女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
38号 (1996.09)  pp. --

夏雨インタビュー   北京市内にて
『阳光灿烂的日子』(『太陽の少年』)でベネチア映画祭主演男優賞を最年少で受賞

宮崎暁美


 姜文が初めて監督した『阳光灿烂的日子』に主演していたのが、夏雨(シア・ユイー)。そして、この映画で九四年ベネチア映画祭の主演男優賞を史上最年少で受賞した。この映画を撮っていた時は一六才で、映画の中では少年という感じだったけど、今年八月北京で会った時には一九才。昨年、中央戯劇学院に入学して一年がたったところで、すっかり青年っぽくなっていた。中央戯劇学院は姜文や鞏俐も学んだ中国の演劇人を養成する学校。

 このインタビューは北京電影学院に留学中の村山さんが夏雨を知っていて、引き合わせてくれた。そして、彼から姜文の連絡先を教えてもらい、姜文のインタビューも可能になったというわけで、ほんとは彼の方が先に会えたのだけど、載せるのは後にさせてもらいました。7/11、お粥屋で食事をしながらリラックスした雰囲気の中でのインタビューでした。



宮崎(以下 ) 姜文は自分の子供時代を演じる子を半年くらい捜したそうですが、この映画に出るようになったきっかけは?

夏雨(以下 ) 新聞での公募に応募しました。

 私は中国の映画雑誌であなたのことを見た時、なんて姜文に似ているんだろう、きっと姜文は子供の頃こんな顔をしていたんだろうなと思ったんだけど、自分でも似ていると思って応募したの?

 自分では似ていると思っていなかったけど、まわりの人たちが皆、似ていると言っていたので応募した。

 姜文の指導はどうでしたか?

 役者にプレッシャーを与えないように、自由にさせてくれた。脚本をみて、最初は自分で考えたようにやれと言われた。そのあとどこが悪いとか、いいとか、注意や指示を与えて次の演技をやるというやり方だった。自分としてはこの演技指導のやり方は、とても好きだった。

 彼は自分が役者だから、そのように撮ったのだと思いますか?

 大いに関係があると思う。

 喧嘩のシーンはほんとに殴ったのですか?

 殴る真似です。

 王学圻(ワン・シュエチー)はお父さんの役だったけど、文革で下放されていなかったのかしら?

 軍人としてどこかに派遣されて、いなかったという設定です。

 お母さん役の斯琴高娃(スーチン・カオワ)が出てくるシーンが少なかったけど、お母さんもいなかったのかしら? それと、お母さんに怒られてぶたれるシーンがあったけど、あのシーンがなんでぶたれたのかよくわからなかった。

 お母さんはいたんだけどあまり出てこなかっただけ。あのシーンはご飯を作るのを手伝った時にドジッて中のものをひっくり返しちゃって、怒られているシーンだったんです。ほんとにたたかれちゃった。

 一番大変だったところは?

 いっぱいあるけど、どしゃぶり雨のシーン。ほんとにどしゃぶり雨の中で撮ったんです。

 撮影は主にどこで撮ったんですか?

 99.9%北京。駅のシーンだけが違う。

 (インタビューが終わって、実際に寧静(ニン・チン)が住んでいるという設定だった建物がそばにあるからと、そのロケ地に連れていってくれた! 夜だったので暗くてよく判らなかったけど、ドイツ人が建てたという洋館風の建物だった)

 主演男優賞を獲ったけど、ベネチアには行ったんですか?

 行ってません。姜文が代わりにトロフィを貰いました。

 それまで演技の経験もなく、いきなりベネチアで主潰男優賞を獲って、その後の生活はいかがですか? 中国では去年の八月に公開されてヒットしたし、九月からは戯劇学院に入学したわけだから生活は一変したのでしょうけど、やりにくいことはありますか?

 やっぱり全然ないとは言い切れない。街を歩いていると声を掛けられたりして、あまり自由に街を歩けなくなったし、学校でも特別な目でみられて、やりにくいことはある。でも気にしないことにしている。

 この映画に出演した時は一六才で、去年から中央戯劇学院に入ったわけだけど、最初から俳優になりたいと思っていたのですか?

 この作品に出演が決まった時点で、自分でも少しは俳優になろうと思った。でも、この道に進んでみようと認識したのは撮影が終わってから。

 戯劇学院はどんな構成ですか?

 演技班が三つ、音楽班が一つです。一クラス二〇人で、四学年合わせて四クラス、八〇人。音楽班は一学年だけです。学生の募集は毎年あるわけではないので、抜けている学年もあります。

 戯劇学院に入ってどうですか? 授業はどんな感じ?

 とてもいいです。演技の基礎をみっちり学んでいます。

 学校の授業は厳しいですか?

 うん、大変。

 他の監督の作品に出たことはあるのですか?

 まだ、出ていません。現在は戯劇学院の学生なので、演技の勉強をしています。でも、授業に差し障りがないちょっとした役でTVには二回出ました。ほんのチョイ役です。それは、まだ放映されていません。

 在学中に映画に出演することは可能なのですか?

 休みの時は可能だけど、他はだめです。三年生からは授業があっても外の映画やTVに出演可能です。

 姜文の紹介を読んだ時、学校での劇に出たことが書いであったけど、そういうことはもうあるのですか?

 二年になるとあります。大きな舞台は四年生だけど、学校の中に小さな劇場があって、そこでの練習はけっこうあります。

 戯劇学院を出た人は舞台俳優になる人が多いのかしら?

 だいたいそうです。

 姜文や鞏俐は特別なのかしら?

 学校で勉強するのは舞台の勉強だけど、卒業してしまえば何をしようが関係ない。たまたまチャンスがあれば映画の方に行くこともあります。

 どんなものをやってみたい?

 いろいろやってみたいけど、喜劇!(笑)

 どんな俳優が好き?

 トム・ハンクス。そして、姜文。

 ごますってますねー(笑)。『阳光灿烂的日子』以前の姜文の作品はみたことがありますか?

 そんなにみていない。『芙蓉鎮』『紅高梁』『春桃』『大太監李蓮英』『龍謄中国』『秦頌』。

 ほとんどみているじゃない!(笑)。学校で映画をみたりすることはあるんですか?

 ない。学校では舞台はみに行くけど、映画は自分でみに行く。

 台湾や香港の映画や舞台のことは自分で興味を持っていない限りは情報が入ってこないのかしら?

 雑誌とか、新聞で知ります。

 日本の映画はみる機会はありますか?

 みる機会はほとんどありません。『阳光灿烂的日子』の公開で香港に行った時、『高校教師』をみました。中国ではこういう映画は作れないと思いました。他に日本映画をみる機会は一般公開されるものをみるしかありません。あと、TVでやるものはみることができます。日本のアニメとかはよく放映されています。

 学校に図書館とか資料館とかあって見たりしますか?

 見ることもあります。でも日本の情報はありません。

 北京電影学院との交流はありますか?

 学生の中では今のところありません。

 最後に、最近中国の映画人の来日は少ないのですが、香港や台湾の俳優や監督の来日はけっこうあります。『阳光灿烂的日子』が日本で公開される時にはぜひ来てほしいですね。

 私もぜひ行きたいです。

 (その時には、私も通訳でついて行く!と影の声)



 ということでインタビューは終わったのですが、まだ演劇学校の生徒ということで、これからが楽しみです。とても気さくで、コメディをやってみたいというのがわかるような気がしました。そして中国の映画をどう思うかとか、どんな映画をみたことがあるかとか逆にこちらがいろいろ質問されたこともありました。

 八月にまたTVに出るかもしれないと言っていましたが、どうなったでしょう。今までに二回出たことがあるというTV番組のことを聞いた時には、ほんのちょっと出ているだけで、言うほどのことではないと言っていましたが、映画やTV番組でみることができる日もすぐやってくるでしょう。


 このインタビューは北京電影学院に留学中の藤岡さんと村山さんが通訳してくれました。ありがとうございました。



北京特集

  1. 北京電影学院大学院 監督科での一年間とは
  2. 姜文インタビュー! 初監督作品『阳光灿烂的日子』について聞く
  3. 夏雨インタビュー 北京市内にて
  4. 北京滞在記+劉徳華のコンサートを見に香港へも行ってきましたの記



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