主催:(株)フラウ・インターナショナル http://www.frau-inter.co.jp/
パク・シニャンオフィシャルファンクラブ http://park-shinyang.com/
「パリの恋人」「銭の戦争」「風の絵師」と最近はドラマでの活躍で日本でも人気の演技派俳優パク・シニャン。昨年5月の来日以来、約1年ぶりに神戸と東京2箇所でファンミーティングを開催しました。 第1部では、一人芝居で半生を振り返り、第2部では、韓国ドラマ制作社協会から無期限出演禁止処分を受けたことを心配するファンとの真剣なトーク。俳優としての真摯な姿を見せてくれました。
5月10日に、ドラマ出演料請求訴訟では勝訴したシニャン氏ですが、この判決が出る1ヶ月前に、無期限ドラマ出演禁止問題について心境を語ったファンミーティングと、その前に開かれた記者会見の様子を振り返ってお届けします。
2009年4月11日(土)於 中野サンプラザ
2009年4月11日(土)、12(日)の両日にわたる【DANDE LION パク・シニャンファンミーティング】開催にあたり、記者会見が開かれました。司会は田代親世さん。
DANDE LION(たんぽぽ)にちなんで、胸元に黄色いハンカチをあしらって颯爽と登場したシニャン氏。
シニャン:こんにちは。 こんなに早い時間からお越しいただきありがとうございます。
司会:今日のイベントのために色々準備されたそうですが・・・
シニャン:この後、会場作りを行って公演するのですが、モノドラマといいましょうか、どのような呼び方が合うのか相談したら、「一人芝居」がいいのではないかと言われました。過去を振り返った内容のコントを、ファンの方々への感謝の気持ちをこめて、恩返しをする気持ちでスタッフと一緒に準備しました。新しい姿を見せることができることと思います。
司会: 映画、ドラマ、それぞれの魅力は?
シニャン:演技する立場からは大きな違いはありません。共通点の方が多いと思います。あえて言えば、ジャンルの違い。映画ではドラマでは使われない素材を扱うかと思います。ドラマでも多岐にわたることを扱っていますが。役者にとっては、違いはあっても、どちらもいい。これまで出演した作品を例に挙げれば、『ビッグ・スウィンドル!』(2004年)は、映画であるべきもの、「パリの恋人」「銭の戦争」などの最新作はドラマに向いたものだと思います。
司会: 日本の俳優で共演したい人は?
シニャン:日本には、演技の上手い役者があまりにもたくさんいらっしゃるので、スタッフと質問が出たらどう答えようと話していました。昨日、奈良橋陽子さんという方にお会いしました。彼女はキャスティングディレクターであり、ハリウッドとの架け橋をされている方です。2時間ほど、演技とは何か?と熱く語り合いました。お互いの考えがとても似通っていると思いました。彼女は映画『ラーメンガール』も撮っています。機会があれば、彼女と一緒に仕事ができればいいなと思いました。
司会: 日本には公式ファンクラブもあります。日本のファンにメッセージを!
シニャン:ファンのことを愛しています。感謝しています。日本で作品が公開されて、日本に来ることができ、イベントなども行えるようになりました。10回程来日しましたが、こういった状態がいつまで持続するかわかりません。日本に住んだことも、友人もいません。でも、こうして縁ができましたので、これからも友情、愛情を持続していくという私の姿勢は変わらないとお約束します。皆さんの声援に対して何ができるだろうかといつも考えています。
司会: 今後の活動予定は?
シニャン:(田代さんに話しかけるようにしたりし、言葉を選びながら長々と語るシニャン氏)これからやるべきことがたくさんあると思っています。9月からNYIT(ニューヨーク工科大学)の大学院で演技の講義を行うことになりました。韓国とロシアで10年間学び、その後、10年間実際に演技してきました。学ぶことがいかに大事かを考えさせられました。上手く教えることは役者にとっても重要なことです。「風の絵師」の出演をきっかけに、弟子に教えることの大切さを学びました。これから役者を目指す後輩たちに何ができるかと考えた結果、奨学金制度を作ることになりました。NYITとご縁があり、教える機会も持てることになり、アメリカの学生たちが何を考えているかも知ることができることと思います。奨学金を全世界的に100程作りたいと思っています。役者の先輩として、役者へのいばらの道を歩んでいく後輩たちにどうしたら役割を果たすことができるか努力していきたい。私以外にも大勢の賛同者を探していかなくてはと思っています。韓国だけでなく、アジアの学生たちが共に学べるアカデミーが作れればと願っています。夢は全世界的規模で演技の学校を作ることです。
― 奨学金第1号を、東国大学の学生に出されると伺いました。その方にどんな言葉をかけたいですか?
(ここで、ライトが倒れそうになる。)
シニャン: ダイジョーブデスカ? (あわててライトを持ち上げる取材陣) ソウル芸術大学と、私の出身校である東国大学と一緒に3つの奨学金を作りました。16日に3人が対象に選ばれることになっています。1人はシナリオ専攻、2人は演技専攻です。奨学金は、私以外にも数十人が関わっています。「おめでとうございます。ありがとうございます。友達になりましょう。心の中に耳を傾けて、演技したりシナリオを書くのに、色々大変なことがあるけれど、応援している仲間・友達がいることを忘れないで、最善を尽くして」と、声をかけたいと思います。演技したり映画を作ったりすることは、韓国に限って辛いわけではありません。芸術家の道を目指す人が日本にもいれば、奨学金を作っていきたいです。
(手を挙げた人を指差すシニャン氏)
― 答えにくいかもしれませんが、韓国ドラマ制作社協会から出演停止処分を受けたことについてお聞かせください。
シニャン:(にっこり笑う)どんな答えが返えるか、皆さん、気になるでしょう。(ここで、前列にしゃがんでいた記者が床に倒れる。絶妙のタイミングで倒れた彼女に)ダイジョーブデスカ?(と、優しく声をかけ、少し、場の雰囲気が和んだところで核心に) これまでは、このような話をする機会がありませんでした。「風の絵師」の1年間の撮影を終えて、家族の待つニューヨークに帰って、子供を学校に送ったり、雪だるまを作ったりしていたら、ある日、突然ニュースが飛び込んできました。出演停止処分を下した人がどういう人かも知らない状況でした。ずっと一生懸命に演技してきた人間なので、それを知る機会もなく、どういう理由なのかもわかりません。特定の役者に対して、出演停止を下す権利のある人たちじゃないと思っています。素晴らしい企画があれば参加したいと思います。韓国だけでなく、日本でもアメリカでも。演技という愛している仕事を続けたい。それと別に奨学金はこれから30年かけてライフワークとしてやっていこうとスタートを切ったところです。 もう少しいいですか? 生きているといろんなことに巡りあいます。自分と関係ないところで色々言われます。当たっていることもあれば、そうでないこともあります。ぽかんとして、自分でも何が起こったのかわからない状況です。
(言い終えて、ちょっとほっとした様子のシニャン氏でした。)
― 眼鏡がトレードマークで素敵だなと思います。いくつ位お持ちですか? 眼鏡は戦略の一部ですか?
シニャン:眼鏡が好きで着用しているのですが、実は、レーシック手術を受けようと思ったら、角膜が薄くて手術できないといわれました。眼鏡をかけなくてはならなくて、気がついたら100個以上になりました。何かランキングに入りますか?
― 充分入ります!
一つ一つの質問に、手振りを交えながら、まじめに語るシニャン氏。実は、出演停止問題のことを勉強不足で知らなかった私たち。思えば、核心に触れる前のシニャン氏は、少し歯切れが悪かったような気もします。最後の眼鏡の質問には、ほっとしたのか、いつもの素敵な笑顔を見せてくださいました。これからは、後進の指導に当たりながら、世界にはばたく活動を期待したいと思います。もちろん、スクリーンでまた彼の姿を観れる日が近いことも願いながら! (咲)
「人生はアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇だ」 by Charles Chaplin
(Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot. by Sir Charles Spencer Chaplin, Jr. …原文)
冬が来るとロシアで学んだ記憶が甦る
黄色いタンポポ
長い冬をぬけると一面に大地を埋め尽くすその花は美しい
限りなく可憐
長い灰色の冬を笑いながら、空と大地を彩る。野原一面に
長い冬が去るとタンポポが咲く
春の訪れを知らせてくれる
その綿毛は、世界中に飛んでいく
冬は必ず来るけれど、春も必ず来る
舞台の真ん中に置かれた自転車に乗ってみる
よろよろと蛇行
小さい頃、転ぶこともあった
人生の時の中で道に迷い、何をどうすべきか見えずにロシアへ旅立った
演技、芸術、信念、信頼、愛・・・の意味を全身全霊で学ぶために
飛行機の轟音
「水を! やっぱりコーラ・・・いやビール! 無料ですよね?」
手にする雑誌のロシア語は、逆さ
ロシア語のアルファベットを覚え始める
ロシアに到着
「イヤ~ッ!」
レーニンになったような気分で挨拶
空港には、なぜか熊
税関で「何ができる?」と聞かれる
指を曲げる
「子供のころにサーカスを少し」
ボール3つを起用にあやつる
「歌とか踊りとかできないのか?」
「歌っていいですか~?」
歌ってみる
「パリの恋人」
暇さえあればモスクワを歩き回った
想像を絶する冬の寒さ
布団を荷物から出す
オムニ(お母さん)が用意してくれた荷物
アイロン・・・一度も使うことはなかった
顔にあててみる
「真似しないで~」
アイロンや鍋を放り投げる
あかすりタオル・・・ こんなものはロシアには絶対ないだろうと持ってきた
1枚の写真・・・ 愛する人
彼女のために、なんでも2つ買うくせがついた
枕も2つ
いつか必ず来ると
誰かを待つのは幸せ
音楽の先生は、素敵なおばあさんだった
♪「恋人よ」♪「ギンギラギンにさりげなく」
(ちゃんと日本語で口ずさむシニャン氏)
♪「A Hold New World」
(実にいい英語の発音!)
ロシアの歌にしよう! と、さらに楽しい歌をくちずさむ
歌うと幸せになることを学んだ
時が経った
彼女は来なかった・・・・
亀のように像のように進んでいきたい
人生の中でまだ何十年も使える時間があることに感謝しよう
失う苦しみに耐えよう
男3人、英語で歌う
「ロシアを馬鹿にするのか?」と、チンピラが寄って来る
今こそテコンドーだ!
頭の中で作戦をねる
コサックダンスをしてみる
ピストルを撃つ自分を想像
演技と芸術の為に来たのに、ダメダメ
「お金ならここに!」
「カバンは置いていって! 俳優になるための服とスニーカーが中に入ってるから!」
数日後、彼女が結婚したことを知る・・・・
何もできなくなる
歌う
思い出があるから、生きていける・・・
演技は無理に作るのではなく、舞台で起こる真実でなければならないと学んだ
世に出ることを決める
1996年『ユリ』
1997年『手紙』
1997年『モーテルカクタス』
1998年『プアゾン』
映像が映し出される
その間、舞台の袖に消えたシニャン氏。
再び登場し、「銭の戦争」の中で歌った「パワーレンジャー」を熱唱しながら、皆と踊る。
手に手に黄色い花を持ったイベントスタッフの方たちを紹介。
司会の田代さんが登場し、シニャン氏にどんな思いで、今日の準備されたのかを聞く。
一人芝居は、タンポポをキーワードでお芝居を構成。
実話、実体験がベースになっている。
頭の中の記憶と演技的な要素で作った。
飛行機の中でアルファベットを覚えたのも、恋人を待っていたのも事実。
「鍋やアイロンは放り投げませんでした」
「ロシアに何があるかわからないから、なんでも詰めました。アイロンはロシアで買うほうが安くて、持って行くことはなかった!」
今日の一人芝居の準備は、2ヶ月前から始めたという。
そして1ヶ月前から本格的に練習をし、2週間前からはほぼ毎日練習。
♪「ギンギラギンにさりげなく」は、確か中学生の頃に聞いた。
劇中の歌は自分の歌を録音。
ここで田代さんが、「シニャンさんのミュージカルを観てみたい!」と言う。
シニャン氏、「ミュージカルは、自分もすごく好きで、学校に通っていた頃は舞台に立つのが夢だった。映画、テレビ、ドラマなどに出ていてチャンスを逸したけれど、こういう機会を得て嬉しかった」と、ほんとに嬉しそうに語る。
「チーム パク・シニャン」は、様々なプロジェクトを共に作っていくメンバーのこと。
その時々でそれが5人の時もあれば、10人、15人、25,30…人となるときもある。
色々なことがわかっている人達と作っていくことが大切。
「自分はあまり賢くないので!」と、謙遜するシニャン氏。
シニャン氏は大学を卒業した頃、道を失い、取り戻すのに10年かかった。
こんなに悩む人はそういないと思う。
演技を目指す人は、10年、20年かかっても、その道を探すことは必要だと思う。
そうすることで他の人を幸福に出来る。
これからの自分…大丈夫。
拍手、愛情、声援…みんなにしてもらったことを、演技を目指す後輩たちにしてあげたい。
奨学金のプロジェクトを立ち上げ、第1回目は、4月16日に東国とソウル芸術大学の学生3名を選ぶことになっている。
役者は、とても孤独な道。自分の為に何かをするより、色んな人と喜び、何かを与えるのが使命。
チャップリンの言葉じゃないが、人生は近くで見ると悲劇だが、遠くで見ると喜劇。
だから、喜びを持って仕事をして欲しい。
「風の絵師」を撮っている間に、弟子や後輩を愛することを学び、奨学金のことを思いついた。
自分の師匠の愛にも気付いた。
昨日、田代さんから、「風の絵師を通じて、何を学びましたか?」と聞かれて、後輩にそそがれる愛が失われつつあるのではと気付いた。それを取り戻したい。
シニャン:皆さん、心配されましたか?
会場;はい!
シニャン:心配されている皆さんがもっと心配です。僕のことをどうしてこんなに心配して下さるのだろう。皆さんの気持ちをぜひ聞かせてください。
シニャン:苛立ちを募らせてしまったのではないか心配です。もう少し聞かせて下さい。
ここでシニャン氏がいきなり会場に降りていく。どうも泣いているファンが舞台から見えたらしい。直接、話を伺いたいと泣いているファンの傍へ。
シニャン:泣かないで。僕も胸が痛みます。どうか泣かないで下さい。
シニャン:沢山の話を聞かせて頂き、感謝しています。こんな風に深刻な話をすることになるとは思っていませんでした。これまで皆さんの意見を聞く場をもつことは1度もありませんでした。私がどんな風に感じていたか、話を聞いて下さい。僕より先に家族がニュースを耳にしました。「こんなことが今騒ぎになっているわよ」と。ドラマ出演禁止と言った韓国ドラマ制作社協会がどういう人たちなのか、私は全く知りません。正直に言うとそれまで存在すら知らなかったのです。彼らの助けがあった中で仕事をしてきたのではありません。彼らが何を望んでいるのか知りません。僕の身上に起こった出来事だけど、僕も何をすべきかわかりません。こうして真摯に聞いて下さる人がいることが幸せです。映画、ドラマ、日本、ハリウッドに関わらず、自分の愛する仕事、心惹かれる仕事をこれからも続けていきたいです。自分の仕事を愛して、自分の道だと確信を得るまで10年かかりました。自分が何をすべきか答えを見付けるまでは、死んでもよいと思っていました。見付けるまでに10年かかり、その後10年ずっと仕事を続けてきました。私に起こった出来事によって、悲しんでいらっしゃるファンの方を目の前にして胸が痛く、感謝申しあげて頑張ります。だから、心配しないで下さい。皆さんも力を出して下さい。
ここで、大学時代の恩師、音楽監督、映像監督からメッセージ。(サプライズのビデオレターに、シニャン氏も感激のようす!)
シニャン:ロシアでも素晴らしい先生に出会えました。胸の中に2人の先生がいつも存在しています。こうしたら良い、これはしない方がよいと語りかけてくださいます。大切なことは特別なことではなくて、ありふれた日常にあります。皆の心が詰った家を北海道夕張に作りたい。夕張は色々なことを考えさせてくれる町です。あの町がどうなっているのか、どうやって回復していくのか気になって1度行きました。家があれば行く機会があって考えるきっかけになります。夕張の役に立つことも出来ます。
もうお終りの時間が近づき残念です。嬉しい気持ちでお別れしたいです。今までも、楽しい気持ちでお別れしてきましたよね。皆さん、元気を出して下さい。僕も出しますから。皆さん、ファイティン! ファイティン!! オ~カムサハムニダ
しんみりとファンと語り合ったシニャン氏。最後に、英語で1曲、韓国語でもう1曲。アンコールは明るく「パワーレンジャー」の歌で締めくくりました。
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記者会見で、初めてシニャン氏の“銭の戦争”を知りました。(すみません;)
何だか、ドラマ「銭の戦争」で、“銭の戦争”というのも皮肉なもんだな…と。
ファンミを待つまでの間、そのことについて検索し、ある程度の概要をつかんだ上でファンミに臨みました。会場の中野サンプラザは、年齢層こそ高めなものの、シニャン氏乙女らが集結! 一生懸命な健気さが可愛らしかったです。
さて、ファンミですが、シニャン氏の真面目で真摯なお人柄に加えて、今回のテーマである「DANDE LION(たんぽぽ)」よろしく低姿勢でしっかり大地に根を張り、一生懸命に花開かせ、そして自由にその種を世界中にめぐり飛ばせる…土着の底力も感じさせるものでした。
ファンミというと、華やかなお祭りってイメージがありましたが、今回のトラブルもあってなのか、今までに経験のあるものとは違い、彼とファンの方々との想いを交わしあう、意見交換会みたいな感じ。双方の気持ちにウルってきました。また、それまで持っていたシニャン氏のイメージというとクールであまり感情の振幅や熱を感じさせない人でしたが、今回彼の葛藤の片鱗に触れ、また、自分を支え育ててくれた先達、仲間に感謝し、自分と同じように迷う後輩達を支え育て応援すべく基金を作ったって話にもじぃ~ん。彼の温かさ、熱さ、篤さ、厚さといったもの感じました。“銭の戦争”が平和的に解決するといいですね~(と思っていたら、時は流れ…よい方向で帰結するようで良かったですね♪) …にしても始終大人の対応でした。ウリ日本の同世代男優で、彼のようにしっかりした輩って果たして?! 韓国の俳優の方々は一様に成熟していると改めて思いました。
余談ですが、個人的に抱えている問題へのヒントやアドバイス? と思えるようなコメントもありました。(薗)
昨年5月の来日レポートは、こちら → http://www.cinemajournal.net/special/2008/parkshinyang/index.html