『砂塵を越えて』 Crossing the Dust
監督:シャウキャット A. コルキ
出演:アデル・アブドルラフマン、ホセイン・ハサン
2006年/イラク・フランス/76分
*ストーリー*
2003年、アメリカの侵攻でフセイン政権が崩壊したさなかのイラク。クルド人兵士アザドとラシードは、フセイン政権残党と戦う味方の基地にトラックで食料を届ける途中で、迷子の5才の男の子と出会う。男の子の名前はサダム。憎き独裁者と同名の子に関わりたくない年配のラシード。親を探そうという若いアザドに押し切られ町を巡るが、手がかりが見つからない。米軍に男の子を預けようとするが、言葉が通じず追い払われる。モスクに行くが、聖職者はコーランを詠み続けるばかりで無視される。そうこうするうちに車が盗まれてしまう。テロで負傷した者を運ぶ為に車を盗んだ男たちは、食べ物の入った大鍋を路上に放置していく。一方、少年の両親も息子を探して、町を歩き回っていた。はたして、無事両親のもとに少年を届けることができるのか...
本作は、第20回東京国際映画祭 アジアの風部門でも上映されますが、アジアフォーカス・福岡国際映画祭2007の折りに来日したコルキ監督にインタビューさせていただきました。コルキ監督はクルド人ですが、イランに長年住んでいたので、ペルシア語がペラペラ。通訳の都合でインタビューはペルシア語で行われました。
外出から急いで帰ってきてくださったコルキ監督。イランの『地の果てまでも』のモハマドレザ・アラブ監督と一緒に、「この靴買った!」と嬉しそうに見せてくださいます。二人は、ペルシア語で会話ができるので、この映画祭で知り合って、すっかり意気投合。私のインタビューの様子を、アラブ監督はずっとビデオカメラで撮っていました。
— あの大鍋の中のお料理は? 最初にこんな質問ですみません。どうしても気になって・・・
通訳のショーレ・ゴルパリアンさんが、「ゲイメ(豆とお肉の込み)じゃない?」とおっしゃる中、「ホレシェ・ルビヤー・ゲルメズといって豆だけの煮込み」とのお返事。
監督:実は料理を作るだけでも大変だった。それに、映画は、一日の内、昼間3〜4時間の話だけど、撮るのはほんとに大変だった! ロードムーヴィーで、2ヶ月はかかるとは思っていましたが...
— 実話に基づく話とのことですが、ご自身の体験ですか?
監督:年配の軍人の回想で出てくる、奥さんと子供が爆撃で亡くなった山肌に沿った村は、私自身が2歳のときにサッダームによって破壊された村のイメージです。村がすべて破壊され、両親や大勢のクルドの人たちと共にイランに逃げました。23年イランにいました。今もイランに住んでいる人たちもいます。私は平穏になってからクルディスタンに戻ってきたので、戦闘は体験していません。また、銅像が倒されたりしたのも見ていません。
—サッダームと名付けられた子供からイメージして話を作られたのでしょうか?
監督:サッダーム・フセインは大統領として長く君臨し、非常にナルシストで、自分の写真を飾って欲しいと思っていた人物。また、生まれてくる子供にはすべて自分と同じ名前を付けて欲しかった。サッダームという名前の人にはずいぶん会っています。この映画の中では、あの子供の名前がサッダームであることによって、クルドの二人の兵士がどういう反応を示すかが重要。子供を使って二人の兵士の気持ちを表わし、二人の性格の違いも出すことができます。映画の中に出てくる人物はすべて皆、いろんな意味で戦争の犠牲者。二人の兵士もそうだし、小さい子供がサッダームと名付けられたことも犠牲です。バフマン.ゴバディ監督の『亀も空を飛ぶ』にもサッダーム・フセインという名前の子が出ていました。
— ゴバディ監督から、クルドで大勢の映画人が育っていて、クルドの短編映画祭が開かれたと聞いたことがあります。ゴバディ監督の影響は?
監督:ゴバディ監督の成功には勇気づけられます。映画も素晴らしい。クルドを題材にしていて、クルドの若者に大きな影響を与えています。
— 撮影にあたって、爆撃などの危険は感じなかったですか? また、撮影場所は?
監督:危ない地域は、キルクークと、ムセイン。自爆テロの危険がありました。アルビル近くの小さな町や村で撮影しました。アルビルの中でも実際大きな爆撃があって、2〜3日中断しました。
— 映画には米軍も出てきますが、撮影に際し米軍の協力はあったのですか?
監督:アメリカ人を使ったのは、子供を預かるのを断られたシーンだけ。あとは、車を2時間位貸してもらって、人物はクルド人がアメリカ人に変装して撮りました。
— アメリカ軍に対して、「よくやった!」という一方で、「石油を奪いたいだけ」と、バランスをとった扱いをしていたように思います。実際に今アメリカ軍が駐留していて、言葉が通じないことによって問題が起こっていることも表していると思いました。
監督:映画にもご指摘の2つの台詞を入れていますが、アメリカ軍がイラクに入った時、実際応援した人も、戦った人もいます。今はまだ治安が悪いし、米軍の介入について疑う人が増えています。批判も増えています。全体的に映画を観てみると、皆、戦争に対して暗いイメージを持っていて、戦争に反対しています。イランでもイラクでも悲劇を味わっている人々のことが伝わってきます。サッダームの時代に犠牲になった人たちもいるし、サッダームが倒されてからも悲劇は続いています。それをできるだけ伝えようと思いました。映画のエンディングも暗いものにしました。銅像を引っ張っているそばで踊っている人々もいるけれど、実際、戦争は暗いものと。人間ドラマをパノラマ的に撮ろうと思いました。二人の兵士と子供がいて色々なことが起こります。年配の兵士には暗い過去。村を襲撃され妻と娘を亡くしています。若い兵士も弟が行方不明で、弟が見つかるまでは結婚もしない、将来が考えられないと思っています。今この時代に起きていることだけでなく、昔から混乱していた歴史を描こうと思いました。兵士も心は人間。人間の良心に正しく応えるなら、戦争に反対です。人間の本心は、兵士として戦争の中にいても、戦争反対です。最初から最後までテーマになっているのは愛情。 年配の兵士は子供に対して最初は優しくないけれど、最後には優しく接するようになります。
— モスクに子供の親を捜しにいったときに、聖職者が無視してコーランを詠み続けていましたが、あれはどういう意味で入れたのでしょうか? それこそ、愛がない感じでした。
監督:彼も戦争の犠牲者。戦争の混乱の中で子供を無視。スピーカーを使って探してほしいと頼んだけれど、停電だと。この暗闇の中で、どうやって探すのだと。戦争という暗闇を表しています。
— 次回作はコメディーを考えているとおっしゃっていましたが、心からコメディーが作れる時代がくることを願っています。
監督:本作も、他の国では笑ってくれたところもありました。ブラックコメディーの要素を込めたのですが、日本では全然笑ってくれませんでした。
— 私は笑いました!
監督:それはありがとうございます。 モスクでコーランを詠んでいるのは、クルド人で、クルドの人にとっては、変なアラビア語なので、それも可笑しくて笑ってくれます。
— 子供を探して歩き回っている両親の会話も可笑しかったです。道路に放置されている大鍋の料理に出くわして、「こんな時に食べるの?」という母親に対して、「お腹は空くさ」と言って、結局二人で黙々と食べてしまった場面は爆笑でした。
監督:次作はもっとブラックコメディーにしたいと思っています。テーマは、サッカーと戦争。難民がサッカーに興じる物語です。今、脚本を一所懸命書いています。
監督がイランで住んでいたのは、イラクとの国境に近い西アゼルバイジャン州のナガデというウルミエから南に1時間の小さな町。私がかつて、西イランを旅した時に、マークーからウルミエを通って南に行ったことがあると言ったら、きっと通っていたと言われました。私が旅をしたのは、ちょうどラマザーン月直前の結婚式の多い時期で、いくつもの結婚式に出会って、一緒になって踊ったりもしました。監督もイランにいた時に結婚式を挙げたそうで、踊り明かしたそうです。
埼玉県の蕨に300人以上のクルドの人たちが住んでいて、ワラビスタンと呼ばれるほどで、日本クルディスタン友好協会も設立されています。クルドの新年は春分の日から始まるのですが、「新年のお祭り”ネブロス”の時に蕨に行って一緒に踊ったことがある」とお話したら、監督、「ネブロス♪ ネブロ〜ス♪ ネブロス♪ ネブロ〜ス♪」と、すごく楽しそうに笑って、今にも踊り出しそうでした。音楽や踊りが好きで陽気なクルドの人たちが、心から笑って踊れる時代が来ることを願うばかりです。