイが動き出したら開きます。それが社会を動かします。この映画が日本全国をまわって多くの人に観て貰えることを願っています。




全日本更生保護女性連盟
会長 狩野安氏

◆全日本更生保護女性連盟 会長 狩野安氏

甘い心、人の心の絆を大切にしている会です。私は主役のアキオと同世代。原作を読んで、今日は映画を観て涙が出るのではと思っております。









◎製作関係者ご挨拶

後援団体の方たちのご挨拶が終わり、製作関係者の皆さんが続々と登壇。原作者の西村滋さんが舞台の端まで行ってしまい、近藤監督に呼び戻される一幕が微笑ましかったです。


原作者・西村滋さん、近藤明男監督、吉井一肇くん

◆原作者・西村滋氏

1925年生まれ、数えで86歳です。今日、3月10日は東京大空襲のあった日です。19歳の時に遭遇しまして、九死に一生を得ました。第二の誕生日だと持っています。その日に初めてこの映画を観ることになりました。


◆近藤明男監督

原作との出会いは、前作『ふみ子の海』を撮り終えて、色々お話が来たのですが、その中にこの物語がありました。すごいプロデューサーが東北にいて、素晴らしいキャストの皆さんとやった仕事ですので、大丈夫です!! 


◆吉井一肇

ミュージカルの経験はあったのですが、映画は初めてでした。撮影の間、一人で宮城県で生活して、孤児アキオの気持ちに近づこうと思いました。出来上がった映画を観たら、撮影した時と編集したお芝居が違っていて、どういう風に繋いだのかなと思いました。


撮影の間、一人暮らしを体験した吉井一肇くん

◆いしだあゆみ

元気のいい、お金大好き、お金命のおばあちゃん役です。
(司会の襟川さんから「いしださんも?」と聞かれ、「好きですよ」と答えるいしださん。)
どなってばかりいますが、私は昭和23年生まれで、アキオの歳の頃、周りにああいうおばあちゃんがいたような気がして懐かしい思いでした。生きるのが精一杯の時代でした。喧嘩の場面では思い切りアキオをなぐったりしました。楽しかったですよ。
(吉井くんより、「お芝居してる時には、本気で飛びかかってきなさいと言ってくれて、ほんとに喧嘩したような気分でした」と言われ、「だって喧嘩したんだもの」と答えるいしださんでした。)


本気で喧嘩したと語る養母役いしだあゆみさんと吉井一肇くん

◆早織

「お菓子と娘」という歌を教え、夢と希望を与える先生の役で、アキオくんにとってホッとする存在。お芝居していると優しい気持ちになりました。撮影はとても楽しかったです。戦時中の皆が苦しみを体験した時代のことは原作を読んで勉強しました。「お菓子と娘」という歌はCoccoさんがカバーしていたので、撮影中によく聴いていました。


早織(さおり)さん

◆尾藤イサオ

映画館の映写技師の役で、『ニュー・シネマパラダイス』じゃないかと。この映画は昭和18年から始まる物語。私の生まれた年と一緒です。御徒町生まれで、舞台となった谷中、上野に近いところ。フィルムを運んでいるのを見ていた時代です。フィルムが上映中に切れて、「バカヤロー」なんていうこともありました。子どもの頃を思い出して懐かしい思いでいっぱいでした。素晴らしい映画です。


尾藤イサオさん

◆竹内都子

吉井くんと自転車の2人乗りをする場面で、胸を触ってしまうシーンがあるんですけど、吉井くんが遠慮してるから「思いっ切り触っていいよ!」って、吉井くんの手を胸に持って行きました。(笑)


西村滋さん、竹内都子さん

◆林隆三

ロケ地の宮城県とは縁があって、昭和23年から6年間仙台で過ごしました。「みやぎ夢大使」として宮城県の応援を続けています。仙台にいた子供の頃は、進駐軍がたくさんいて、ガムやチョコレートをもらって親に怒られてました。仙台から東京に戻ってきて、初めて食べたお菓子が、映画の題名になっている「エクレール」だったので、とても感慨深いです。


(後列左から)近藤明男監督(前列左から)林隆三さん、吉井一肇くん

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原作者の西村さんが、少年の写真を手にしていましたが、それは、今は天国にいる不治の難病で17歳で亡くなった山田てつやさんの写真。小説「お菓子放浪記」が縁で知り合って、もう亡くなられて30年近くになるのに、いまだに忘れられず、いつも写真を連れ歩いているのだそうです。
「戦争中、お菓子のない厳しい時代。物がない時に夢がみられてうらやましいと、今の若い人たちに言われます。お菓子のない時代に生きたのもよかったなと思います。あることに慣れないで、あることに感謝して生きていってほしい」という原作者・西村さんからの言葉を最後に舞台挨拶は幕を閉じました。手を大きく振って退場する西村さんの姿が印象的でした。



★5月21日(土)よりテアトル新宿ほか全国順次ロードショー

公式サイト:http://www.eclair-okashi.com/

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(報告:景山咲子)
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