三四号に藤岡さんの北京便り を載せましたが、三〇号で『花を売る乙女』、 三一号で『天国からの返事』を書いた橋本さんも 朝鮮語を学びに中国の朝鮮族自治区、吉林省延吉市の延辺大学に留学しています。 彼女からのお便りが届きましたので載せたいと思います。 |
一九九五年一〇月二九日 M. 橋本 延吉に来て二ヵ月が過ぎました。最初の一ヵ月は新鮮な毎日で東京の生活が嘘のように 感じられ本当に開放されて楽しかったです。一ヵ月過ぎた頃、寮を出て朝鮮族の家庭に 下宿し始めましたが、中だるみが始まって集中できない日々を三週間ほどすごしました。 朝鮮語の方はゆっくり勉強しています。街を歩くのが好きで、一日一回は自転車で 出掛けます。今日の気温は九度。すっかり冬ですね。 朝鮮族は中学校から第一外国語として日本語を勉強しています。朝鮮族の暮らしが 見れると思ったのに下宿先の母親は日本に住んでいたことがあり、日本好きで、 電気製品は全部日本製です。 延吉には韓国との合弁会社が多く、韓国人留学生もたくさんいます(延辺大学に 日本人十五人、韓国人一〇〇人ぐらいかな)。私は今、韓国人に朝鮮語を習い、 彼女には日本語を教えています。 この間、長春の映画撮影所から延吉市にロケ隊来て[登β]小平と朱徳華が尋ねてきた 映画を撮影していました。大きな輸ができていましたが、カチンコもメガホンも照明も なしでやっていました。監督は四〇代前半くらいの男性で、助監督は四〇代後半に 見えました。年令はあきらかに監督より上なのに、助監督は監督からなにか 言われるとよく走っていました。女性スタッフも二人ほどいて、タイムキーパーらしい 仕事をしていました。私は語学がまだダメなので監督の名前も映画のタイトルも わかりません。日本語のわかる人に今度尋ねてみようと思います。 中国人の話によると「延吉ケチ」と言われているらしく、延吉を嫌っている人が 多いことも知りました。中国人朝鮮族の日本へのイメージ、朝鮮族の暮らし、言い方、 癖、延吉市の人口の三八%をしめる漢族の暮らし、延吉市民の娯楽は?などよく わからない延吉をもっともっと見てみたいと思います。
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