またこの日がやってきた。 4月1日、「燭光裏懐念 張国栄」と題して、2003年に逝ってしまった香港明星、レスリー・チャンの追悼会が香港マンダリンホテル前の広場で行われた。LLA(レスリー・レガシー・アソシエーション 香港、中国、日本、韓国、イタリアなど各国のファンが設立したレスリーの業績を残し、伝えるための非営利団体)主催。 会場の正面に張られた、レスリーの横顔が浮かぶ大きな横断幕は海の色。その前にしつらえられた、祭壇のようにも見える花に包まれた舞台。花束の一つ一つには世界中のファンからのメッセージと写真。会場内にはスクリーンが三箇所設置され、レスリーの映像や舞台の映像が流れる。参加者は黒に身を包み、スタッフから渡されたキャンドルを握り締める。 5時40分ごろ、その舞台から弦楽四重奏でレスリーの歌が演奏されると、集まり始めた参加者の間から、抑えきれない啜り泣きが聞こえてくる。唇を噛み締めてマンダリンホテルを見上げれば小雨が顔に落ちる。 6時、舞台に香港でRTHKのDJとして著名なVera Leeが登場し、式が開始された。フランスからのファンがカルテットをバックに「当年情」を歌う。それから、レスリーのコンサート映像が次々と。私が彼の名前さえ、知らなかった時のものから、声を限りに声援を送ったパッションツアーまで。客席を見つめる彼の、真剣な、真摯なまなざしは本当に変わらなかったのだなぁと。あらためて。 6時41分、1分間の黙祷。そして、レスリーのヒット曲の数々が、スチール写真と歌詞と共にスクリーンに映し出される。声を合わせる人、キャンドルを揺らす人、ただじっと画面を見つめる人。世界中からのファンたち。通りすがりに参加してくれた人たち。総勢で300人はいたろうか。翌日の新聞の見出しにもあったように「2年経っても、レスリーはファンの心を燃やしている」。昨年同様手作りの暖かな追悼式だった。 しかし、香港社会総体は、レスリーを忘れ去ろうとしているように見えるのが気にかかった。香港国際電影節では、アニタ・ムイとともに哀悼の意をこめて『ルージュ』の上映があったが、金像奨では、レスリーの何の言及も無かった。LLAのスタッフに聞くと「明らかにレスリーの業績を無かったことにしたいと考えている人々も存在する」という。 それほどにレスリーの存在はタブーに触れるものだったというのだろうか。一ファンとして、それもレスリーの「本拠地」にいないファンとして、悔しく歯がゆい。日本だったら、レスリーの名を正当に残すためにどんなことでもするのに。できるのに。 そういう意味で、各国のファンが手を携えて、追悼の会を開く努力には本当に感謝したい。その努力があってはじめて、私達はこの日に、香港のこの場所に立つことができるのだから。 はじめて海外のファンと一緒にレスリーのコンサートを見たのは台湾だった。そのときからずっと「追っかけは、国境を越える」と信じてきた。「国際交流は追っかけからだ」と。シンガポールのモイチューは元気だろうか。台湾のサンディは、やっぱりファンのケヴィンと結婚して一児の母となった。 私たちを結び付けてくれたのはレスリーだった。レスリーもまた、ファンが彼の存 在を通して国境を越えて結びつくことを望んでいたに違いない。彼自身もまた国を超 えた存在になることを望んでいたに違いないのだから。叶うことは無かったが、私は それに立ち会いたかった。だからせめて、追悼の場は今後のファンの交流の場となり 続けるよう私も努力していきたいと思っている。 ◆2005年4月発売の、シネマジャーナル64号に、「燭光裏懐念 張国栄」のさ らに詳しい様子や、牛池灣文娯中心で行われたLLA主催追悼上映会の詳細を掲載しています。 |
DJ Vera Lee 互いに配られた蝋燭の火をつける 6時41分 黙祷 歌うレスリーの映像を観ながら供に歌うファンたち 会場となった公園の目の前にはマンダリン・オリエンタルホテルがたつ マンダリン・オリエンタルホテルの横にファンが捧げた花と看板 ファンが捧げた花で埋め尽くされたマンダリン・オリエンタルホテルの横 |