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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

アンディ・ラウ結婚報道から考える

アンディ・ラウ

アンディ・ラウ
93.9.30 ファンタスティック映画祭
8月29日、24年来の交際が噂されていたマレーシア華僑の朱麗倩(キャロル・チュー)さんと昨年6月に入籍していたことが明らかになった劉徳華(アンディ・ラウ)ですが、中華圏ばかりか日本のマスコミにも記事が載り、ファンの間でもメールが飛び交っています。全面的にアンディを祝福する人、ファンを騙していたという人など様々ですが、いつ公表するのだろうと思っていた私としては、まずは「おめでとう。公表できてよかったね」と祝福したいと思います。

シネマジャーナルでは、1993年の東京国際ファンタスティック映画祭「アンディ・ラウ特集」の記事を27号(93年10月発行)で紹介しましたが(なんと13Pの特集でした!http://www.cinemajournal.net/bn/27/andy.html)、その後何度も彼の出演作品や、記者会見、コンサートレポート記事を掲載してきました。27号では、私は「劉徳華/アンディ・ラウ旋風 日本でも起こるか?!」という記事を書きました。それをきっかけに、問い合わせしてくれたたくさんのアンディファンの人たちと知り合い、私自身もアンディにハマってしまいました。

アンディ・ラウ
95.9.24 烈火戦車東京国際映画祭
それから16年、今もアンディのファンです。それはやはりファン仲間がいたからだったと思います。アンディのことを語り、一緒にアンディの映画を観に行ったり、コンサートに行ったりと、アンディワールドは留まることを知りません(笑)。
そんなアンディの結婚について、いつ発表のXデイは来るのかと、ここ数年ファン仲間の間でも、いつも話題になっていました。私は交際あるいは結婚を早く発表すればいいのにと思っていたのですが、なかなか公表はされないまま、公然の秘密になっていました。彼女をマスコミにさらしたくないというのが大きな要因だったようですが、彼女のお父さんが亡くなったことで、隠し通すことができなくなり、そして、結婚が明らかになりました。ほんとはきちっと公表したかったのでしょうが、こういう形とは言え明らかになったのですから、これからは公然と彼女と一緒にいることができるでしょう。良かった、良かった。
「嘘をついていたアンディ」とか、「ファンクラブをやめる人続出」なる記事まで出て、いろいろたたかれているようですが、こんなことでファンクラブをやめる人はそれまでの人。大部分のファンはファンクラブを続けていくでしょう。ジャッキー・チェンの結婚のときに自殺者が出たとか(日本人らしい)、アンディの熱狂的なファンのお父さんが自殺してまで娘をアンディに会わせようとしたり、そんなことがあるとそう簡単に公表できないのもわからないでもなく、芸能人とは大変だなと思います。

アンディ・ラウ
96.10.8 中野サンプラザ
そんな中、ヤフーの芸能ニュースを見ていたら、なんとアンディが反日家にされていてびっくり。
どうやら、「私は本当は日本に来たくなかった。契約があったからやむを得ず訪日したまでだ。契約さえあれば私を引っ張って来られるとは思わないことだ。私が契約を破棄したところで、誰も私を咎めることは出来ない。私がやりたくないと思ったことは、誰も私に強いることは出来ないのだと語った。アンディ・ラウは日本語での挨拶を拒否するとともに、主催者側が用意した日本語の歌を歌うことも拒否した。主催者側に向かって、今後、私を紹介するときには『香港の歌手』とは言わないで欲しい。なぜなら私は中国人だからだと語った」なる記事が一人歩きしているらしい。
これは、1996年10月に魚釣島をめぐる攻防があり、香港の活動家たちが魚釣島を何日間にも渡り占拠していた時、ちょうどアンディの来日公演予定があり、香港で反日バッシングがすごく、「こんな時期に日本に行くのか?」という記者の質問に答えたアンディの答えに尾ひれがついて、報道?されたものなのではないかと思うのですが(でもこの来日の日付が7/5になっていて間違っている)、それにしてもいい加減な記事でびっくり。それをそのまま確認もせず、日本語に訳した人もあんまりで、これはひどいと思いました。この元記事を書いた中国人記者?が反日で、訳した人が反中国なのでしょうか。
この時代背景もなく、こんな記事が一人歩きすれば「なんだ、アンディって、こんな奴なのか」と思われても当然です。ヤフーのニュース記事の中でも、この文を見て「えー、アンディって反日家なんですか? がっかり」という人がたくさんいて悲しくなりました。まったくインターネットというのは恐ろしい。

アンディ・ラウ
96.10.9 NHKホール
あのときアンディファンたちは、せっかくの初来日公演なのに、この事件のためにコンサートが中止になってしまうのかとヒヤヒヤしていたのですが、アンディは「契約をしたんだから、僕は行くよ」と言って、来てくれました。香港で反日感情が異常なまでに充満して、香港在住の日本人たちも戦々恐々としていた中、来日公演をすれば、香港でアンディバッシングが起こることも必至でした。でも、アンディは契約をキャンセルせず来日公演を果たしてくれました。しかも、一生懸命日本語で挨拶をしてくれましたし(決してうまくはないですが)、自分で話せないところはスケッチブックに日本語を書いたものを示して、日本の観客にも伝わるようにしてくれました(アンディの日本公演レポートは、ちょっとですがシネマジャーナル39号に載っています)。しかも、その年に発売した日本語の曲「もう一度抱きしめたい」も歌ってくれて、もちろんコンサート会場は大合唱になりました。
この日本語曲を録音したときの記者会見記事がシネマジャーナル36号に載っていますが、「前年(95年)、東京国際映画祭で来日したときに、多くの人から日本語で歌ってと言われたので、日本語のCDを出すことにしました」と語っています。なので、こんな「アンディ・ラウは日本語での挨拶を拒否するとともに、主催者側が用意した日本語の歌を歌うことも拒否した」なるでたらめ記事が出回っていることに怒りすら感じます。

アンディ・ラウ
99.8 香港コンサートで
確かにアンディは「中国人」という曲も歌っていて、中国人としてのアイデンティティにこだわっている人ではあります。でも、自分の国を愛するのは当然のこと。だからと言って、日本が嫌いなことはないわけです。この曲は97年、香港が中国に返還される直前に出された曲ですが、このときも「アンディは中国におもねっている」と、ある音楽雑誌に書いた日本の音楽評論家がいましたが、この曲を作った人は台湾の人。大陸の人が作ったのならそうも思いますが、台湾の人が作ったということは、中国と台湾の架け橋になろうとしたアンディの思いが入った曲だと思うのです。この日本の評論家は、私が音楽のことを知る上で長年信頼していた人だったので、この方がよく調べもせずこういうことを書いたことにがっかりした記憶があります。もう12年も前のことですが…。
アンディは、『愛は波の彼方に』で石田ひかり、『ファイターズ・ブルース』では常盤貴子、『フルタイム・キラー』では反町隆史とも共演していますし、反日家なら日本人俳優と共演するなんてありえないでしょう。まったく迷惑な文が横行しているもんです。

アンディ・ラウ
2000.4.16 香港電影金像奨にて
アンディ・ラウ、撮影:(暁)
1996.10.9 NHKホール

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(文・写真:(暁))

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