--- とても切ないラブストーリーで、胸が締め付けられるようでした。この映画の軸になっているフランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』(1968年)は、私の高校時代に日本でも大ヒットした懐かしい作品です。オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングに、趙薇(ヴィッキー・チャオ)と陸毅(ルー・イー)は似ている雰囲気ですが、キャスティングの時にやはり意識したのでしょうか?
監督: もちろん、そうですね。なにより二人は美男美女ですから!
--- これまでの監督の作品では、ヴィッキー・チャオのようなアイドル的な俳優を起用していませんでしたが・・・
監督:どういう俳優を使うかは、その作品に合うか合わないかを考えた結果です。彼女は、この役にぴったりだと思ってお願いしました。
--- 文革とその後の1980年代が舞台になっていて、チーランのお父さんがジアのお父さんに関する告発文を書いたことが原因で、二人の仲を両親に許して貰えないという、まさに文革に翻弄された恋ともいえます。文革時代、身を守るために隣人を告発しなくてはならなかったような人たちは多いと思います。80年代というのは、文革時代を経験した人たちが、どのような思いで過ごした時代なのでしょうか?
監督:いろいろなことが起こった70年代を克服していった時代だと思います。恋愛だけでなくて、歴史が残した恨みや悲劇を、80年代は一つずつ乗り越えていった時代だったと思います。
--- 監督ご自身にとっては?
監督:70年代終わりから80年代にかけて大学で勉強し、卒業して仕事に就き、大人になっていく過程で、仕事や結婚など、まさにいろいろな問題に直面した時代でした。
--- そのご結婚ですが、奥様の思蕪(ス・ウ)さんとは、初恋を実らせたのでしょうか?
監督: 初恋って、それこそ人間にとって幼稚園の頃から、いつの時代も好きな人がいるものじゃないですか。どれが初恋と聞かれると定義しにくいのですが・・・恋愛として意識して成就したのが初恋とみるかどうか・・・ですね。
--- 実話がベースになっているとのことですが、実話を元に奥様と一緒に構想を練っていったのでしょうか? その中で、奥様との意見の違いなどはありましたか?
監督:文字資料も多少あったので、中央電影集団にこういう題材があると持ち込んだら、撮ってみてはとのことで、自分の意見を彼女に伝えて、彼女が何稿か書いて、その中から選んで、満足のいかないところがあれば書き直しをするという形で、最終的な撮影バージョンになりました。
--- お二人の若い頃の衣裳を使ったとのことですが・・・
監督:新しい服をいくら着古した感じにしても、生活感が出なくて、いつも着ているという感じになりません。それに、あの時代の服はもう売っていませんし、時代をよく知っていないと作れません。私たちはたまたまその時代を通り過ぎてきた人間なので、当時の服もありましたし、なにより自分が好きで着ていた服なので、当然私の美意識に合っています。
--- まさに、映画の隅々に監督の美意識が感じられました。(すごく嬉しそうに「対対、対対(トゥイトゥイ、トゥイトゥイ)と頷く監督でした。) シーツに影を写してキスしている風に見せる場面も素敵でした。
監督:どんな風に感じましたか? よかったですか?
--- 最初、ほんとにキスするのかなぁ〜と、ドキッとしたら、影を作ってキスするという場面で、とても可愛かったです。
監督: 妻が考え付いたシーンです。気に入っていただけて嬉しいです。
--- 二人が自転車に乗って満開の白い花の間を走っていく場面もとても素敵でしたが、あの花は?
監督:リラ、ライラックの花で、リラはハルピンの市の花です。小さな公園などにいっぱい咲いていて、あまりに美しくて印象的でしたので取り入れました。撮影していた5月にちょうど満開で、タイミングがよかったです。
--- 撮影にはどれくらいの期間がかかったのですか?
監督:2ヶ月弱ですね。
--- 二人が住む官舎も趣きがあってよかったですが、あの建物もハルピンにあるのですか?
監督:ハルピンにロシアが残した建物で、今は学校の建物の一部として使われています。
--- ジアの家族は、父親が自殺した後も官舎に住み続けていましたが、問題はないのですか? また、あの時代の官僚の家族だとすると、ジアもチーランも比較的特権階級なのでしょうか? ジアは留学もしていますし。
監督:自殺後も住み続けることは差し支えありませんでした。 ちなみに、ランの父親の方が身分が偉い設定です。
--- 階段のところでじゃんけん遊びをしている子供たちを見て、チーランが自分の子供時代を思い出しているところも、とても切なかったです。あのじゃんけん遊びは日本にもありますが・・・
監督:ヨーロッパにもあるみたいですよ。この映画の中では、じゃんけんは、「石、鋏、布」と言っていますが、私の子供の時は、石でなく、槌と言っていました。北方と南方で言い方も違うようです。でも、遊び方は同じです。
--- 日本では、何を出して勝ったかで、進める歩数が違うのですが・・・ (この時思い出せなかったのですが、私の子供時代は、グリコ、チョコレート、パイナップルの文字数分進めました。)
監督:中国では、何で勝っても、進めるのは1歩ずつです。
--- 坊ちゃんがそろそろ彼女を連れてくる年代になったかと思いますが・・
監督: 19歳になりました。今の子どもは、あの時代と違うからねぇ。ちゃんと親に連れてくる相手がいるんだかいないんだか・・・ 自分たちの世代の考えで、彼らの考え方はとても推し量れないですよ。
--- もし彼女を連れてきて、監督が反対したらどうでしょう?
監督:もう全然反対しませんよ。彼がいいのならそれでいい。 中国に、「靴がぴったりかどうかは履いている本人しかわからない」という諺があります。本人がその靴がいいというのなら、それでいいんでしょう。今の親は、子どもの結婚相手に文句なんかつけられないです。
--- 監督ご自身、奥様との結婚に際しては、ご両親の反対などはなかったですか?
監督: 反対できなかったみたいですよ。 睡眠薬見せて脅したから! ・・・冗談、冗談! (と、大笑い)
『初恋の想い出』に次ぐ監督の『愚公移山』は、第21回東京国際映画祭共催の「2008東京・中国映画週間」で上映されますが、これも奥様の思蕪さんが脚本に関わっているとのこと。さらに準備中の次回作も、「出来が良ければ妻の脚本を採用します」と笑って語る監督。奥様との二人三脚の映画製作は、これからも続きそうです。