60年代のグループサウンズ全盛時代、日本ではワイルドワンズ、アメリカではブラザーズ・フォアやPPMのフォークといったソフトな音楽が好きだった私にとって、ザ・ゴールデンカップスの奏でるちょっと激しい曲は苦手だった。映画を観てみて、マモル・マヌーやルイズルイス加部といった美形がいたのにびっくり。何しろ、あのころ、ミッキー吉野の巨体しか私の目には入っていなかったから、え〜こんな素敵な人たちがいたんだ〜!と、今さらながら、どうして彼らをちゃんと見ていなかったのかとがっかり。人は外見じゃないとわかっていても“綺麗”に弱い私!!そして、映画を観ていて「長い髪の少女」が彼らの曲だったことを知って、これまた意外だった。「長い髪の少女」は大ヒットして、もちろんよく知っている曲だけど、R&Bのイメージが強いカップスと結びついてなかったのだ。それは彼ら自身も、ライブではまず日本語の曲を歌わないという気持ちだそうだから、私の認識は彼らにとっては嬉しいことかもしれない。(と、勝手に思おう!)
映画には1960年代末から70年代にかけてのベトナム戦争末期の反戦運動が盛んだった時代の映像も出てきて懐かしかった。そして、リードギターのエディ藩が横浜中華街「鴻昌」の跡取り息子であることを知って思わぬ縁を感じた。「鴻昌」は、私が横浜の高校に通っていた頃、土曜になると山下公園でベトナム帰還兵に英会話を試み、その後によく行っていたお店なのだ。叉焼を切るエディ藩の姿が微笑ましかった。(今度、中華街に行ったら、会えるかな?)
去る10月10日渋谷公会堂で映画完成披露ライブが開かれた。当時から彼らの音楽性に惚れていた妹がチケットを取ってくれて、前から4番目という素晴らしい席で、35年ぶりという渋公ライブを体験することができた。会場には、小雨の降る中、かつてのファンが駆けつけ、今やカップスと同じく熟年の域に達したファンたちは、静かに、でも熱い気持を抱えて舞台の彼らを見守った。
最初の数曲は、リーダーのデイヴ平尾やマモル・マヌーは登場せずに演奏された。 その後、映画『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』の予告編スペシャル版 が流され、しばし60年代に引戻される。そして、18歳の時からカップスの追っかけをしていたというテリー伊藤の呼び声で、いよいよデイヴ平尾が登場し、オリジナルメンバーでの演奏。しばらくドラムを叩いてないというマモル・マヌーには、助っ人のドラマーが。デイヴが数曲歌ったあとは、ミッキーやマモルのソロ。その間、舞台の左袖のソファでビール片手に休むデイヴ。その後のメンバー紹介では、それぞれのファンから、ちゃちゃが入ったりして楽しい。メンバー紹介の最後「来年還暦です。独身でーす! 六本木で毎日歌ってます!」と元気なデイヴ。渋い歌いっぷりを たっぷり見せてくれた。スペシャルゲストとして忌野清志郎が、派手なゴールドのガウンをはおって登場、デイヴと清志郎の息もぴったり。エディ藩も、「本牧ブルー ス」や「横浜ホンキートンクブルース」で、素晴らしいギターと声を披露してくれた。
デイヴが「(老眼でカンペが)よくみえない」と言ったり、マモルが「皆、アルツハイマーじゃないかと思ってるんですよ」と言ってみたり、歳を取ってしまったことを茶化していたけれど、皆、それぞれに素敵に歳を重ね、ほんとに楽しいライブだっ た。
コンサートの最後に、デイヴが映画を製作した桝井省志さんのことを感謝を込めて紹介した。かつて『ファンシイダンス』(1989)『 シコふんじゃった。』(1991)、『Shall We ダンス?』(1996)、『ウォーターボーイズ』(2001)などのヒット作を産み、最近ではやはり音楽にゆかりのある『タカダワタル的』(2003)や『スウィングガールズ』(2004)を手掛けた方だ。デイヴは、この映画が当る当らないより、日本で初めてのバンドのドキュメンタリー映画として映画史に残ることが嬉しいと、敬意を込めて桝井さんに拍手を贈っていた。私も青春のひとときを思い出させてくれた桝井さんに感謝!
『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』公式HP>> http://www.altamira.jp/goldencups/