女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『失われた龍の系譜〜トレース・オブ・ア・ドラゴン』
メイベル・チャン監督記者会見

1月27日(木)13:30〜 渋谷エクセルホテル東急
出席者:メイベル・チャン(監督)、アレックス・ロウ(プロデューサー)

メイベル・チャン

さる1月27日(木)、渋谷エクセルホテル東急にて、『失われた龍の系譜〜トレース・オブ・ア・ドラゴン』の監督:メイベル・チャン、プロデューサー:アレックス・ロウの両氏が来日し記者会見を行いました。
本作品は3月に公開が決定していますが、これがアジアでの劇場初公開となります。ジャッキー・チェンが見せる父親の前での息子としての素顔を垣間見られるのも貴重ですが、何よりも彼の一家が辿った軌跡が、そのまま20世紀の中国国民が翻弄された歴史を象徴していて大変興味深く、ジャッキーファンならずとも、必見の映画です。そんな作品の貴重な製作秘話をお二人から聞く事が出来ました。

挨拶

チャン おそらく私たちは普段、ジャッキー・チェンに勇敢で格好良く、何でも出来て、何でも知っているスーパーマンのようなイメージをお持ちだと思いますが、この映画の中での彼は父親の前では普通の子供であり、しかも父の過去についてほとんど何も知らないのです。一人っ子だと思っていたら、実は他に4人も兄弟姉妹がいるし、姓は陳だと思っていたら実は房だったり。ですからこの映画で、皆さんはこれまで見た事のないジャッキーが観られると思います。また彼と彼の家族の肖像であるこの作品は、ここ100年の我々中華民族が歩んできた苦難の道を描いた作品でもあります。

ロウ 映画制作のきっかけは、もう今から5年前の旧正月の時にジャッキーから「三日間ほど休みが取れるから、一緒にオーストラリアへ行かないか」と誘われたのです。なぜオーストラリアへ行くのかと尋ねると、「両親がオーストラリアに住んでいて、母の体調が相当悪いんだ。それで父がどうも僕に話していない事が有るらしくて、今回行ったら色々と教えてくれるんだ」と言うのです。ジャッキーは日頃から、休みの時には友達を誘って遊びに行くことが多い人なので、この誘いも全く自然に受け止めました。ただその時に、両親も高齢なので家族の姿をアルバムのようにビデオカメラで記録しておきたいと言うので、私たちは機材を持って行ったのです。それがきっかけでインタビューが始まり、その後、追加撮影や音楽や資料集めをしたりしていて、休暇でちょっと撮りに行ったつもりが3年以上かかってしまいました。完成したときにはジャッキーの母は既に他界していたので、映画の最後に「ジャッキーの母に、そして全ての母に捧げる」とクレジットを入れたのです。

メイベル・チャン アレックス・ロー

記者からの質問

Q 初のドキュメンタリー作品ですが、撮ろうと決心されたときのお気持ちは?

チャン ドキュメンタリー作品を作ろうと決心したのは、お父さんにお会いして、話を聞いている内に、やはりこれだけ波瀾万丈の人生を経験してこられた人の存在を、より多くの人に知ってもらった方が良いのではないかと思うに到った時です。しかし撮っている時はドキュメンタリーを作っているという意識は無くて、普通の映画を撮っている感覚でした。作品の中には、私自身の個人的な思いが含まれていますので、従来の正式なドキュメンタリーの手法とは違って、自分なりのスタイルで撮ったと思っています。
ジャッキーに関するドキュメンタリー作品は既に何本もありますが、これまで彼の家族に関するドキュメンタリー作品は有りませんでした。しかし初めはジャッキーも私たちも、これを撮って作品にして公開しようとは思っていませんでした。ただ家族のアルバムとして、両親の映像や両親の生きた時代の歴史を記録するための撮影と思っていたわけです。また今回の映画には含まれていませんが、ジャッキーの息子さんの映像も随分と撮ってあります。後々ジャッキー世代以降の一族の記録を撮るというのも、一つの選択肢だと思っています。

Q アジア各国歴史が異なるにも関わらず、ジャッキーの母を見たときに、自分のおばあさんを見るような感覚に囚われたのですが、このジャッキーと母の関係というのは香港でよく見られる風景なのでしょうか?また、この作品を撮った事によって、監督の眼から見てジャッキーに何か変化が有りましたか?

チャン そうですね。ジャッキーの母親は、私の母親と同じように、子供のためなら何でもする、全てを捧げる母です。彼女がジャッキーを生む前は、とても勇ましい、賭け事はするは、阿片は売るはの凄い女性で、頭も良かったと思うのです。でも結婚して子供が出来たら、全ての人生を子供の為に捧げたんです。そんな姿は我々の親の世代の一般的な母親像だと思います。
また、この作品を撮った事によって、ジャッキーが変わったと言う事は無いと思います。ただ、彼も年を取ったので、以前よりは自分の家族に眼を向けるようになったと思います。彼は子供の頃に10年間も京劇学校に預けられた事から、家族関係が比較的希薄でした。でもお母さんが亡くなってから、お父さんが香港に戻ってきて、一緒にいる事が多くなり、また息子も香港に戻ってきて会う事が多くなり、家族の関係を見直すようになりました。以前はあまりに家族や子供と過ごす時間が少なすぎたのです。今、彼は少し後悔しています。今は出来るだけ息子と一緒の時間を持とうとするのですが、息子の方は既に大きくなって自分の世界があって、お父さんの相手をしてくれないという状況です。小さい頃は、お父さんにずっとくっついて歩いてるような子供だったのですけど。

Q ナレーションを狄龍(ティ・ロン)さんにお願いした経緯と、北京語(普通話)にした理由は?

チャン 狄龍はジャッキーと同時代のアクションスターじゃないですか。それで一人の”龍(狄龍)”がもう一人の”龍(成龍)”を語るのはとても適切だと思ったのです。また同じ時代の映画界のスターが語る事によって、観客が親しみやすく感じるだろうと思いました。
普通話にしたのは、中国全土の言語ですから普通話の方が多くの人に解ってもらえると思ったのです。それに実は映画の中では沢山の言語が使われているので、みんな何を言ってるのかよく分からない部分があります。普通話の他に、安徽語、福建語、上海語、山東語、広東語、片言の英語などが使われています。ジャッキーのお父さんの発音はなまりが強くて誰も聞き取れません。撮影を通して私だけが理解できるようになったと思っています。ジャッキー自身、お父さんの言ってる事の多くがよく聞き取れないと言ってるくらいです。これらの沢山の言語がチャンポンの状態を統一する言葉として普通話があり、多くの人に理解してもらおうとしている面もあります。

メイベル・チャン  アレックス・ロー

Q これだけプライベートな内容を撮影依頼するのは、よほど親しくないと難しいと思いますが、これは『七小福』を撮影した事が関係しますか?

ロウ 『七小福』を撮影したときに、ジャッキーだけでなく彼の兄弟分たちである洪金寶(サモ・ハン)、元彪(ユン・ピョウ)、元華(ユン・ワー)らとインタビューを含めていろんな面で一緒に仕事をしました。そして非常に仲良くなり、特に洪金寶とは今でもとても仲の良い友人です。ジャッキーが撮影を依頼してきたのは、我々が以前の仕事を通して、既に彼の子供の頃の事情などを了解しているという事も一つの要因だと思います。またこれまでの我々の作品の作風が、家族の絆やアイデンティティといったものを描いてきたので、我々に頼もうと思ったのでしょう。

Q ドキュメンタリーの中に、『七小福』のようなフィクションの映画を資料として使うのは方法として狡いのではないかというような気持ちは無かったか?

チャン ありません。使えるものは何でも使おうと思います。私自身はドキュメンタリーを撮っているという意識よりも、普通の映画を撮っていると思っていましたし。最近のドキュメンタリーの手法は多岐にわたっています。例えばマイケル・ムーアは自分自身が出演したりしてますし、アニメを使う作品もあります。現在のドキュメンタリーは普通のフィクションの映画よりも面白くなっていると思います。

Q 最初のシーンが印象的でした。それは音楽が、これまでジャッキーが出演していた作品ならもっと勇ましい音楽が付けられていただろうところに、哀しげな重い音楽が付けられていたからだと思います。このアイデアはどちらがどの様に出したのか?

チャン 私たち二人が話し合って決めました。作曲担当の人と一つのポリシーを決めました。それはこれまでジャッキーが出演した映画の音楽、リズムは使わないようにしようということです。『ポリス・ストーリー』の音楽のようにテンポの激しいものを使うと、ジャッキーが主役の映画がこれから始まると錯覚させてしまうので、むしろ逆の、映像とはギャップのある音楽を配したら面白いと思いました。もの悲しくて、歴史的スケール感のある音楽をオープニングに付ける事で、観客はより興味をそそられるだろうと思ったのです。

Q 初めはプライベートフィルムのつもりで始まったものが、一般公開されるに作品となるに到って、ジャッキーの方は意外な展開に驚いて戸惑ったり、映画に対する協力姿勢が変わってしまったりすることは無かったか?

チャン ジャッキーはこの映画に関して特別何も考えていなかったと思います。とても忙しい人なので、すっかり我々に任せていて、かなり時間がたってから「どうなった?ちょっと見せてよ」と言うので見せると、「えぇ!?面白いじゃない」という反応で、じゃあちょっと人に見せようということになりました。その後、ベルリン映画祭のドキュメンタリー部門のオープニング作品として上映されると、評論家の反応が良くて、多くのバイヤーも買いたいと言ってきました。その時になって、ジャッキーはこういう映画も売れるんだという事が解ったと同時に、どうしようと思ったんです。彼はこれを商売にしたくなかったんですね。収益金があれば、老人や学生や福祉関係に寄付しようとは考えていたのですが、彼の親族の中で公開する事に反対する人がいたのです。それで中国本土と香港の公開はしないでおこうと思っています。日本はアジアでは最初の上映で、イギリスとヨーロッパでは既に上映しました。家族の住む場所から遠ければ良いだろうという考えですが、彼の親族はちょっと気にしています。

Q 中国、香港では公開されていないということだが、今後はどの様な展開を考えているのか?

ロウ 出来るだけ香港と中国で上映したいとは考えています。しかし、ジャッキーはここ数年成熟して、自分の家族、プライバシーを守りたいという気持ちが強くなっています。それに一番上のお姉さんが今は中国本土の東北部に戻って生活していますし、大変苦労されたので、昔の事をあまり思い出したくない気持ちがあります。それで目下の所、この計画は実行できないだろうと思います。しかし、我々は実はもっと沢山の撮影をしています。例えばジャッキーの妻の林鳳嬌や息子の房祖名のインタビュー映像もあります。もう少し時間が経てば、こうしたものも含めた続編を公開する事ができるようになるかもしれません。

Q ジャッキーの父はこれまで隠していた事を話すに到るには、やはり少し抵抗感が有ったのではないかと察するが、そのような彼にインタビューするにあたって気を付けた点は?

チャン ジャッキーのお父さんて凄く厳しくて怖そうじゃないですか。ですから私も最初はちょっと怖かったんです。みんなよく彼に怒られるし、ジャッキー自身も大人になった今でも怒られてます。彼と仲良くなるには、まずお酒につきあわなくてはいけません。毎日ウィスキーを飲むんですね。そして飲み終わると、カラオケを歌い出すんです。とても歌を歌うのが好きなんですが、彼が知っているのは映画の中で歌っていたあの1曲だけなんです。そして踊り出します。一緒につきあえば、すぐに仲良くなって、何でも話してくれましたよ。
ドキュメンタリーの監督って大変ですね。お酒飲んだり、歌を歌ったりしなくちゃいけなくて。これまでの映画では監督というのは俳優を演技指導したりしてコントロールする立場ですが、ドキュメンタリーの監督は対象となる人が中心となるので、よい話を聞き出すには、それぞれの人に合わせた工夫が必要なんですね。

Q ジャッキーのお父さんは非常に映画的な人物だと思うのですが、彼の物語を劇映画にするつもりはないのか?

ロウ 賢い質問ですね。実はそういった事を考えているんです。でも問題も多いのです。もしも撮影するとなると中国本土でのロケが必要になりますが、例えば、彼が元国民党工作員だったことなど、微妙な問題をはらみます。どうしたら、そういった問題を解決して撮る事が出来るかを現在検討中です。

チャン 実は本当に進行中なのですが、誰がジャッキーのお父さんを演じたらいいかが問題ですね。もしジャッキーが演じたらお父さんは一杯文句言うだろうし。それにお母さん役もどうしたらいいものか。今やお父さんはとっても有名で、誰もが彼の顔を知っていますし、難しいですね。キャスティングは映画の魂のようなものですから、大事にしたいと思っています。
もしも彼が若いときに俳優になっていたら、きっとスターになっていたと思いますよ。カンフーも出来るし、歌も歌えるし、とってもチャーミングですから。

メイベル・チャン、アレックス・ロー メイベル・チャン

『失われた龍の系譜〜トレース・オブ・ア・ドラゴン』は3月5日から新宿武蔵野館にて公開。作品紹介はこちらをご覧下さい。

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(まとめ:梅木 撮影:梅木、宮崎)
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