シネマジャーナルにベルリンから寄稿してくださっている松山文子さんから、バングラデシュのダッカで行われた映画祭の報告がとどきました。女性監督部門で浜野監督の長編劇映画『こほろぎ嬢』、松山監督の短編実験映画『日常の出来事』(英題"Everyday Occurrences")『学生には向かない観光』(英題"Sightseeing Unsuitable For Students")が上映されました。
松山文子
喧騒とヴァイタリティーと、貧富の格差を始めとする諸問題が鬱積しながらも、邁進しているようなバングラデシュの首都ダッカで、映画祭が開かれて今年で11回目。これは、恐らく「ボリウッド」作品と傾向を共にする、メインストリームに異議をはさんで1977年に設立されたレインボー映画協会が、「ベター・フィルム、ベター・オーディエンス、ベター・ソサイティ(より良き映画、より良き観客、より良き社会)」を標榜して1992年から主催している映画祭で、近年は隔年で開催されているものだ。
オーストラリアを含むアジアの長編劇映画作品コンペテーション部門の他に、ドキュメンタリー、世界の映画、児童映画、レトロ、インディ、バングラデシュ・パノラマ、スピリチュアル、女性監督などの部門がある。会場は国立博物館とその隣の公共図書館ホール。国立博物館ホールで行われた開会式は、カメラはおろか、持ち物一切持ち込み禁止のトップ・セキュリティ。建物内外は、たくさんの兵士達の、ものものしい警戒ぶりである。それもそのはず、この日はバングラデシュのシェイク・ハシナ首相が、アブル・カラム・アザド情報省大臣とやって来るからで、ハシナ首相は、建国の父ともいわれるムジブル・ラフマン大統領が1975年、クーデターによって家族諸共殺害された時、外国にいて難を逃れたその娘である。暗殺者達の死刑判決が二ヶ月前に下され、執行を控えていたとあれば、尚更だ。
思えばバングラデシュの歴史は血生臭く、痛ましい。1947年に、イギリス植民地支配から(東)パキスタンとして独立したものの、『ベンガルの土地』として、1971年に(西)パキスタンから独立するにあたって、ジェノサイド(民族大虐殺)とも言うべき、300万人という犠牲者を出した。大量の女性が性的暴行を受けたのは、言うまでもない。
ハシナ首相はバングラデシュ映画の質向上をサポートする旨を表明し、目の前に置かれたラップトップ・コンピューターをクリックして映画祭が開幕。背後のスクリーンに、トレーラーが現れ始めた。オープニング作品は、昨年、急逝したマレーシアの女性監督、ヤスミン・アハマッドの遺作、「タレンタイム」。ハイスクールの若者達が織りなす音楽パフォーマンス・コンクールで、何処か憂愁を湛えた作品である。
全体を通じてどうしても触れておきたいのは、ゲオルゲ・オヴァシュヴィリ監督の『他岸』(グルジア+カザフスタン)で、主人公の12歳の寄り目の少年に、内戦が与えた過酷な現実と心象を集約させた感がある。トビリシ郊外に住む少年は、アブハジアからの避難民。母は娼婦と大差ない生活、自身は車の修理や空き瓶回収などで、細々と生計の足しを得ている。遂に彼は、七年会っていないという、アブハジアに残る父に会いに行こうと旅立つ。映画はそのロード・ムーヴィでもある。彼を庇って命を落とす婦人、夫妻でアブハズ語、ロシア語の会話をなし、更には少年の為にグルジア語が加わって、三ヶ国語が飛び交う一つ家。少年がグルジア人と知ってわだかまりが解けない息子を失った父親……。少年はとうとう聾唖のふりをして、森の中を更に進んで行くのだ。映画は、最優秀作品賞を受賞した。
それに対して、最優秀監督賞を得た、モスタファ・サルワル・ファルーキーの『三人称、単数』(バングラデシュ)は、釈放されてから、自分の場所を見出せないでいる夫、自立した妻、彼女に気があるのだが、今一、押しの弱いボーイ・フレンド、この男女三人が形作る、都会風のトライアングル。女の自意識を映す鏡として、少女時代の過去、現在、未来という三世代の自分と、彼女は対話することにもなる。
他に、最新作、癌に冒された女性が主人公の『孤独の毎夜』を始め、4本の作品が上映されたイランのラスール・サドル・アメリ監督のミニ・レトロもあった。
九日間の映画祭を締めくくったクロージング作品は、地元、バングラデシュの『暗闇の響き』。画家でもある、(そして日本で展覧会を開いたこともある)カリド・マハムッド・ミトウ監督作品である。伝統的な歌あり、踊りありでありながら、やはりリアリティを断念する訳にはいかなかった。良家の子息と、同じ大学で学ぶ娘が恋仲になる。だが、娘の父は、苦しい中から娘を大学に行かせた路上の物乞い生活者。それが青年にわかった時、彼は「彼女のために」、自分の愛を諦める決意をするのだ。エピローグにあたる、シンガー・ソングライター、ハイダー・フセインのコンサート・シーンの歌が、言いようのない憤りや抗議を代弁しているように思われてならない。