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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

第一回Uno Port Art Film Forum宇野港芸術映画座上映シリーズ 開催報告

岡山県玉野市宇野港 2010年8月2日―6日

最終日『円明院』上映中の野外シアター。撮影はアニメーション作家の中村智道さん
『円明院』8月18日(水)18:15~なかのZERO視聴覚ホールにて特別試写会

世界各国からクリエイティブな映画を集め、第一回宇野港芸術映画座上映が開催されました。すぐ間近の直島では瀬戸内国際芸術祭も開催中。フォーラムを企画したタハラレイコ、上杉幸三マックス両氏(ドキュメンタリー映画「円明院 ある95歳の女僧によれば」の共同監督)が玉野市と福武財団、地元企業の協力を得てこれまでにないムーブメントを起した。上映シリーズが終わったばかりのタハラレイコ監督にお聞きしました。

Q 宇野港芸術映画座上映が終わってみての感想は?

タハラ「疲れたー!徹夜続きで2年くらい寿命を縮めた気がする。はっきりわからないけど、何か大きなことをやったという達成感と成長感はある。それと手伝ってくれた地元の色んな人とも友達になれたし、お金は儲からなかったけど、やってよかった。」

Q 地域でも始めての試みだと思いますが地元の方の反応は?

タハラ「岡山(特に市外)では人が集まらないぞ、とさんざん言われていたが、本当に人を集めるのが大変だった。7-80名入ったプログラムもあったが、お客さん一組というさみしい回もあった。それでも来てくれた人達はとても楽しんでくれて、こんなの他では見られない、体験できない、と喜んでくれ、その後も違うプログラムに来てくれたり友達を連れて来てくれたりした。もと教師という地元の初老の女性は何度も来て下さり「映画、いいわあ!」と言ってくれた。直島を訪れていた外国人観光客の方も来てくれ、『黒い雨』や『円明院』を見て上映後にブラボー!と拍手してくれた。地元のアーティスト達(造形作家、ガラス作家、染色作家、画家など)はアトリエである工場が私たちの野外上映会場にほど近かったため、皆会場整備や撤収等手伝ってくれ、上映もかなり楽しんでもらえたと思う。世界中の制作者とつながれるスカイプQ&A(質疑応答)はとても好評で、マックスのふるさとであり、私にとっても過去16年間第三のふるさとであるここ宇野港で、バイリンガル環境で映画というある一つのアート形態を媒体に大変クリエイティブな会話が繰り広げられている、という事実が大変嬉しかった。

アメリカ人監督ローリー・ハイリスさんとスカイプ、岡山のアニメーション作家中村智道さんと会話が弾んだ。(左はタハラ監督) 中国系オランダ人監督フー・ピン・フーさんとスカイプQ&A

『円明院』には全く同じ宣伝で沢山のおばあちゃんが主人公の“おじゅっさん”を一目見るために来てくれ、また短編には人が集まりにくいけれど、長編のフィクション映画には結構人が入ったので、宣伝が行き届いていなかったわけでもないようだった。ボランティアの一人の女の子は、アート映画、実験映画、ドキュメンタリーみたいななじみのないものをどうやって見たらいいのかわからなかったが、見てみたら面白かった、と言っていたが、そうなのだろう、と思う。フェリーで20分の直島のベネッセアートサイトも20年かかってようやく地元の人に受け入れられた。少なくとも3年はかかるだろう、だから3年後にこのイベントの意義を考えるのが楽しみでもある」

ボランティアスタッフと、福武財団の人達と 『新しい神様』や『ニュータウン物語』も上映。『新しい神様』の土屋豊監督と、マックスの宿屋で。夜は語ったので、朝、眠い。

Q 主に宇野港のどのようなところで上映されたのですか?

タハラ「晩は1週間『野外トレイラー・シアター』で。宇野港はかつて連絡船があって四国への玄関口だったところ、その連絡船跡地の巨大な空き地でやりました。大きなトレイラーの使用を商船三井に寄付していただくことができ、会場の空き地にそれを持って来て、ぱかっと開いた中に大きなスクリーンをちょっと中側につるし(雨風よけにちょうど良かった)、瀬戸内の島々とゆっくり走るフェリーを背景に、ビール片手に寝そべったり椅子に座ったり!地元や岡山の飲食店からの出店も出て、やきとり、ぶっかけうどん、カバブ、ワッフル、かき氷、手羽先、などリーゾナブルで美味しいものも沢山ありました。モノと人を運び、つなぐ、というのが今回の会場選びのテーマ。マックスにとっては会場の埠頭から見る瀬戸内の海は懐かしく、振り返って見る宇野駅側の宇野の街は地元の人もあまり見た事ない新しい風景だったし、そこで幼い頃から見慣れたトレイラーをシアターに変えて、と色々な要素がぴったりとはまった感じ。私にとってもその中に人をつなぐメッセージの詰まった映画たちを上映できて、動きとエネルギーのある理想的な設定でした。昼間の回は、アーティスト達がアトリエ/ギャラリーとして使っている駅東創庫と、市の建物でありエアコン、上映機材完備と条件のいい産業振興ビルの会議室/上映室でやりました。そう、地元の映画館も2,3年前に閉鎖されており、そこに映画文化を持ち込みたい、という気持ちもありました。」


これが、野外シアター。商船三井さんからの寄付で一週間毎晩開演!

Q 外国語の映画、しかも日本初公開のもあったと思いますが、字幕とかは?

タハラ「つけました!!!大変だった。これが、徹夜続きの理由でした。今回は時間もお金なくすべてがギリギリだったので、12歳の娘に相当手伝ってもらう展開になり、またニューヨークの友人にも頼んだり、地元の数少ないバイリンガルの方々とも仲良しになったのでお世話になって、それをまとめて字幕としてビデオ処理して焼き付けて、どうにか一日一日の上映に字幕版が間に合った、という状況でした。来年からは誰かに頼みたい!!でも字幕があるからこそクリエーターと見る人がつながれるんだ、と思うと責任重大で、字幕ってすごいなあ、と思います。だからどうにかできてよかった。」

Q これからの活動をわかる範囲で教えてください。

タハラ「ベネッセ(福武財団)から今年から3年間の助成が出ることになっていますし、毎年続けて行こうと思っています。マックスは宇野で宿屋をやっており、萌はマンハッタンの中学、私もNY近郊のいくつかの大学で教えており、夏が家族再会の七夕のような状況なので、この家族でやる宇野港芸術映画座は私たち自身と私たちのクラス複数の場所をつなぐ行事でもある感じです。そういう感じに続けて行くので、是非来て下さい!直島のアートも素晴らしいし(特に地中美術館)、来年は宇野ー直島ルート、見応え抜群です。来年からはもう少し予算を集めて日本や世界の過去の名作等も合わせて上映したいし、今回、土屋豊監督や本田孝義監督がきてくださいましたが、来年は、国内・海外からスカイプだけでなくて制作者本人をゲストに呼んだり、シンポジウム等も開きたいし、批評家養成プログラムみたいなのも作って行きたいし、とっつきやすい作品もものすごいアーツイーな作品も色々混ぜながら、でもコンセプトの「生きる、創る、映画」はなんとなくどの作品を見ても伝わる、というイベントにしていきたい。あくまでも制作者が同じ制作者仲間の作品をご紹介する、というスタンスは崩さず、自分たちの制作活動も続けながら、ここを発表の場ともしていきたい。とにかく、みなさんとつながれる上映シリーズにしていきたいです。


瀬戸内海を挟んだ高松は雷鳴、こちらは星空だったそうだ!

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(取材:泉)
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