(監督:ポール・コックス/2000/オーストラリア)
シネスイッチ銀座、関内アカデミー劇場で公開中
原題は「INNOCENCE」、70歳間近の女性が、残り少ない人生をかけて、ただ一途に 愛を求める姿を描いている。静かに暮らすクレアのもとに、 家族の反対で別れた初恋の相手、アンドレアスから手紙が届く。 50年ぶりに再会した二人は、かつてのようにお互いを求めあう。 アンドレアスの妻はすでに他界していたが、クレアには夫がいる。 しかし、クレアはアンドレアスと共に生きる道を選ぶのだった……。
クレアとアンドレアスのベッドシーンは正直、見るのが辛い。 自分の祖父母を思い起こすからだろうか。心理的な抵抗があるのをみると、 私の内にも知らず知らずのうちに、固定観念が植え付けられているのだろう。 それを打ち壊す意味でも見に行ってよかったと思う。
二人の関係を知ったクレアの夫、ジョンは「この年になってこんな目に遭うとは 思わなかった」と嘆く。確かに、このまま平穏に暮らせれば、 それは幸せと呼べるものだろう。けれども、生きているからこそ、そんな悲しみ、 憤り、苦しみを感じることができるのではなかろうか。逆説的だけれど、 妻がいつでも居心地のいい生活を整えてくれて地元のコーラスサークルに精を出す生活よりも、 ずっと人間的と呼べるかもしれない。クレアも見たところ、上品で理性的な女性で、 とても夫を捨てて恋人のもとに走るようなタイプには思えない。 最後に読まれるクレアの手紙も、見方によっては自分勝手だ。しかしだからこそ、 彼女を大胆な行動に走らせた、愛し愛されたいという願望の強さに驚かされる。
死の足音を感じつつ暮らしている人々を主人公に据えることで、 人間が生きるということの原点を考えさせられずにはいられない。地味な映画ではあるが、 制作側が描きたいことをきちんと提出している大人の作品だ。
(監督:フェルナンド・ペレス/1990/キューバ)
4月14日(土)より新宿東映パラス3にて公開
昨秋、カネボウ女性週間で上映された作品で最後のキューバ資本映画になるそうだ。 女性監督の作品ではないが、脚本を女性のアイダ・ロイェロが書いている。 『山の郵便配達』と同じく、監督&脚本が夫婦というコンビである。
1956年のハバナが舞台。女子高生ラリータの家は貧しく、おじ夫婦の家に居候している。 隣にはヘミングウェイの大邸宅があり、ラリータは従姉妹のフローラと時々 こっそり忍び込んだりしている。ラリータの夢は奨学金をもらってアメリカに留学すること。 学業も優秀だし、自分なら絶対やれると信じている。だが……。
ひとことで言うと、無邪気に明るい未来を夢見ていたラリータが現実を知っていく話なのだが、 壁につきあたって悩む彼女を見守る大人たちがいい。ヘミングウェイの「老人と海」 をラリータにくれた古本屋の主人は、学生運動に熱中する恋人と学問に励みたい 自分の気持ちの間で揺れるラリータに「鳥よ、休んでいきな。そして人生に 向かってゆきなさい」と店の中に入れる。 学校を休んだラリータを心配した先生は、ベッドの傍らにあった「老人と海」 に目をとめる。「悲しい物語は嫌いです」と言うラリータに 「これは失敗の物語ではありません」とだけ言い残して帰ってゆく。 実学でない学問など勉強してどうなると、おじ夫婦はラリータを笑い者にするだけだが、 祖母だけは「あきらめちゃいけないよ」とさりげなく励ます。 「夢は信じればかなう」という甘言が通用するのは恵まれた社会だけなのだ。
結局、留学はかなわぬ夢で終わり、ラリータは濃い化粧をして、 嫌がっていた喫茶店の夜勤をするようになる。ラリータは全てをあきらめたのだろうか? そうではないだろう。ラリータは不屈の魂を持つ老漁師と出会ったからだ。 一度挫折を味えばこそ、ヘミングウェイの言葉が一層心にしみる。 「ハロー ヘミングウェイ」とは、少女が絶望の果てに見い出した希望の言葉なのだ。
これもまた控えめだが、キラッと光る、思うところ多い作品だ。