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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

イラン映画『彼女が消えた浜辺』
アスガー・ファルハディ監督インタビュー

『彼女が消えた浜辺』アスガー・ファルハディ監督
『彼女が消えた浜辺』アスガー・ファルハディ監督

2009年2月の第59回ベルリン国際映画祭で監督賞に輝いた『彼女が消えた浜辺』。昨年9月のアジアフォーカス・福岡国際映画祭で、『アバウト・エリ』のタイトルで上映された折に、アスガー・ファルハディ監督が来日されました。

この度、9月11日より一般公開されるのにあたり、昨年行った個別インタビューと、アジアフォーカス・福岡国際映画祭での上映後のQ&Aの模様をお届けします。

*ストーリー*
カスピ海沿いの別荘に繰り出した大学時代の仲間たち。快活で皆のリーダー役のセピデーは、ドイツで結婚に失敗したアーマドの新しい相手にと、保育士エリを連れてきていた。一泊で帰りたいと、そわそわするエリ。子どもが溺れそうになり、エリの姿が消える・・・


左:セピデー役ゴルシーフテ・ファラハニー、右:エリ役タラネ・アリドゥスティ

→ アスガー・ファルハディ監督インタビュー
→ 2009年9月アジアフォーカスでの上映後のQ&A


●アスガー・ファルハディ監督インタビュー

                         2009年9月
                         於 福岡・ソラリア西鉄ホテル


アスガー・ファルハディ監督

◆実はやんちゃ坊主の監督

― 楽しい旅が、子どもが溺れエリがいなくなるという事件で一転。最後の最後までエリが出てくるのでは?と思って、息もつけませんでした。

監督:ドラマのクラシック(古典的)な作りです。静かな状況から、池に小石を投げて小波が出来て、それが元に戻って静かになるという作り方です。

― 脚本を書かれたハタミキアー監督の『低空飛行』でも、ハイジャックが起きて、人々の本音を吐き出す会話が続くという作りで、目が離せませんでした。

監督:狭い中でいろんなことが起きるというのが、自分のやり方です。ただ、『低空飛行』のエンディングは、自分の書いたものとは違っています。

― 第59回ベルリン国際映画祭で最優秀監督賞を受賞され、すでに巨匠という作品を作られているのに、お若くてびっくりしました。

監督:落ち着いて見えるかもしれませんが、実は結構やんちゃなのです。11歳の娘がいるのですが、隣の家から「男の子がうるさい」って言われたことがあって、実は自分がはしゃいでいたのです。(と、まじめな顔でおっしゃる監督)

◆人間はどこでも同じ

― 日本での公開が決まっていますが、イランの普通の人々の生活を見てもらえるのが、私にとっては何より嬉しいです。ニュースを見て、宗教でがちがちの国民というイメージを持っている人が多いですから。

監督:イランのイメージは体制のイメージが強いけれど、国民は違う。もちろん、イランにはたくさんの民族があって、文化や習慣など、全イランが同じではありませんが。この物語では、普通のクラスの普通の生活を描いています。

― 外国人にとっては、イランの普通の人々の姿が垣間見れる作品となっていますが、イランの観客に向けて、どのような思いで作っているのでしょうか?

監督:今まで作ったものは、すべてイランで公開されています。外国に向けて作ったわけじゃありません。イランの文化の上に作っているので、イラン人に一番理解してもらっています。外の人はイランの文化の一部しか知らないですから。私は国内で上映できるものを作りたいと思っています。

― イラン国内での評判はいかがでしたか?

監督:ベルリンで上映された頃、イランでも公開されました。ベルリンの批評と、イランからのものが同時に届いたのですが、どちらも同じような評価でした。全世界の人は同じ感情で観てくれると思いました。似ているところでなく、違うところに注目してニュースにするから違いが強調されるけれど、本質は同じです。

― 何かが起きた時に、本音が出るのも同じだと感じました。

監督:映画を作る時、イランを紹介したいと思って作るわけじゃない。自分の話をしないといけない。観て、どこでも同じと言われると嬉しい。違う国で起きても、反応が同じだとわかると嬉しい。人間はどこでも同じです。


カスピ海の浜辺にたたずむ男

◆家族や友人の絆を大切にするイラン人

― この物語の発想のきっかけは?

監督:ある晩、一つの映像が浮かびました。びしょぬれの男が海辺で何かを待っている姿です。妻の死体があがってくるのを待っているのかもしれない・・・というシチュエーションです。大学の友達とショマール(「北」:カスピ海沿いの北部地域のことを指す)に行って、冗談を言いながら遊んで・・・という、自分たちが経験していることをベースに描きました。

― 綿密に書き込まれた脚本で、大勢の登場人物の会話がぽんぽん続いて、一人でも間違えると撮り直しになるので、リハが大変だったと思いますが・・・

監督:結構リハはしましたが、ちょっとそこは違うというところは、いちいち言わずに、本番の一歩手前で、役者に指摘すると、本番で上手くやってくれました。監督をしているマニ・ハギギや、脚本家で映画初出演のペイマン・モアディなどが参加してくれましたが、撮る時には自分の経歴を置いて、皆、同レベルでやってくれました。逆に、マニ・ハギギは自分も監督をしているので、よくわかってくれました。撮影に入る2ヶ月前から稽古して、本番の時には、皆ほんとの友達のようになっていました。撮影が終わった今でも、仲良くて家族ぐるみの付き合いをしています。


2006年11月 東京フィルメックスのトークイベントに
登壇したマニ・ハギギ監督

― 映画を拝見した時、マニ・ハギギさんをどこかで観ている・・・と思ったのですが、2006年の第7回東京フィルメックスでマニ・ハギギ監督の『メン・アット・ワーク』が上映されて、ハギギ監督も来日されました。素敵な方ですね。この映画の中で、イランっぽいなと思ったのは、ハギギ監督が演じたセピデーの旦那さんが「母や姉でもないのに、結婚相手を紹介するなんて・・・」と言ったところでした。私のイラン人の友人の男性が婚約破棄して、その収拾にやっきになっているところに、お姉さんが「こういう女性がいるわよ」って電話してきた場面に居合わせたことがあります。それがそもそも婚約破棄した相手を紹介したお姉さんで、えっ?と笑ってしまいました。イランでは、男兄弟と女姉妹との間の関係がすごく密接だと感じます。

監督:兄弟姉妹だけじゃなく、イランでは家族の絆がすごく強いです。良いとこも悪いとこもあります。家族を守ろうとするので、家族さえ良ければいいと満足するような面もありますので。でも、ある歳になって孤独を感じるような時、家族がいるから孤独にならずに済むということはありますね。家族の絆は深いですね。

― 家族の絆が強いのは、イランのいい面だと思います。


アスガー・ファルハディ監督

◆「運命」を信じるイランの人たち

監督:この映画で、もう一つイラン人の信じているものを説明しているのですが、それは、「運命」ということです。何か事が起きると、「決まっている道を歩いている」という考え方をします。夢の中で変なことを観たとか。この物語では、恋が生まれていく二人が窓越しにガラスの破片を受け渡した時に、落ちてしまって地面に散らばったり、別荘の鍵がなかなか開けられないとか、悪いことを予感するようなことが起こります。皆で集まってジェスチャーのゲームをした時にも、エリの動作を見て、白い花輪をイメージして、この人は死んでしまうのは?と思わせるのです。イラン人は運命を信じている面があります。

― エリの謎めいたところに騙されて、エリが黙って帰ってしまって結局は現れるのでは?と思わされたのですが、イランの人がみれば、この人は死んでしまったと思うわけですね。

監督:イラン人がこの映画を観ると、生きて帰ってくるという希望を持ちます。イラン人はいつも望みを持っている人達です。彼女が消えてから、いろいろと疑問を持ちますが、死体を見ても、あれは違うと信じたくないのです。

◆グローバルに活躍するゴルシーフテさんを4ヵ月独占

― 死んでしまったのではないかと思いながらも、希望を持ちながら観ていると聞いて、少し安心しました。ところで、ゴルシーフテ・ファラハニーさんは、以前『冷たい涙』がアジアフォーカスで上映された時に来日され、とても快活で、まさにこの映画の中のセピデーのような感じで人を引っ張っていく方でした。『ワールド・オブ・ライズ』でデュカプリオと共演したり、チュニジアのナーセル・カミール監督の『バーバ・アジーズ』に出演したりと、イランだけでなく、外国映画でも活躍されていて、日程を合わせるのが大変だったのではないでしょうか?

監督:稽古の時から撮影が終わるまで、間で他に行かないと約束をして参加してくれました。稽古に2ヶ月、撮影に65日かかりました。

― 去年、東京国際映画祭でゴルシーフテさんが主演した『少女ライダー』が上映されて、モハマド・アリ・タレビ監督から、『ワールド・オブ・ライズ』に出演したことから、政府から彼女の姿が入ったポスターを使うなと言われたと聞きました。今、彼女はどこにいるのでしょう?

監督:『アバウト・エリ(彼女が消えた浜辺)』は、『ワールド・オブ・ライズ』の撮影を終えて帰ってきてすぐに出演してもらったので、撮影には差し支えありませんでした。法律的には、外国の映画に出ることを禁止されていないのですが、しばらくはイラン映画に出演することは難しいでしょう。今、彼女はパリにいますが、いずれまたイラン映画に出ると思います。


2004年アジアフォーカスで『冷たい涙』が上映された折に来日したゴルシーフテ・ファラハニーさん

◆イランの民衆のエネルギーをいつか映画に描きたい

― いつごろから映画作りをめざされたのでしょうか?

監督:小学校2年生か3年生くらいの時に、従兄と映画を見に行って、入ったのが映画の途中からだったのですが、一人の少年の物語だったのですが、映画館を出てから、映画の最初はどんな話だったのだろうとずっと想像したのが、今思えば映画作りの初めだったのですね。タイトルも覚えていない映画なのですが。

― 心に残る映画は?

監督:フランスの監督アルベール・ラムリースがイランについて描いた『bade saba(北風)』というドキュメンタリーのような、マフマルバフ監督の『ギャッベ』のような雰囲気も持つ作品が好きです。ラムリース監督がパルムドールを取ったので、シャー(パーレビー国王)がお金を払ってイランを撮らせたのです。でも、完成した作品を観て、シャーは「なんだ、田舎ばっかり」と発表しなかったのです。それで、近代化の現場をと、シャーはカラジダムを作るところを撮らせました。ヘリコプターを何度も飛ばして撮ったのですが、つまらない映像。しかも、ヘリが墜落して監督は亡くなられたのです。今でもカラジダムのところに墜落したヘリが置かれています。あと、ヒッチコック、デ・シーカ、フェリーニの『道』などが好きです。

― 次の作品のアイディアはすでにあるのですか?

監督:2~3の企画を考えています。間を空けずに作りたいと思っていたのですが、大統領選挙(注:2009年6月)を通じて、今、イランで民衆の新しい動きがあって、これまでと違うイラン人の姿をみました。それをもう少し見て、描きたいと思っています。

― イラン人のエネルギーはすごいなと思いながら、私も動きを見ています。

監督:自分たちもびっくりしたのですが、皆が持っていたエネルギー。それを合わせて出す機会がなかったのが、一気に噴出した感じです。新しいイラン人のイメージができたのではないかと思います。イラン人のことを、また違った目で見てもらえるのではないかと思っています。
(インタビューが終わって、さっそくプレスルームでネットにアップされているイランの動画をチェックしていた監督でした。)


アスガー・ファルハディ監督



●9月24日 16:20からの上映後のQ&A

~政治的なことでなく、映画のことを話してくれて嬉しい~

◆テーマは普遍的なもの。宗教的に捉えないで欲しい。

司会:今年度ベルリン映画祭で最優秀監督賞を受賞、アカデミー賞外国語映画賞に、イランからの出品作にも選ばれました。重厚な作品で、演劇のような雰囲気。監督ご自身が脚本も手がけていらして、一瞬も目の離せない映画でしたね。さっそく会場から質問を!

―(女性)いい作品でした。最後まで息もつけませんでした。エリが溺死する経過ですが、凧をあげていて、海の方を見ないので心配になりました。子どもが溺れたことを言いにきたけど、子どもはエリが飛び込むのを見ていないのが気になりました。始めから終わりまで真に迫った姿に感動しました。

監督:イランから遠く離れた地ですが、イランの方たちと同じ感想ですね。映画の中で語る悲劇は、あの女の子が振り返ってエリが海に飛び込むのを見ていたら、起きなかったかもしれない。人生の運命は、そういう小さなことで起こります。後になって、あの小さなことに気づいていれば・・・ということが実際にあると思います。

―(女性)素敵な作品をありがとうございます。今日はたまたまイランの友達を連れて来ています。宗教的なメッセージが最後にあると思います。婚約していたことを知らなかったと最後に言いましたが、知っていたというとイランの社会では悪いことなのだと、そこに何かメッセージを込められたのでしょうか?


アスガー・ファルハディ監督(左)
通訳のショーレ・ゴルパリアンさん(右)

監督:宗教的なものではないと思います。どの国で起きてもおかしくない問題です。宗教的というより、社会的なこと。男女の愛や恋には二つのタイプがあると思います。人が相手を自分の持ち物だと思っているのが愛なのか・・・ そうでない愛もあると思います。婚約者は、エリが自分のものと思って愛している。エリが婚約していると言っていたかどうかを気にしますが、婚約していたことを言わなかったと聞いて、自分のものじゃないと理解して怒ってしまうのです。事実を説明しづらいのは、社会的なモラルから。自分はいい人だと見せたい。大切な質問だと思います。例えば、イランでは病気で余命1ヶ月という場合、医者は本人に言わない。希望を持たせます。周りの人たちには知らせるけれど、本人の気持ちを考えて隠したりします。でも、スウェーデンでは、余命を必ず言います。どっちが正しいかはいえません。この映画の中でも、どっちが間違っているかはいえません。

―(女性)複雑な思いで観ました。彼女がどうなったかより、一人がいなくなったことによる人々の心理が面白かった。裕福で陽気な人たちが、彼女のいなくなることによって起こる気持ちの変化、そして結末と。
(注:この作品の登場人物は裕福な層というより、イランの普通の人たち。休暇に別荘を借りて楽しむというのは、中産階級の人たちの普通の営み)

監督:冒頭で車に乗っている若者たちが叫んで、気持ちをすべて出しています。それが、事件が起きて、たった二日間で最後には皆、自分の気持ちを隠してしまいます。オープンだった人たちが、何かがあって自分を隠すのです。快活だったセピデーまでが、最後には顔を隠して泣きます。

―(男性)イラン映画は初めてか2回目。エンディングは付け足しのような映画が多いけれど、最後の音楽がすべてを語っているような気がしました。

監督:エンディングは、観る側で終わるような話を作らないようにしようと思っています。もう一回考えさせるためのエンディングを選びました。車が海にはまってるシーンを入れたのは、そういう目的です。私が好む映画は、一つの道を教えてくれる映画です。

◆選んだ曲のタイトルが偶然「Song for Eli」だった!

司会:エンディングにしか音楽を使わなかったのは?

監督:私にとって音楽自体が素晴らしいアート。映画にサービスするものじゃないです。海の波の音は、素晴らしい音楽。波の音を最初から最後まで使いました。クレジットのところには、音楽を入れたほうがいいと思って、丸一日いろいろな音楽を聴いて、これを使いたいから、権利のことなどがあるのでリサーチを頼んだら、「監督! タイトルが何だと思いますか?」と飛んできました。選んだ曲が偶然「Song for Eli」だったのです。天から来たものだと思いました。
(ペルシャ語のクレジットの中で、これだけが英語でしたので、あれっ?と思ったのですが、そんな秘話があったとは!)

―(女性)エリの遺体が見つかりましたが、見つからないまま不可解なまま登場人物を置きたいと思わなかったのでしょうか?

監督:とても面白い質問です。死体を見せてなければ、エリはどうしたのでしょう? 死体を見せたことにより、いろいろなことを考えると思います。最後に一つ言いたいことがあります。この会場だけが、映画について本当のことを聞いてくれました。どこでも政治的なことを聞かれたのです。話が長くなってしまいましたが、今日はイランの友人のアリレザさんが遠くからわざわざ私の作品を観に来てくださいました。ここでお礼を述べたいと思います。
(注:アリレザさんは、東京に住む私の友人。この後、アリレザさんが監督を屋台に案内し、博多名物モツ鍋を振舞っていました。)


ボードにサインするアスガー・ファルハディ監督   観客にサインするアスガー・ファルハディ監督

★2010年9月11日よりヒューマントラストシネマ有楽町にて公開! 全国順次公開
→ 上映情報

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(取材:景山咲子)
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