女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『SPL 狼よ静かに死ね』記者会見

1月23日(月)キャピトル東急

サモ・ハン、ドニー・イェン、ウー・ジン

昨年の東京フィルメックスで観客賞を受賞した『SPL 狼よ静かに死ね』が3月4日より公開されます。それに先だって主演のサモ・ハン、ドニー・イェン、ウー・ジンの 3人の来日記者会見がありました。

先にドニー・イェン(甄子丹)、ウー・ジン(呉京)の2人が入場。ドニーはジーンズに白い上着。黒いスーツのウー・ジンはなぜか白いネクタイで、映画と違ってにこやかな好青年です。映画でのドニーとの対決シーンを死ぬ気でやったとか。飛行機の到着が遅れたサモ・ハン(洪金寶)は少し後に手を振りながら登場。「ハロー、ハロー、エブリバディ」と挨拶。予想通り迫力のある人です。

サモ・ハン、ドニー・イェン、ウー・ジン

サモ・ハン:ファンの皆さんには長年支えていただいて感謝しています。監督、脚本、俳優と続けてきて、どの作品もみな大切です。映画の中でずっと善玉をやってきましたが、今回は初めての悪玉で、いろいろ悪いことをやってみました(笑)。善玉 ・悪玉役に関わらず、映画が面白いか、人の心に残るかが重要です。今回は自分の演技を磨く意味でもこの役をやれて良かったです。
理想の親子関係といってもそれぞれの家庭環境によって違いますが、子供が何歳になっても暖かい親子関係でいられるのが、自分にとって最大の幸せです。
ドニーとは大分前からの知り合い、ウー・ジンには数年前に初めて会って、この作品で初めて共演しました。とてもエキサイティングでした。僕は長いことやってきたもので、マスターとか大先輩などと呼ばれますが、謙虚な気持ちで若い人と共演し、自分も若返りたいと思います。今回のアクションは数的に言えば昔とそんなに変わりません。ドニーが私を思いやってくれて、あまり大変なのはやりませんでしたしね。

釈由美子、ドニー・イェン

ドニー・イェン:アクション映画を20数年続けてきましたが、毎回新しい挑戦をと心がけてきました。今回サモ・ハン、ウー・ジンと仕事をすることになり、ワクワクしていました。僕の演出で2人の新しい面や魅力を観客のみなさんに見てもらいたいと思いました。
娘が誕生日を迎えたばかりです。正直言って、僕の原動力は家庭への思い、娘への愛情です。電話で娘に「パパ!ダディ!」と呼ばれると、どんなに疲れていても元気になります。
ウー・ジンは武術家ですし、サモ・ハンは先輩で数々の名作に名を残しています。今回演出するにあたり、過去の作品を見直しました。また、僕が彼に気を使ったのではなく、彼が僕を思いやってくれたのです。でなければ今頃はここでなくって病院です (笑)。
中国の映画人として、他のアジアの映画人たちと共生したいと考えています。日本のアクション映画、俳優ともあまりに数多いのでどれとも言えませんが、縁があればきっと合作のチャンスはあると思っています。

サモ・ハン、ドニー・イェン、ウー・ジン

ウー・ジン:僕が一番若輩です。チャンスをいただいて感謝しています。大先輩のお二人の映画を子供のころから観てきました。アクションをまねて喧嘩して、鼻の骨を折ったこともありました。今回共演できてとても嬉しいです。スポンジのように吸収してお二人から学びたいという心で臨みました。
僕の父も武術家で、子供のころはとても厳しかったです。今は友達のような兄弟のような関係です。撮影で怪我をすることもありますが、心配かけないようにいつも電話をしています。
ドニーの演出は音楽のようなリズム感がありました。残念だったのはサモ・ハンと戦うシーンがなかったことです。

この後『修羅雪姫』でドニーのアクション指導を受けた釈由美子さんが花束を持って登場。男性ばかりの会見がぱっと華やぎました。

サモ・ハン、釈由美子、ドニー・イェン、ウー・ジン

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(まとめ・写真 白石)
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