2005年、第6回東京フィルメックスで『サウンド・バリア』が特別招待作品として上映された折に来日したアミール・ナデリ監督と、審査員を務めた西島秀俊さんが運命的出会いを果たして出来上がった映画『CUT』。 撮影はすでに昨年終わっていましたが、「東京フィルメックスは私のホーム」と語るナデリ監督の希望で、お披露目は今年のフィルメックスまで待たされることになりました。
2009年の東京フィルメックスで、初日にナデリ監督の姿をお見かけして、思わず駆け寄って挨拶をしたら、隣で西島秀俊さんが微笑んでいらっしゃったのを思い出します。会期中、何度も二人が一緒にいる姿を見かけたのですが、着々と『CUT』の製作準備をしていたのですね。
今年のフィルメックスでのお披露目を前に、インタビューの時間をいただきました。
1945年8月15日、イランのペルシア湾岸の町アバダン生まれ。自分の人生には映画しかないと語るナデリ。6歳で映画館のナッツ売り。11歳で商業映画の編集室の掃除。その後、キアロスタミと映画のクレジット等を作った後、有名監督の元で下積みをする。22歳で長編デビュー。ネオリアリズム映画と評される。
日本では、『ハーモニカ』(74)『駆ける少年』(86)『水、風、砂』(89)『マラソン』(02)『サウンド・バリア』(05)『ベガス』(08)などが映画祭で上映されたほか、『マンハッタン・バイ・ナンバーズ』(93)が劇場公開されている。
S 日本で映画を作っていただき、ほんとうにありがとうございます。
監督 どういたしまして
S 昨年のフィルメックスで来年のフィルメックスでお披露目するとおっしゃっていたので、1年間、待ち遠しかったです。
監督 去年のフィルメックスで、来年のフィルメックスで披露すると約束しましたので、誠実に守りました。
S 先日、試写で拝見することができましたが、監督の映画への愛に溢れた映画で感無量でした。
私は日本映画の古い作品もあまり観ていないし、世界の名作もあまり観ていないので、とても監督にインタビューできる立場ではありませんが、監督のことが大好きなので、恥を承知でインタビューを申し込みました。
監督 いや~ シネフィル(映画通)じゃないですか
S いえいえ、観る映画に偏りがあるので、今日は映画通の加藤さんに同行してもらいました。
K 映画は人生のすべてかもしれません。
監督 私もです。
S 加藤さんが貴重なクラシック映画のパンフレットも持参されているのですが、それをお見せしてしまうと、インタビュー時間が終わってしまいそうですので、私のお伺いしたいことを先にすませたいと思います。
まずは、『CUT』というタイトルですが、監督がいつもスピーチの最後を「カット!」という言葉で締めくくられるので、この映画には、相当の思い入れがあるとタイトルを聞いただけで思っていました。プレス資料には、「現在の映画から汚れをカットしてほしいから」と書かれていますが、それ以外の思いもあると思います。タイトルに込めた思いをもう少しお聞かせください。
監督 そんなにスピーチで「CUT!」と言っているかなぁ・・・。(いえいえ、言っています! 監督の「カット!」と言い切って話しを終えるスタイルには、誰にも文句を言わせないという自信を感じている私です。) 『CUT』というタイトルは、自分の分身でもある主人公の秀二が、借金や問題をカットして、「アクション!」と言えることを象徴しています。秀二の長いマラソンでもあるわけで、兄の死亡や、パンチを受けたりなどの障害を乗り越えて、カットしてカットしてカットしてサバイブし続けて、新しい作品にたどり着くのです。
S まさに、ひたすら何かを求める監督の映画スタイルですね。ところで、先ほど監督のことが大好きと申しあげましたが、実は監督の映画には、いつも忍耐力を試されている思いをしています。 『水、風、砂』を拝見した時には、まだ監督の映画スタイルを認識してなかったので、ずっと続く砂嵐の音を雑音かと思ったほどです。『CUT』は、西島秀俊さんが出演されているので、西島さんの素敵な顔を観ていればいいと思っていましたら、その期待は見事に裏切られました。監督が映画を作るとき、観客にちょっと意地悪しようという魂胆があるのでしょうか?
監督 自分の性格に起因しているのだと思うのですが、意地悪しようと思ったわけじゃなくて、結果的にそうなってしまったのだと思います。ある題材を映画化していく中で、自分が挑戦していることを、役者や観客にも挑戦してもらいたいと思うからなのです。私が相対することを同様に観客に経験してもらいたいのです。『CUT』も 『水、風、砂』も、旅を一緒に経験してほしいと思っているのです。最後には形はどうあれ主人公は何かを手にします。 それがシネマなのか、人生なのか、限界なのか、忍耐なのか・・・ 最後に到達するものを観客とわかちあいたいと思います。それが私の映画です。
K 今の日本では、東京都などでは暴力団排除条例ができて、すごく制約を受けています。ヤクザの兄を持っていて、金を借りていたことが警察にわかると、それこそカットです。今の日本人であれば、その設定に疑問を感じると思います。その点を考えたことはありますか?
監督 それは考えませんでした。映画を撮る上でロジックは避けた方がいいことがままあります。ストーリーを邪魔してしまうこともありますし、それを説明するのは無駄なエネルギーです。自分の経験において相対していただければと思います。
K ヤクザといっても、優しさと強さを兼ね備えていて、ちょっと昔の日本のヤクザ映画に出てくる古典的なヤクザに見えました。素晴らしいキャスティングでした。今の時代に誰も作れないものをナデリ監督が作ったと見ました。
監督 まず最初に、大勢の人からヤクザの描き方をどうするのだと聞かれ、現場でも悩みました。ヤクザとはいえ、人間には変わらない。自分の描くヤクザはヒューマンなものにしたい。心に触れるような役にしたいと思いました。でも、演じる役者となると、なかなか難しい。何人もの役者にお会いしたのですが、菅田俊さんにお会いして、彼だと思いました。こういうキャラクターを期待していると通訳のショーレ・ゴルパリアンさんを通して説明したのですが、常に私の言葉一つ一つすべてに耳を傾けてくれました。世界に発信できる日本映画を作りたい。世界に通じる人間性を持ったヤクザを描きたかった。ありきたりのヤクザ描写にしたくなかったのです。
K 暴力団排除条例のせいで、今や暴力団はお金が出せない状況です。ヤクザの若い者でもお金があると思われるのは間違いなので、今後はこの描き方はやめたほうがいいと思います。
S 西島さんが映画を熱く語る姿と対照的に常磐貴子さんの押さえた演技が光っていました。 実は、これまで彼女のことがあまり好きじゃなかったのですが、今回はよかったです。彼女をキャスティングした経緯を教えていただけますか?
監督 眼です! キャスティングディレクターに、眼力のある女優が必要とお願いしました。台詞は少ないので、眼で演技をできる人。眼を見せるために、髪の毛も切ってもらいました。彼女自身、「チェンジが必要」とおっしゃいました。ヤクザについての既存のイメージをカットしたのと同じ様に、常磐さんのこれまでのアジアで有名な女優としてのイメージをカットしてみたいと思いました。そして、実に素晴らしい演技をしてくれました。常磐さんからも、「名声や金銭的なものはいらない。自分を変えたいの、アミール」と言われましたので、「ようこそ、クラブへ!」とお迎えしたわけです。私のほかの作品も観て準備してくれました。常磐さんだけでなく、皆、ほんとに私の言葉をすごく聞いてくれました。私が日本映画に造詣が深いということもあって、皆さん聞いてくださったのだと思います。かつての日本や世界の映画の持っていた価値を描きたいということも、皆さん真剣に理解してくれました。
S 大好きな日本で映画を撮られましたので、次はいよいよ月の映画ですね。
監督: そうです!
注*
2005年の東京フィルメックスで開かれたトークイベント「イラン映画最前線 ナデリ&ジャリリ」での発言をここにあげておきます。
《1968年4月、『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督/1968年)を観るために外国へ行き、チケットをキューブリック監督本人から入手する。イランに戻る途中、「月」の映画を作ることを決意。人類が月に降り立つ前年のことである。「国を出たのは、政治的でも、映画が評価されないからでもない。月の映画を作る為。今、スペースシャトルを作っています。それで月に行く。30年間、一分も迷ってないし、後悔もしていない。自分の過去に誇りを持っています」》 (シネマジャーナル66号)
2008年のフィルメックスで開かれたトークイベント「巨匠ナデリ大いに語る」の折にも、「次はいよいよ月をテーマに撮る。カット!」と息巻いてトークは終了したのでしたが、現在は日本に軟着陸中でしょうか。
S 月に行く前に、もう1本か2本、日本で映画を撮っていただければ嬉しいです。
監督:実は、あと二本西島さんと撮ります。ジャパン・トリオロジーにしたいのです。
S アメリカ・トリオロジーに続いての三部作ですね。
S ほんとは、私の大好きなイランで、もう一度映画を撮っていただきたいとも思っています。 『期待』(*注)のようなイランの伝統文化を感じさせるような作品を、ぜひ期待しています。
監督 実は『CUT』にも、『期待』の要素がずいぶん入っています。洋子と秀二が距離を置いている関係性や、最後に手が触れ合うところも、まさに『期待』と同じです。テクニックはアメリカ映画からずいぶん学びました。20年間アメリカにいて、イラン文化を封印していたけれど、今回、それを久しぶりに取り入れました。イラン的な心情は日本文化とも、ものすごくマッチすると思います。イランでの文化を持っていなければ、私は日本で映画を作ることができなかったと思います。また、過去の日本映画から私は日本的な心をずいぶん学びました。それが形になったのが『CUT』です。
*注 『期待』イラン/ 1974年 / 43分
イラン南部の古い町並みを駆ける少年。ある家の古いドアの男性が来たことを示すノックをたたく。 ドアから手だけ出して器を受け取り、氷を入れて、また手だけ出てきて器を返す。どんな女性なのか知りたい少年。ある日、女性用のノックをたたく・・・ 台詞をほとんど廃し、幻想的な映像で綴った作品。一心不乱にお祈りをする姿や、路地を行くチャードルの女性など、イランの伝統文化を感じさせてくれる作品。(実は、ナデリ監督作品の中で、私が唯一好きな映画)
K 秀二が殴られる過程での103本の映画は、監督にとっての最高の映画でしょうか? それとも日本観客向けの103本でしょうか?
監督 『CUT』は、日本の観客の為にだけ作ったのでなく、世界に向けて作った映画です。世界に通じる日本映画として作りました。フランスやイタリアやアメリカや各地の観客のことを考えて作った映画です。103本は、自分の人生に付いてまわっている最高の100本です。映画が出来てから、将来に生き延びられるか、生き残れるかを見据えての100本です。毎年1~2本入れ替わることもあります。でも、100本にカットできなくて、ルールを破って約100本ということで103本にしました。秀二は100本のためにパンチを受けるわけですが、あと3発くらい多くても平気だろうと。
K 壁に貼ってあるチラシが手書きでしたが、秀二が一人でやっていた映画会と了解していいですか?
監督 もちろんそうです! 毎週とか2週間に1回とか、インディペンデントで一人でやっている上映会です。自分で手作りしてコピーしてチラシ代わりに配っているのです。
K 今時、手で書く人がいるのかと疑問に思ったのですが・・・
監督 彼はコンピューター・ガイではないのです。自分の愛する映画だからこそ、自分の手書きで作る。好むのもサイレントやモノクロのクラシックな映画。なので、アナログでやっているのです。
K 実際に書いたのは?
監督 西島さんが書いたものもあるし、私の助手やさらにそのアシスタントが書いたものもあります。
最後に、加藤さんが持参した映画のパンフレットのコレクションの一部を監督にご覧いただきました。一目見てすぐ、これは何、と嬉しそうに映画のタイトルを当てる監督。どれも自分の好きな映画とおっしゃる監督。それもそのはず、加藤さんが持参したのは監督が『CUT』の中であげた103本の内から、日本封切の折のパンフレットを選んだものだったからなのです。
フィルム、DVD、VHSなどすべて含めて約4000本の映画を持っているという監督。場面を一目観れば、何の映画と言い当てられるとおっしゃいます。
最後に、昨年のフィルメックスの報告記事を掲載したシネマジャーナルを開いてお見せしました。写真の一つ一つを嬉しそうに眺める監督。ほんとにフィルメックスが大好きな監督を感じたひと時でした。