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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ある夜のできごと』鈴木聖史さとし監督インタビュー

―初めての長編作品の公開おめでとうございます。これまで自主映画を6本作られたそうですが、今までと大きな違いはありましたか?

 作るまでと、撮っている間は自主映画のときとそう変わりません。ただ劇場関係の方々にお会いしたりするうち、徐々に実感がわいてきました。広告媒体も関わりますし、環境が一気に変わってしまったので、撮り終わった後、気持ちが追いついていないようなところがあります。

―スタッフやキャストについては?

 製作現場でのスタッフは10~15人で、これも前と変わりません。キャスティングについては違いますね。自主映画ではどうしても知り合いに頼んだりするのが多いですから。事務所やプロダクションにいる俳優さんの出演は今回が初めてです。

―演出はどんな風にされていたのでしょう。


 演じた男性3人も、自分とほとんど同じくらいの年齢です。特にこの3人に関しては細かいことは言わず、役者さん同士で話してもらいました。ト書きのない脚本なので、その場で動いてもらって会話しながら、必要に応じて変えていくというようにしました。基本的にはその空気の中で進めてもらって、どうしても気に入らないところだけは言う、という感じです。

―内山信二さんはアドリブありそうですね。

 ありました。ほぼ台本どおりなんですが、カットとスタートの間、シリアスなシーンなのに笑いをとろうとすることがあって(笑)、でも内山さんの存在は重要でしたね。

―秦秀明さん演じるカッちゃんに監督の思いが一番入っているんですね。

 そうですね。僕が投影されています。松尾敏伸さんのヤスタカと内山さんのケンさんには僕の友達。昨年、こんな風に久しぶりに友達と会ったのに、話しているうち大喧嘩になったんです。居酒屋にいた他のお客さんが気にするくらいのでしたが仲直りもせずにきてしまいました。そのエピソードをもとにこの脚本を書いて、映画を撮り終えてから知らせました。映画館で観てもらおうと思っています。ケンさんのモデルの友達は、医学部に受かって今1年生です。

―いろいろな意見を取り入れるほうですか?

 それが、終わってから言われたんですが、僕は意見をうん、うんと聞くんです。ですが、採用はしていないらしい(笑)。「頑固で変えないね」と最後に言われましたね(笑)。自分では柔軟に聞いていたつもりなんですが…。

―でも相手の印象に残っていないと…

 そうなんですねぇ。自分では気づかなかったです。

―監督さんは舵取りで船長ですから「ぶれない」ことも必要ですよね。

 あ、それいい言葉ですね!!

―作品が完成した!と感じたのはいつですか?


 試写ですね。人前に出したときです。劇場では、ロケ先の山梨でお礼も含めて先行上映がありまして、客席の後ろのほうにまぎれて観ていたのですが…観客の反応はあんまりよくわからなかったなぁ。この次はしっかり観るようにします。

―出来上がってから「ああすればよかった、こうすればよかった」と思いますか?

 作品全部そうです。脚本にも編集にもですし、全く違うものをやれたのになと毎回思います。この前の作品は編集に2年かけているんです。期限切らないと何年でも直し続けちゃうところあります。今回もどこ、というのでなく「全体的に、もっとこうなにか」と思いますし、それは次の作品へのエネルギーになっています。
 この作品は同年代の人に観てほしいです。疎遠になった友達との微妙な距離感とか、男のどうしようもないカッコ悪さとか、感じてもらえるのではないかと思います。そして、映画を観た後、ぜひ誰かに連絡をとってみてください。


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『ある夜のできごと』場面写真 『ある夜のできごと』場面写真
『ある夜のできごと』場面写真
『ある夜のできごと』

インタビューを終えて

旭川出身の鈴木監督は、子どものころから映画好き。新聞の映画案内で新しいのがあるとお小遣いで観にいかれたとか。毎年恒例のドラえもん、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ゴーストバスターズ』などのハリウッドの娯楽作品、ジャッキー・チェンの作品は殆ど観ていたとのことです。私の息子と同年代なので、ゲームや漫画などそのころの話に、つい脱線してしまいました。お好きな監督はスタンリー・キューブリック、韓国のポン・ジュノ監督、日本では岩井俊二監督などなど。

入った大学は工学部だったのに、東映撮影所の編集助手に応募してお弁当つきバイト代なし、編集技術を学ばれたのだとか。学生時代から自主映画を撮ってこられて、今回初劇場デビューとなりました。就職活動して入社したところが大変理解のある会社で、一度も転職せず、休みをもらいながら映画作りができたことに感謝している監督。

質問ひとつひとつをじっくり考えながら回答してくださいます。ご両親は「早く結婚して孫の顔を見せて」とおっしゃっているそうですが、まじめな好青年ですからきっと良い出会いがあるはずと、すっかり親戚のおばちゃん気分。構想や気のついたことはノートに書き溜めているそうなので、その中から次の作品も生まれてくることでしょう。そのときはぜひロケ現場の取材にいきたいものです。

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(取材・写真:白石映子)
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