女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
ホーム
特別記事
作品紹介
スタッフ日記
映画祭報告
おすすめ映画
本誌紹介
リンク
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
第22回東京国際女性映画祭 上映作品紹介
『カティンの森』
監督:アンジェイ・ワイダ
原作:アンジェイ・ムラルチク長編小説「死後」
脚本:アンジェイ・ワイダ、ヴワディスワフ・パシコフスキ、プシェムィスワフ・ノヴァコフスキ
撮影:パヴェウ・エデルマン
音楽:クシシュトフ・ペンデレッキ
マヤ・オスタシェフスカ(アンナ)
アルトゥル・ジミイェフスキ(アンジェイ)
ヴィクトリャ・ゴンシェフスカ(ヴェロニカ)
マヤ・コモロフスカ(アンジェイの母)
ヴワディスワフ・コヴァルスキ(ヤン、アンジェイの父)
ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の積年の思いが込められた作品。
ドイツのヒットラーとソ連のスターリンの密約により、ポーランドは1939年に双方から侵略された。 ソ連の捕虜になった約15000人のポーランド将校が、1940年を境に行方不明になり謎となっていた。
1943年ドイツがソ連に侵略した時、カティンでポーランド将校の遺体を発見したことから「カティンの森」事件が明らかになった。
ワイダ監督の父も、アンナを演じるマヤ・オスタシェフスカの曾祖父もカティン事件の犠牲者だ。
今年観た中で、No.1の重い映画。
重い内容ではあるが、わかりにくい部分はなく、カティン事件を名前だけ聞いていた私にも理解できた。
この映画の見どころというか、ワイダ監督の巨匠と言われる所以がはっきり解るシーンは最初と最後のシーン。
始まりでポーランドの行き場のない国の状態を、最後は坦々とした作業のように殺戮が・・・。
スクリーン真っ暗になり、10~20秒そのまま無音の状態で、そしてエンドロール…。
無音の中、将校たちの叫びが聞こえてくるようだった。
この暗黒無音の何秒間にこそ、ワイダ監督の積年の思いが込められているように感じた。(美)
12月5日(土)より、岩波ホールで上映
『赤い点』
監督・脚本:宮山麻里枝
撮影:オリバー・ザクス
音楽:ヘルムート・ジンツ
猪俣ユキ(小野寺亜紀)
ハンス・クレーマー(ヨハネス・ウェーバー)
オルランド・クラウス(息子エリアス)
音無美紀子(亜紀の叔母)
大和田伸也(亜紀の叔父)
東京で学生最後の年を向かえる亜紀は、就職活動にも身が入らぬまま帰省した。 偶然、実家の押し入れから古い家族写真とドイツの地図を見つけた。 その地図には赤い点が記されていた。 叔父、叔母の心配をよそに、亜紀はその赤い点に吸い寄せられるように、一人南ドイツに旅立つのだった。
宮山監督は学生時代より映画サークルで8ミリ映画を制作していた。 後に、ミュンヘンテレビ映画大学に、初の日本人として入学を許可された。 この作品は長編第一作目で、モントリオール国際映画祭を皮切りに各国の映画祭で高く評価され、 6月にドイツで一般公開された。
赤い点で起きた事故を知らずに生きて来た亜紀と、反対に忌まわしい過去を引きずってきたドイツ人ヨハネスの複雑な人生が交差するが、亜紀は私たちが考える怨み言葉など最後まで言わない。
彼女は赤い点にひき付けられ、南ドイツの片田舎に来たが、それは、自分の人生の中で、おぼろげな記憶である一番の辛い体験の原点を見つめ直し再生しようとする、無意識下の行動ではなかったか。
亜紀がこの一人旅で得たことは、(許せる)自分を発見したこと。そして、(許せる)自分にはぐくみ育ててくれた叔父、叔母への感謝だったと思う。(美)
『アンを探して』
監督:宮平貴子
企画・原案・製作:ユリ・ヨシムラ・ガニオン
プロデューサー:サミュエル・ガニオン
製作総指揮:クロード・ガニオン ポール・カデュ
脚本:KIKYO GONPIN
出演:穂のか、ロザンナ、ダニエル・ピロン、紺野まひる、高部あい、ジョニー・サー、吉行和子
配給:シネカノン グランジュテ 配給協力:映画センター全国連絡会議
2009年日本・カナダ合作映画
上映時間:105分 配給:シネカノン、グランジュテ
公式WEB:
http://www.grandjete.jp/lookingforanne/
10月31日(土)よりシネカノン有楽町1丁目ほかにて全国順次ロードショー
亡き祖母の思い出を胸に、少女・杏里は一人プリンス・エドワード島にやって来た。 遺された古いノートに綴られた、祖母の初恋のカナダ人兵士を探していたのだ。 そんな杏里を温かく迎えるB&Bの女主人マリ、マリに想いを寄せる隣人ジェフ。 島で暮らす人々にも、悲しい過去と、悩みがあり、様々な出会いの中で杏里の悲しみに 閉ざされた心もいつしか癒され成長してゆく。
© 2009 Zuno Filmsグランジュテ
記者会見で宮平監督はケベックからの助成金も得ました、と話してました。 とても細くて綺麗な女性監督! 100年前モンゴメリが書いた「赤毛のアン」は世界中で翻訳され、 日本でも多くの人に今もなお感動を与え続けている。 パンフレットに「主演の穂のかさんは“とんねるず”の石橋貴明さんの娘」 と書かれてありました。そう言われて見ると、似ている感じがしました(笑) 宮平監督も穂のかさんも、これからの活躍が楽しみです。(千)
何も下調べしないで『アンを探して』を観に行ったので、タイトルから赤毛のアンゆかりの場所をプリンスエドワード島に探しに行く物語かな?と思ったのですが、赤毛のアンが大好きだった故静香ばあちゃんの思いをたどる旅に出た孫娘杏里の物語だったのですね。それも家族の誰も知らなかったばあちゃんの初恋の思い出の人を探す旅。
主人公杏里とゲストハウスの女主人マリの静香おばあちゃんに対する思い、そして隣人たちや村人たちとのやり取り、物語の作りがすばらしいと思いました。
杏里の思いは達成することができないと思いきや、感動的な最後が用意されていました。「赤毛のアン」翻訳者、村岡花子さんの思いも詰まった作品だと思います。
主人公杏里のなんだかはっきりしない優柔不断な態度に、最初はちょっといらいらしましたが、それも最後のシーンで吹き飛びました。なによりもこの島の美しさ、ゆったりとして居心地のよさそうな雰囲気が良かったので、この作品を観て、私はいつかこのアンの島、プリンスエドワード島にぜひ行ってみたいと思いました。観終わった後、映画の余韻に浸り幸せな気分になりました。
そして、数十年ぶりに「赤毛のアン」を読み返してみたいとも思いました。
マリを演じたのは、ヒデとロザンナのロザンナ。この映画ではバラの花がキーワードでしたが、ロザンナとはローズとアンに由来するとのこと。奇縁を感じ、この役を快諾したそうです。静香さんとはネット仲間で、プリンスエドワード島でB&B(Bed & Breakfast ペンションのような感じ)を経営しているという設定でした。
知られざる戦争中の捕虜の話も出てきて、たくさんのカナダの兵士が日本で死んだという話をも織り込まれていました。実際にあった話だそうですが、今の日本人で知っている人はほとんどいないでしょう。この映画で初めて知りました。
この映画の企画をしたのは、数年前あいち国際女性映画祭でお会いしたユリ・ヨシムラ・ガニオンさんと知り、びっくり。そのときは『KAMATAKI 窯焚』の上映で来日していました。その後、こんな素晴らしい作品を企画していたのですね。
東京国際女性映画祭でこの作品を観ることができたら、宮平貴子監督にもお会いできたかなと、ちょっと残念。ユリさんも宮平監督もモントリオール在住ですからね。いつか、またの機会にお話しを聞いてみたいと思いました。
この『アンを探して』が、12月4日シンガポールで開催されたアジアンフェスティバルオブファーストフィルムの最優秀監督賞と作品賞の2冠獲得したそうです。日本人初とのこと。
おめでとうございます。
共同のニュース記事です
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009120401001102.html
シネカノン有楽町1丁目にて12/22まで上映中なので、ぜひ皆さん行ってみてください。
幸せな気持ちになれます。(暁)
『Beautiful Islands (ビューティフル・アイランズ)』~沈みゆく3つの島~
監督・プロデューサー・編集: 海南 友子
エグゼクティブプロデューサー : 是枝 裕和
撮影 : 南 幸男
VE : 河合 正樹
整音 : 森 英司
クリエイティブアドバイザー : 向山 正利
HD :110分 英語(イタリア語ツバル語含む・日本語字幕付き)
2001年にはインドネシアの元従軍慰安婦を追ったドキュメンタリー『マルディエム彼女の人生に起きたこと』を撮り、2004年年には日中戦争で日本軍に遺棄された化学兵器が、現代の中国の人たちを苦しめている姿を追った『にがい涙の大地から』を撮っている海南友子監督の最新作は、地球の気候変動(温暖化)を扱った作品。3年の歳月をかけ、南太平洋のツバル、イタリアのベニス、アラスカのシシマレフ島の3ヶ所で撮影している。
気候も文化も違い、離れ離れに存在する三つの美しい島、南太平洋のツバル、イタリアのベニス、アラスカのシシマレフ島は、気候変動に揺れている。地球温暖化により沈んでしまうかもしれない島とそこに暮らす人々の生活を3年に渡って追ったドキュメンタリーがこの作品。
最初に出てくるツバルの子供たちが、ヤシの木から海に飛び込むシーンが印象的。くったくのない笑顔がとても魅力的だった。しかし、世界で最初に海に沈むのではないかと言われているこの島の実情は厳しい。島が沈むとは信じられない島の人たちの思いがある一方で、ひしひしと押し寄せてくる海の姿が描かれ、そこに暮らす人々の暮らしに影をおとしているのが伝わってくる。それぞれの島の人々の日常生活を描きながら、水位が上がって行くことで、変えざるを得ない生活が描かれる。地球温暖化はこれらの島に住む人々の暮らしを脅かしている。
祭りや、伝統工芸など、人々が大事にし、受け継いできた文化。ゆったりとした水辺の暮らし、子供たちの笑顔、どれもなくしたくない生活である。気候変動の影響で、故郷の島がなくなってしまうかもしれない中での暮らし。人々の生活に密着し、危うい現代を描く中に、失いたくないものへの思いが込められている。
波の音や風の音に耳を澄ませるため、あえてナレーションやBGMを入れない作りになっている。感じる映画である。
ティーチ・インでの海南友子監督の話
私は地球温暖化という言葉は好きではなく、気候変動という言葉を使っています。 この作品で言いたかったことは「地球温暖化により何が失われるか」それを追求したいと思いました。南太平洋のツバル、イタリアのベニス、アラスカのシシマレフ島の3ヶ所で撮影していますが、皆さんが訪れた感じに撮りたかったのです。
シシマレフなどは、乗り換えが多く、行くのに3日はかかります。ロケバスがあるわけでもなく、長い長い旅の末にたどり着いたところがシシマレフです。撮影は苦労の連続でした。
3ヶ所の実態を撮ったのですが、地域ごとに気候変動による受け止めかたが違うので、対処の仕方もそれぞれです。シシマレフの人たちは、島内移動。村ごと移住しました。ベネチアの人たちは、長くここに住んでいて、何があってもここに住み続けたいと願っています。ツバルは人口1万人くらいの国家です。ハリケーンがあると大変です。水浸しになってしまいます。
この、気候変動という問題は、今、生きている人たちだけでなく、未来の人たちに向けて考えていかなくてはいけない問題です。一ヶ所だけではなく、いろいろなところの現実を撮る事で、気候変動が身近な問題であることを伝えたい。ベネチアは都会ですが、ツバルもシシマレフも都会からは離れています。街に住み便利な生活を送り、CO2を出しているのは都会人、その影響を受けているのはそういう生活をしていない人たち。そういう矛盾を伝えるため、こぶしを振り上げずに、ポエムのような作品を作りたかった。
ツバルの人たちはメディアネットやラジオ局、国営ホテル(衛星放送がある)から情報を得ていますが、船員の学校があり、その卒業生たちが世界中を飛び回っているので、その家族から情報を得て世界のことを知っています。またツバルでは、家族の間で歌を歌います。ご飯前に歌ったり、1日の終わりに家族で音を合わせるのですが、このハーモニーがすごくそろっていて、とても印象的でした。 彼らの祭りを撮影した後、地元の祭りに行きたくなりました。いろいろなコミュニティを撮影していて、自分のコミュニティに戻りたいと思いました。この撮影を通して、私たちはいかに自然とかけ離れた生活をしているかと思いました。
本作は2009年10月11日、韓国釜山国際映画祭でワールドプレミア上映され、釜山国際映画祭・アジア映画基金AND賞を受賞。副賞として韓国国内での公開が決定しています。日本人監督のドキュメンタリー作品が韓国国内でロードショー公開されるのは初めて。2010年に韓国で公開予定。日本公開も2010年予定となっています。(宮崎)
海南友子監督のHP
http://kanatomoko.jp/
return to top
本誌「シネマジャーナル」及びバックナンバーの問い合わせ:
order
cinemajournal.net
このHPに関するご意見など:
info
cinemajournal.net
このサイトの画像・記事等の無断転載・無断使用はご遠慮下さい。
掲載画像・元写真の使用を希望される場合はご連絡下さい。