女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

韓国アートフィルム・ショーケース2008

『黒い土の少女』チョン・スイル監督インタビュー

このほどで作品上映が決まり、来日した監督にお話を伺いました。
ベテランのライターさんとシネジャの共同インタビューです。

チョン・スイル監督 チョン・スイル監督プロフィール
1959年韓国東北部の生まれ。釜山の慶星大学演劇映画学科卒業。パリ映画学校及びパリ第7大学、パリ第8大学の映画学科大学院博士課程終了。1994年より多くの短編・中編を監督。釜山にて制作活動を続け、現在母校慶星大学演劇映画学科の教授。
長編作品『私の中で鳴る風』(1996年/3部作)、『空中で止まる鳥』(1999年)、『私には私を破壊する権利がある』(2003年)、『犬と狼の間の時間』(2005年)、『黒い土の少女』(2007年)

Q:日本で初めての上映になりますがご感想は?

監:うーん、まだよくわかりません。正式に公開されたら、どう評価されるのか知りたいです。こちらに来てインタビューなどで、この作品を観てくださった方々にお会いしましたが、良い作品と言っていただけました。劇場でもたくさんの方に観ていただけると嬉しいです。

Q:久しぶりに韓国の良い作品を観ました。私は80年代の韓国映画から観ています。「韓流」と呼ばれてからの作品は綺麗でおしゃれですが、国籍不明で韓国映画という感じがしませんでした。
監督は子どものころどんな映画をごらんになってきたんでしょうか?

監:私が映画を作りたいと思ったきっかけになった作品はハ・ギルチョン監督の『馬鹿たちの行進』(1975年)です。これにとても衝撃を受けました。私はカンウォンドウ(江原道)のソクチョ(束草)というところが生まれ故郷です。両親は写真館をやっていましたので、小学生のころから現像や焼付けをしていていました。この二つが映像の道に進むもとになったと思います。
『私の中で鳴る風』『空中で止まる鳥』『犬と狼の時間』が自伝的な作品です。故郷のソクチョを主人公が訪ねて、自分のアイデンティティーを探していく物語です。
『黒い土の少女』は前作の『狼と犬の時間』と同じところを舞台にしました。その作品を撮りながら、そこに住んでいる炭鉱夫たちの話を聞いていたのがこの作品の元となりました。

Q:この作品を観たときにシーンの一つ一つが絵画的な感じがしました。モノクロの風景の中で、青や赤が効果的に使われていて、写真か絵をされる監督さんなのかなと思ったのですが。

監:もともと写真、絵のどちらも好きです。映画全体を水墨画のような感じにしたいと意識して作りました。たとえば白い雪の上に点々と黒い足跡がつくシーンがあります。少女の赤いセーターはちょうど水墨画に押す落款のようになりますね。

Q:女の子が赤いセーターで出てくると、初めて色がついて現実と思えたのですが、実際にああいう色のない景色なのですか? 監督かカメラマンがそうしようと思われたのですか?

監:どういうふうに撮るかは私が決めています。ワンシーン、ワンシーンを事前に徹底的に準備して撮影に入ります。もちろん撮影の前にはカメラマンと話し合います。処理したのではなく実際にああいう景色です。炭鉱の村ですから長い間の炭塵が積もって黒っぽい中に、赤や青の扉があり、映画にあったように、取り壊し予定のところにはペンキで赤い字が書かれています。それがとても印象的で、少女には赤いセーターを着せようと考えました。

Q:初めは現代のことではないと思って観ていました。そしたら携帯電話が出てくるので今のこととわかったのですが、こういう現実なのでしょうか。

監:現在のことです。炭鉱は日本統治時代に開発されたものです。1990年から閉山が続いていますが、まだ貧しい家庭では主に練炭を使うので、5,6箇所の炭鉱が残っています。働いてきた人が塵肺症にかかってもそれ単独では国からの補償金はありません。それでもう一つ別の病気にかかろうとする人もいるのです。塵肺症だけでも補償金が出るよう戦ってもいます。再開発としてカジノを作ったりしていますが、そのために住宅が取り壊されて行き場のない人が出ています。

Q:この映画のモデルとなった女の子、家族はいたのですか?

監:そのとおりの人ではなく、多くの人から聞いたことからストーリーを組み立て、女の子の目線から見た物語にしました。実際お母さんのいない家庭が多いのです。これは生活苦からだったり、また他に男の人ができて子供を置いて家出してしまったり。映画はその現実を反映したものです。この家庭には母親が最初から出てきません。カン・スヨンの登場は、少女には母親がいないというのを意識させるためでした。

Q:これは一部の社会の問題なのですか?

監:そうですね。ごく一部のことですが韓国ではこういうことを表に出さない、知らせないようにしています。それこそが問題で、映画にしたいと思いました。国内の2箇所で上映しましたが、観客の方々もこれまで知らなかった、映画を観て初めて知ったと言っていたようです。

Q:制作費はどのように集められましたか?

監:韓国のお金で約4億ウォンかかりました。韓国の映画振興委員会から50%の支援がありました。残りは友人知人や自分で借金したりして集めました。

Q:シナリオも留学時代に勉強されたのですか?

監:学校で習ったわけではありません。ずっと詩や日記などを書いていて、小説家が自分のことを書くように自分の話しも書いていました。それが先の自伝的映画に繋がりました。シナリオを映画化したいと映画会社に持って行きましたが断られて自主制作となりました。

Q:写真や絵は一人でもできる表現方法ですが、映画は多くの人手と経費がかかります。それでも映画を選ばれたのはなぜでしょう?

監:最初の自伝的映画の中に全部投入してあります。それはまさに石が転がってどこまでも止まらないようなものでした。運命的な何かを映画制作に感じてやってきました。それと、商業映画システムにある種の怒りを感じていますので、こんなに低予算でも映画は作れるんだという表示でもあります。

Q:プロフィールには監督作品しかありませんが、助監督などの経験は?

監:フランス留学から戻って、シン・スンス監督の助監督を一度しました。『おっぱいのある男』という商業映画でした。その後自分で映画を作りたいとシナリオを書いて、ある映画会社に持っていったのですが、シナリオを読んだ後「こういう映画では儲からない」と言われました。釜山の大学で学生に映画を教えるようになって少しずつ資金をためて、自主映画を作ったのです。

Q:この作品1本しか観ていないのですが、ほかの映画もこのように台詞がとても少ないのですか?
台詞が少ないと逆に俳優さんはたいへんじゃないかと思います。どのように演出されるのでしょう?

監:台詞の多い映画は好きじゃなくて、台詞よりもイメージでものを語りたいと思います。そして空間を大切にしたいと考えています。何もない廃墟に登場人物がいる、そこにいるからこそいっそう自分自身が明白になる、近づける気がします。
演出についてですが、初めの3本の主人公は演劇の俳優たちでした。演劇の人たちは自分を全部出してしまう演技をしますが、私の映画ではそれを抑えようとしましたので、とても難しいと言われました。彼ら3人を選んだのは、やはり自伝的な作品なので、自分自身のイメージを重ねたからです。ソル・ギョングは私の服を貸してくれと言って、私のズボンを履き上着を着て私を観察していました(笑)。内面が表情にちらりと出るような演出が好きです。
『黒い土の少女』の女の子はテレビドラマに出ている子で、やはり全部出しすぎるところがありました。それを極力抑えました。

Q:監督のほかの作品を観ることはできるでしょうか?(DVD化されていません)

監:この作品が評価されたらできるかもしれません。そうなるといいですが。

Q:『馬鹿たちの行進』のほかに監督の印象に残っている作品、好きな作品は何ですか?

監:『達磨はなぜ東へ行ったのか』ペ・ヨンギュン監督(1989年/韓国)、『すり』ロベール・ブレッソン監督(1960年/フランス)です。

アート系の監督さんということで、難しい方だったらどうしようと思いつつ出かけました。長身の素敵な方でよくお話ししてくださり、ホッとしました。国内での動員数が振るわないと残念そうでしたが、外国の映画祭では多くの受賞歴があります。商業映画とは一線を画す硬派な作風ですが、その底に流れる対象と映画への愛情を感じました。おかっぱの少女を追い込む現実の厳しさと、それでも捨てない未来への希望をぜひ劇場で確認してください。たくさんの方が来場されて、監督のほかの作品の公開へも繋がってほしいものです。

(取材・写真:白石)
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