2009年9月5日(土)
9月12日(土)からポレポレ東中野で映画が公開されるのを目前に来日したラモーナ・ディアス監督にインタビューの時間をいただきました。
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― いろんな意味でイメルダ夫人のイメージが変わる興味深い作品でした。最初に確認したいのですが、監督はフィリピン系アメリカ人でいらっしゃいますが、監督ご自身、マルコス時代にフィリピンにいた経験はあるのでしょうか? また、マルコス時代、マルコス政権やイメルダ夫人に対してどのようなイメージを持っていらっしゃいましたか?
生まれ育ちはフィリピンで、16歳までいました。マルコス時代をフィリピンで経験しています。マルコスは、人間というより、それを越えた大きなイメージとして存在していました。写真が町中どこにでもあって、新聞もテレビもいつもマルコス夫妻のことを事細かに伝えていました。新聞のトップページで、イメルダが飛行機で飛び立つところや、飛行機で帰ってきた姿がよく報道されていて、いつも旅行しているイメージを子供心に持っていました。
アメリカには、大学進学のために自分の意志で行きました。その後、子供がアメリカで生まれて、子供が自動的にアメリカの市民権を得たので、私自身もフィリピンの籍を放棄してアメリカ籍を取得しました。
― 監督が前作を撮られた折に初めてイメルダ夫人に会った時、15分のインタビュー予定が5時間になったと、あるインタビュー記事で拝見しました。イメルダ夫人がおしゃべり好きで一方的にお話しされたのでしょうか? それとも意気投合して、話がはずんだのでしょうか?
どちらかというと一方的でした。意識の流れのようで人柄のわかるものでした。マルコス夫人はハードトーキング。「リッスン!(聞いて)」と言ってお話されるのです。インタビューして、人によっては、聞かれたことしかしゃべらない人もいるけれど、一方的にお話されました。特に私を気に入ったかどうかはわからないのですが、人に話を聞いて貰いたいタイプですね。
― 会う前に持っていたイメルダ夫人のイメージと、初対面の時の印象には違いがありましたか?
私が会う頃には事前に情報が入っていたので、びっくりしたようなことはないですね。「話をひたすら聞くんだよ」と言われて、イメージが先行していました。会ってみて魅せられました。彼女に俄然興味を持ってしまったので、「映画を撮りたい」と申上げたら、すぐに「いいわよ!」と。
― 会う前から映画を作ろうと思っていたわけじゃなくて、初めて会って話しているうちに映画を作る話になったのですね。
そうですね。で、その場でOKの返事は貰ったけれど、もちろん詳細は後日にと。それが1992年のことでした。4年後に具体的な話をしに再訪しました。
― スパンの長い話ですね。
そう! ロング! ロ~ング!
― 1992年というと、イメルダ夫人はすでにアメリカから戻られていたのですね?
1989年にマルコスが亡くなられ、フィリピンに戻って国会議員をされていました。
― 撮ろう! と思った一番の魅力は何だったのでしょうか?
一番の魅力は、完璧なドキュメンタリーの対象ということでした。被写体として最高の魅力がありました。「camera loves her(カメラが彼女を愛す)」と言いましょうか。まさにカメラ向きの人物。肉体的な魅力だけじゃなくて、観る人が目を離せない魅力を持っています。話が面白いし、波乱万丈の人生。アンチヒーローに惹かれたともいえます。私にとって、彼女を撮るということは大きな挑戦でした。イメルダは一方的な報道をされてきました。イメルダの全体像を、内面まで入っていって描くことは誰もやっていませんでした。年齢的にも、彼女を撮る最後のチャンスでした。
― もともと大学にも映像を目指して入られたのですか?
大学院でドキュメンタリー製作を学んだのですが、第一作目の長編『Spirits Rising』は卒業製作でした。
― アメリカで大学生活をおくりながら、革命のことを撮りにフィリピンに帰られたのですか? 監督ご自身は革命に参加された経験があるのでしょうか?
1986年には、ロサンゼルスにいましたから、革命には直接参加していません。追体験する意味でドキュメンタリーを作りました。革命は、中産階級の女性たち、特に主婦たちが生活の糧を脅かされることも厭わずに立ち上がったのです。静かなる女性たちが立ち上がったことに興味を持ちました。闘士として町で闘った女性については報道されていましたが、表に出ない人たちのことを描きたいと思いました。
- 中産階級の方は力を持っていると思います。一方、フィリピンには貧困層も多いと思うのですが、中産階級との格差は?
確かに格差があります。階級社会ですね。アメリカなどの中産階級と違って、フィリピンでは中産階級がすごく少なくて、中流の上という感じで、すごくお金持ちで上流に近いです。
― 一方でフィリピンでは出稼ぎをして生計を立てなくてはならない人たちも多くて、家族が一緒に住めないという現実がありますが、そのことについて、イメルダ夫人はどのように考えていたか聞いたことはありますか? また、女性が外に働きに出るケースが多くて、フィリピンの女性は強いというイメージがあります。
興味深い質問です。家族が離れて住まなくてはいけないという事情について、イメルダさんと話したことはありませんので、どう思っていたかはわからないですね。出稼ぎがフィリピン経済を担っているともいえますし、出稼ぎは大きな問題ですが。また、確かにフィリピンでは、女性が教師や看護士や家政婦として働きに出て、男性が家に残るケースが多いですね。イメルダさんは、女性の問題をわかっていた人で、例えば映画にも出ていたように家族計画をやり遂げた人。家族計画については、フィリピンに多いカトリック教会と真っ向からぶつからなければいけない問題でした。時代に先んじて意識の高い人なのですが、家族離散については話したことがなかったのでお答えできませんね。
― リビアのカダフィとの交渉の場面、イメルダ夫人の可愛い部分がよく表れていて印象的でした。政治家としての彼女の手腕を見せる映像として、いくつもの資料の中から選ぶ作業は大変だったと思います。採用する映像に関しても、イメルダ夫人の了解をすべて得たのでしょうか?
ノー! 私にとって重要だったのは、イメルダ夫人が映画について口出ししないことでした。きちんとその条項も入れて契約していましたので、使用する映像についてはいちいち夫人の許可は取っていません。最終編集権も私が持っています。
― イメルダ夫人には1ヶ月の密着取材をされていますが、資料映像を探すのには、膨大な時間がかかったと思います。フィリピンで資料映像を入手されたのでしょうか?
記録映像は、自分で探すのには膨大な時間がかかるので、リサーチの専門家を雇って集めてもらいました。アメリカではABCやCBS,ワシントンDCの国立資料館、ロンドンのBBC、日本のNHKのものも探しました。アソシエート・プロデューサーがフィリピンの政府の保存庫にある映像をチェックしてくれて、マスターコピーを私は持っているのですが、後日、他の人が保存庫に映像を借りようと思って行ったら、フィルムが悪くなったので廃棄したといわれたそうです。政府にはきちんと保管する予算もなかったようです。
― イメルダ夫人から上映差し止めを言い渡されましたが、どこが気に入らなかったのかについて、本人から聞いていますか?
ほんとのところはわかりません。プライバシーの侵害をされたからとか、まさか上映されると思っていなかったとか、学生映画だと思っていたとか言われました。私は署名入りの契約書を持っていましたので、裁判で負けるとは思っていませんでした。イメルダ夫人は、最初、完成作品を2004年1月に観て気に入ってくれました。もちろん、多少の問題はあって、100%気に入るということはなかったと思いますが。その後、2004年6月にアメリカ公開が決まって、ニューヨークタイムズ誌に「妄想癖がある」などと書かれて、そういうイメージで見られているということにハッと気がついたのでしょう。それで上映差し止めと言ったようです。1月から6月まで、何も文句を言われなかったのですが。
― ご子息などの協力もあって、取材が可能になったのだと思うのですが・・・
確かに長男の方などの協力もあって映画は出来ました。たぶん、心の底でイメルダさんはこの作品を気に入ってくださっていたと思います。自己中心的だとか、欺いているように言われたのが気に入らなかったのでしょう。イメルダさん側の話を伝えたものは、これまでなかったし、誰も作ってくれないので、この作品がなければ自分で作るしかなかったと思いますので。
― 私自身、イメルダさんのイメージが変わりました。本人の口から語られる話は、報道で知らされていたものとは違うと感じました。フィリピンで公開されて、大勢の人が観てくれたのでしょうか?
多くの人が観ました。イメルダさんが公開中止と言ったので、訴訟問題が新聞の一面に毎日のように載って、結果的に訴訟が却下されたので、上映に皆が殺到してくれました。お金では買えない宣伝ができちゃったという次第です。今、ふと気付いたのですが、フィリピンでは面白いことにテレビでは1度も放映されていません。DVDは発売されているのですが。
― 国を追われたけれどフィリピンに戻り、本人やお子たちも政界に復帰しています。フィリピンの国民の多くは、実際にマルコス一族に対してどのような思いでいるのでしょうか?
フィリピンでは、地域によって全く違います。息子はマルコスの生まれ故郷で知事になりました。マルコスは仕事も作ってくれたし、道路も整備してくれて繁栄を被り、マルコスを誇りに思っている人たちです。娘は、イメルダゆかりのレイテで議員になりましたから、勝って当然です。国民全体に受け入れられたわけじゃないです。
― 本作ではイメルダ夫人に1ヶ月密着取材して、フィリピンの各地で撮影されています。映画を通じて、監督はフィリピンの美しいところを見せたかったのでしょうか? また、前作『Spirits Rising』もフィリピンを題材にしたドキュメンタリーですね。監督にとって故国フィリピンはどのような存在? どんな感情があるのでしょう?
フィリピンには、家族もいて今でもしょっちゅう帰ります。変わらない国、愛憎の関係にあります。娘は12歳でアメリカ生まれなのですが、私が「フィリピンに帰りたい」と言うと、「どうして帰るって言うの? 家はここでしょ」と言います。私の家がどこにあろうと、フィリピンが心の家であることは永久に変わりません。フィリピンはマルコス失脚後も決して政治が良くなったとはいえません。確かに、民主主義はありますし、三権分立や言論の自由はあるけれど、経済的にはいまだに貧困、政治は相変わらず腐敗しています。変えたいと思えば、私がそこに住んでいればいいのですが、住んでいない私には何も言える立場にあえません。将来フィリピンに戻ることがあるかもしれませんが、今の時点ではなんともいえません。でも、とても美しい国。人々は心が広いし、人を信じるいい人の住んでいる国ということはいえます。最初の質問に戻りますと、私がフィリピンの綺麗なところを見せようとしたというより、イメルダさんのテーマがビューティ。私は美しいものを見せながら、スラムも見せています。
― 最近、イメルダ夫人にお会いになりましたか?
ノー・・・会ってないですね。会いたくないわけじゃないのですが。彼女からコーヒー飲みましょうって誘われたら、もちろん行きますよ(笑)。
― 製作から5年経って、日本で公開されることへの思いをお聞かせください。
何年経っても公開されるのは嬉しいです。どうぞ劇場にいらして観てください。イメルダを知らない人が観ても、時空を越えた話で、共鳴する部分を見出していただけると思います。同時にエンターテインメントの要素もありますので、楽しんでいただけると思います。
― 新作をスペインで撮影中だそうですが、どんな作品なのですか?
スペインはバカンスだったの。新作は今、同時に2本撮っているのよ。(と、新作2本のスチールを名刺にしたものを取り出して、好きなのを選んで・・・とおっしゃってくださいました。新作のタイトルは『The Learning』と『Don't Stop Believin': Everyman's Journey』。残念ながら、新作の詳細まではお伺いできませんでしたが、1本はミュージシャンを巡る映画だそうです)
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監督もイメルダ夫人に負けず劣らずのパワフルで雄弁なフィリピン女性でした! 「you know」が口癖のようで、何度も聞えてきたのですが、私には知らない話ばかり。実際、本作を観て、イメルダさんに抱いていた金と権力で贅沢三昧した人物という印象がかなり変わりました。文化センターにしても、自分が着飾ることにしても、国民のことを考えてのことだと、彼女が真剣に語っている姿に、彼女は本気でそう思っていたと感じました。そう思わせるのが上手なのか、本気でそう思っていたのか・・・ 「私はこれまでひどく誤解されてきた。人生のとらえ方が人と違うせいね」という言葉にヒントがありそうです(咲)。
私もこの映画を観て「金と権力で贅沢三昧しただけではない人物だった」と、イメルダ夫人に対する印象が変わった1人ですが、でも待てよと思った。
確かにイメルダ夫人は、日本のメディアの中で一方的に「金と権力で贅沢三昧した人」と報道されてきたかもしれないけど、1986年のピープル・パワーでマラカニアン宮殿を追われた時に残した「3000足の靴と6000着のドレス」は事実。やはり不正蓄財があったのではないかと思った。そうでなければ、こんなにもたくさんのものを持ち、贅沢はできなかったのではないかと思う。それにしても、マラカニアン宮殿を追われ、ハワイに亡命するときに1時間しか時間がなく、持って出たものが孫のためのオムツとその間に挟んだダイヤモンドというのが彼女らしい。たくさんの人たちがゴミの山(スモーキーマウンテン)の屑拾いで生活し、出稼ぎしなければ生活していけない人たちが多く住む国で、こんなにも蓄財を貯めていた真実、これを忘れてはならない。
監督は、イメルダ夫人の正当性を表すために、この映画を作ったのではないと思う。彼女の巧みな話術の前に、ごまかされてはならないと思う。