公開を前に来日したリンダ・ハッテンドーフ監督への6誌合同インタビューに参加させていただきました。このところ、戦争について考えさせられる作品が数多く公開されていますが、『ミリキタニの猫』は、その中でも特に感銘を受けた作品です。多くの皆さんに観ていただきたいと思いながら、すでに公開が始まって1ヶ月近くが経ってしまった頃に記事を掲載するという怠慢をどうぞお許しください。
— 今日8月15日は、かつて日本が敗戦した日です。9.11の出来事は、アメリカが戦場を経験したことがないので、過剰反応した面もあると思います。今、イラクやグアンタナモで拘束されている人たちがいますが、ジミーが強制収容所にいた頃と、9.11以降のアメリカには、どういった類似点があると思いますか?
監督:もちろん関連性があると思いますので、だからこそ、伝える必要があると思いました。真珠湾攻撃のあと、アメリカにいる日系人が強制収容所に入れられ、写真を撮ってはいけないとか、裁判も行われずに権利を剥奪されたりといったことが起こりました。それは、今起こっていることと全く同じことだと思います。
— ジミーさんの人生は、戦争の終わった後も大変な運命を辿りました。彼の人生や、監督自身の中で戦争は続いているのでしょうか? イラクのことなど、今の世界のあり方についてもお聞かせください。
監督:戦争には反対です。戦争はお互いの違いを解決する古くさい方法。先日、ジミーと一緒に広島に行きましたが、貴重な体験でした。あれほどの深い苦しみから、平和への運動を起こすことができたのは凄いことだと思いました。世界に誇ることのできるモデルだと思います。戦争は家族を引き裂いたり、仕事を中断させたり、人生を変えてしまうもの。今、世界中にある問題を解決するのに、戦争ではない違う方法を考える必要があると思います。残念なことにジミーは、あの当時の状況によって、日本人であること、米国人であることのどちらかを選ばなくはなりませんでしたが、両方が彼のアイデンティティ。選択を迫るのは間違っています。それぞれの人には、色々な側面があって、それを大切にすることが必要だと思います。
— 監督ご自身や、家族の方が戦争体験や平和運動をされていますか?
監督:第二次世界大戦を経験した家族は、大なり小なり戦争の影響を受けています。私自身についていえば、この映画自体が平和運動になればと願っています。この映画と一緒に各国に出向いて、この映画に触発されたという声を聞きました。テレビでは、戦争の映像ばかり流しています。私自身は何もできない小さな存在だと思っていますが、平和を映像として見せることが出来ればと思います。
— なぜドキュメンタリー作家を目指したのですか? 影響を受けた方は?
監督:私が生まれる前に亡くなったので、私自身は会ったことがないのですが、母方の祖父が母の小さい時の映像を残していて、よく見せてもらいました。フィルムは、過去に触れる窓としての役割を持っていると感じました。編集者としてラッキーなことに、ケン・バーンズやバーバラ・コップルなど優秀な人たちと仕事をしてきて、大きな影響を受けました。
— プレス資料によれば、当初、「ホームレスの四季」というテーマで撮り始めたとのこと。それが、このような反戦意識の強い作品になったのは、9.11の出来事が、アメリカにとっても、監督にとってもターニングポイントだったということでしょうか?
監督:人生は計画している内に、どんどん過ぎていくものです。ドキュメンタリーでは、こういうことをしようと思っていたのに、他の方向にいってしまうことがよくあります。多分、私が女性だからか本能的にフィーリングで行ってしまうことがあります。このジミーという男性の人生には重要なことがあると直感したのだと思います。ドキュメンタリーの編集者として長年やってきて、マテリアルをたくさん観て、何を語りたがっているかを掴むということを重ねてきました。ジミーは、私たちが知らない大切な歴史的瞬間を知っている人。戦争指導者だけでなく、戦争の影響を受けた普通の人が語る言葉の中にも大事なことが潜んでいると思います。
— ジミーが日本かアメリカ、どちらかの選択を迫られましたが、日本には、在日韓国人や日系ブラジル人といった人たちがいます。いくつかのベースがありながら、いずれか一つを選ばなくてはいけないという状況について、どう思われますか?
監督:日本にそういう人たちがいることは知りませんでした。ニューヨークには、いろんな国の人が集まっていて、いろんな文化が混じり合って、恋に落ちて、子供が出来てと、素晴らしい環境だと思います。未来に向けて、お互いを受け入れて、自分たちを繋げているものにお互い注意を払う・・・。テレビにはなかなか出てこない現実——オープンさ、平和、お互いを理解する、こういったことをテレビや映画で見せていきたいと思います。新しいWebというメディアは、自分たちなりの現実を表現できる手段だと思います。
— 私はイランと日本の文化交流の会に携わっているのですが、イランの人たちは、アメリカのメディアがイランのことを悪いイメージで報道することに心を痛めています。アメリカという国は、報道の自由があるようで、実は、政府の思惑で報道が左右されている面もあるのでしょうか?
監督:これは確かに大きな問題です。あるグループが悪魔呼ばわれすることはよくないことです。小さな放送局が大きいところに吸収されていくこともあります。けれどもWebサイトもたくさんあるので、大きなメディアが流していることとは違うことも発信できると思います。私のこの映画では、一人の人間性を見せたいと思いました。
— ツール・レイク収容所を2002年に訪問してから、この映画の完成までその後4年もかかったのは?
監督:資金集めよ! 撮影している時は、編集者としての仕事をしながらで、通勤途中の朝と晩に撮っていました。その後、助成金をいろいろな形でもらいました。話しを聞いて賛同して、1000ドルの小切手をくれた人もいます。撮影してから、完成させるまでに8年かかったという知人もいますので、私はラッキーだと思います。
— 次に追いかけるリアル(現実)はありますか?
監督:平和について学びたいです。ケーブルテレビのヒストリーチャンネルでは戦争のことばかり見せています。どう理解しあっていくか・・・ 世界中を回って平和が存在しているところを取材していきたいです。
— パーソナルな映画で、インディペンデントで、小さな出会いから、このような作品が出来たことは大きな励みです。具体的に次のテーマは?
監督:広島を次のプロジェクトとして考えています。世界中回って、現在平和が実現しているところを見せたいと思っていますが、今はまだ『ミリキタニの猫』で世界を回っている状況なので、まだ曖昧です。ドキュメンタリー作者としてのゴールは、歴史を頭で考えるのでなく、ハートで捉えることが必要だと思っています。広島の式典で、二人の子供たちが語った「平和への誓い」が非常に心に残りました。いやなことをされても仕返しをしない。同じことを繰り返しては憎しみの連鎖になる・・・といった内容でした。ジミーにとっても、私にとっても、広島の記念式典に出席したことは大きな意義がありました。
インタビューは、流れから、平和論に関連した話題に終始した感があり、6誌合同だったにもかかわらず、あまりバラエティに富んだ質問は飛び出しませんでした。この映画には、マサ・ヨシカワさん、出口景子さん、ロジャー・シモムラさんといった日系人・日本人の方が製作に携わっていらっしゃいます。はたして、ジミーさんに出会う前から、日系人や日本人のことをどれほど監督はご存知だったのかを伺ってみたかったのですが、機会を逸しました。ジミーさんの日常についても、もっとお聞きしたかったところ、写真撮影のときに、「ジミーさんは、監督の似顔絵を描いてくださることはあるのですか?」との質問が出ました。「ないのよ。彼は猫しか興味ないの!」との監督の言葉に、二人の関係に、なんだかとても微笑ましいものを感じました。
この合同インタビューの翌週、『ヴォイス・オブ・ヘドウィグ』のキャサリン・リントン監督にインタビューさせていただいたのですが、彼女もリンダさんと同じくニューヨーク在住。ニューヨークという町の持つコスモポリタンで自由な雰囲気を、二人の女性監督は感じさせてくれました。(咲)
リンダ・ハッテンドーフ監督の合同インタビューに参加させてもらいました。監督は、明るく快活な女性。ミリキタニ氏の絵を偶然買ったことから撮り始めた記録が、壮大なドキュメンタリーに仕上がったことに、出会いの妙を感じました。(暁)
なんといってもジミー・ミリキタニ氏の絵がいい。豊かな色彩とユーモア感たっぷりの猫の絵から、第二次世界大戦中に収容されたツール・レイク収容所の絵、原爆の絵。また虎を描いた墨絵の細やかさ。ミリキタニ氏の戦争に翻弄された人生への思い、生き様への興味ももちろんあるけど、ミリキタニ氏の絵があったからこそ、このドキュメンタリーは成り立ったと思います。
それにしても路上で黙々と絵を描く老人の人生に、戦争が深い影を落としていたということを掘り起こし、作品に仕上げたリンダ・ハッテンドーフ監督の手腕は見事でした。リンダ監督は最初、単に絵を売りながら生活している路上生活者の四季を描いたドキュメンタリーを考えていたと言います。しかし、撮り始めてすぐ、この老人の波乱万丈の人生にはとてつもないものがあると感じ、すごいドキュメンタリーになると感じたそうです。それは、「長年、ドキュメンタリー映画の編集者として養ってき勘だと思う」と語っていましたが、そういう計算以外に、彼女の善意なくしては、このドキュメンタリーは成り立たなかったと思います。
9・11事件後の環境悪化で路上生活者だったミリキタニ氏を引き取ったり、市民権が回復されていたことを突き止めたり、老人センターのようなところで絵を教える仕事をみつけてきたり、社会保障の権利を復活させ居心地のよさそうな部屋を確保したり、長年離れ離れになっていた姉を探し出したり、彼女の尽力なくしてミリキタニ氏の人生は変わっていかなかったでしょう。その状況変化の過程が、このドキュメンタリーの骨格になっています。
ところで、先日観た『シッコ』では、アメリカの医療制度の問題点が描かれていました。アメリカの医療制度が、これほどひどいとは思ってもみなかったけど、この『ミリキタニの猫』を観ると、ミリキタニ氏がケア付老人ホームのようなところに入ったシーンが出てきて、老人福祉制度とかは整っているのかなと思いました。医療制度と福祉制度はセットで考えられるものだと思うので、そのへんのアンバランスが気になりました。
なお、シネマジャーナル71号では、戦争を考える特集を組んでいます。この『ミリキタニの猫』も紹介していますし、『陸に上がった軍艦』『ヒロシマナガサキ』『花の夢』『純愛』『TOKKO 特攻』『ガイサンシー(蓋山西)とその姉妹たち』『北京の恋—四郎探母』などの作品紹介を始め、読者とスタッフによる、私の「心に残っている戦争映画」というテーマで、たくさんの戦争に関わる作品を紹介しています。本誌もぜひ、読んでくださいね。
(暁)