いつも浜松から原稿を寄せてくれる藤岡さんが、この八月から一年間、中国語を学びに北京に行ってます。さっそくお便りが届きました。これから一年間、随時載せていきたいと思いますのでみなさんお楽しみに。今回は29号でも紹介した『芙蓉鎮』『紅いコーリャン』などで日本でもお馴染みの俳優、姜文(チアン・ウエン)の初監督作品『阳光灿烂的日子(光り輝く日々)』(香港題名は『陽光燦爛的日子』)の北京での公開の模様をレポートしてくれました。
今年の香港電影節のオープニング作品でもあります。
■北京便り
『阳光灿烂的日子』北京で公開! (1997年日本公開時のタイトルは『太陽の少年』)
N.藤岡
こちらのTVや新聞、そして街の雰囲気も、世界女性会議で盛り上がっていますが、肝心の内容についてはさっぱり報道されず、よくわかりません。
映画はいよいよ姜文監督の『阳光灿烂的日子』が始まりました。私は2度観ましたが、あと何回かは観に行くつもりです。もう期待以上のすばらしい映画です! 地元の新聞や雑誌でもかなり話題になっています。それではその公開模様をレポートします。
〈封切上映会・北京市紫光劇院〉95年8月29日19時30分~
国内の期待と注目を一身に集めていた話題作の封切、しかも主要キャストの舞台挨拶付きとあって、会場の内外共大変な賑わい方であった。セレモニーが行なわれたのは先行ロードショーの権利を獲得した市内3ヵ所の映画館(北京市内の十数軒の映画館が参加して先行上映権の入札が先に行なわれた。このような公開方法は史上初の試みだそうだ)、及び北京展覧館劇場(映画の中に登場する)。
このうち展覧館劇場では14時開始のチケットが正午には売り切れ、20元のチケットを100元で売ろうとするダフ屋と集まった観客に突然の土砂降りまであって、チケット売場周辺は大混乱。
繁華街から少々離れた所にある紫光劇院では16時の時点ではまだチケットを買えたものの(こちらは30元)、開演前にはやはりダフ屋が出没していた。座席数900以上の場内がさすがに満席。観客の熱気も充満している。やがて姜文を先頭にキャスト一同と原作者の王朔が登場。観客全員が立ち上がって割れんばかりの拍手と口笛、歓声で迎えた。姜文は『紅いコーリャン』を彷彿とさせるスキンヘッドで壇上に上がると、やはりひときわ喝来を浴びていた。主人公の両親役の王学圻(ワン・シュエチー『黄色い大地』など)と斯琴高娃(スーチン・カオワ『息子の告発』『フル・ムーン・イン・ニューヨーク』など)、主人公の幼年時代を演じた男の子、主役の夏雨(シア・ユイー)、友人役の少年、寧静(ニン・チン)、陶紅ら、ひとりひとりの挨拶と、司会者の掛け合いがテンポよく続いてゆく。
斯琴高娃は映画ではもっさりとした格好の、田舎の農婦の印象が強いが、実際は洗練された物腰のすらりとした美しい人。名女優の風格を漂わせつつも、何かしゃれたことを言っては観客を沸かせていた。寧静は陽に灼けて見えたせいか?映画で見るよりもほっそりとしている。『哀恋花火』の時はエキゾチックな顔立ちの美人だな、くらいの印象しか残らなかったのだが、この作品での彼女は生き生きと演技していて、大輪の夏の花さながらの美しさである!
そして主人公、夏雨少年。現在の彼は背も高くなって、もはや青年といった雰囲気。姜文が6ヵ月かけて探し出したという彼は、本当におかしいほど姜文似である(29号参照)。姜文の少年時代の写真と見比べてみたい。今年、秋から中央戯劇学院に入学するというが、すでにヴェネツィア映画祭の“影帝”(最優秀主演男優賞受賞)だものなあ……。司会者も当然そのことに触れ、更に姜文が他の候補に上がった俳優たち(ハリソン・フォードら)を列挙して、「この夏雨は彼らを打ち破ったのです」と、力強く言い添えると、再び大きな拍手と歓声が贈られた。照れくさそうに「謝謝!」と応える表情が実によい。
この劇場には来なかったが、展覧館劇場にはエグゼクティブプロデューサーに名を連ねている劉暁慶(リュウ・シャオチン)や、主人公・馬小軍の仲間のひとりで、恋のライバル?となる役どころの劉憶苦を演じた耿楽(コン・ラー)も姿を見せたらしい。この耿楽は、94年の中国映画祭で上映された『青春の約束』で、ヒロインを魅了した長髪のロッカーである。この映画では髪が短く、始めのうち彼だとわからなかった。今までの中国映画界にはあまりいなかったタイプの俳優としてチェックしていたので、彼の出演はうれしい驚きであった。やっぱりかっこいい!
ひととおりキャストの挨拶が終わると、記念品のもらえる抽選会があり、拍手と共に一同が退場してセレモニーは終わった。
日本で俳優の舞台挨拶というのを見たことがないので違いはわからないけれど、舞台に上がるスター達は普段着のようなラフな格好が多く、写真も撮り放題。観客はしきりに姜文!姜文!と呼びかけ、実にくだけた、客席との一体感があるセレモニーであった。間近で見た姜文はがっしりしていて、自信と気力に満ちあふれ、正に男盛りといった感じ。この後も大作への出演が目白押しで(『宋家皇朝』他)、今後も中国映画を引っ張っていってくれそうな、頼もしい力強さを持った人である。
〈夏の北京で観た『阳光灿烂的日子』〉
70年代始めの北京。大人達は皆、“革命”で忙しい。馬小軍の父親も外地へ旅立って行った。世界は子供達のものだった。馬少年と仲間達、劉憶苦、劉思甜、羊搞、大螞蟻、于北蓓……。ある日、馬少年は忍び込んだ他人の家でひとりの少女と“出会う”。壁にかかった花のような笑顔の少女のポートレイトは少年の心にゆっくりと何かを芽生えさせた。その少女、米蘭も彼らの仲間に加わることとなる……。
プールでふざけ合い、よそのグループとケンカもし、歌い、踊り、泣き、笑った。あの頃、永遠の真夏、快晴の日。太陽はいつも彼らと共にあった。あの頃、きらきらと光り輝いていた日々。
私はこの文章を書いている時点で2回、この映画を観ている。どちらの時も周りは地元の若者でいっぱいだった。北京が舞台なので彼らにはなじみの深い場所や風景も数多く登場するだろうし、セリフの大半がいわゆる“北京話”で下町言葉やスラングの類もふんだんに使われているらしい。そして、もちろん同世代人にとっては忘れ得ない“革命”も端々に影を落としていよう。外国人にはわからない暗号のようなシーンもあるのではないかと思われる。
とにかく観客の反応はすごい。皆よく笑い、手を叩き、ぐんぐん映画に引き込まれているのがわかる。もともと日本と違って、あまりおとなしくお行儀良く映画を観る習慣のない人達であるが、この受け方は相当なものである。私と言えば、セリフ以外で笑わせる場面は良いとしても、主人公の仲間うちの会話となると全くお手上げで、サッパリわからない! 小学生でさえ笑っている場面で、肝心のセリフが聞き取れないとは情けない。それでも、それでもである。初めてこの映画を観終わったとき、私はこの映画が大好きになっていた。
この映画は観る者を幸福にしてくれる。より正確に言えば、観客の幸福な記憶に訴えかけるものがあると思う。私は観ていて何度も目の奥に涙がにじむのを感じた。夏の青い、青い空、降り注ぐ輝かしい光、なつかしい友達の笑顔、自転車で駆け抜けた野原…。おそらく誰もが心の底に持っている“光り輝く日々”の記憶がゆっくりと呼び醒まされて、詩情豊かな映像となって目の前のスクリーンに広がってゆく。ひとりの外国人、いわば部外者にすぎない私が何故か馬少年と共に、彼の“光り輝く日々”を追体験していくかのような時間。不思議な体験であった。
劇場を出れば、北京の街の雑踏である。遅い夏の太陽の光が斜めに差している。歩きながら考えた。姜文自身の語っているとおり、たとえ字幕がついてもこの映画を外国人が完全に理解するのは不可能だろう。十二分に楽しみ味わうことが出来るのは中国人の観客だけに違いない。そんな彼らが、そしてこんな魅力的な映画を創り出し、世に送り出すことの出来る彼らが、つくづくうらやましい、と。
〈姜文の語る『阳光灿烂的日子』〉
「この映画はひとりの少年が一人前の男に成長していく過程を描いている。こういった事は世界中どこでも、どんな時代でも、誰の上にも起こる事だし、主人公の友情や暴力や女性といったものに対する在り方がどんな風に成長していったかを表現していて、観客の心を揺さぶることができると思う。海外で上映した時には観客は、反応があるべき所は全て反応してくれた。国内の観客なら、より共鳴を得やすいと思う」(中国銀幕・8月号)
「この映画の精神は小説から来ている。(小説との)違いと言えば、王朔(原作者)はかなり冷酷で僕はロマンティックで情熱的だということ。また僕自身の経験もかなりストーリーに盛り込んでいる」(中国百老汇8月号)
※人気作家王朔の小説《動物凶猛》が原作となっていますが、王朔自身は「この映画は自分の原作とは全く別物となっている」と語っています。しかし、彼もこの映画が大変気に入り、観ていて初めから終わりまで鳥肌が立ちっぱなしだったそうです。
「外国人が観られるからには、中国人も観られるよう努力しなければならない。僕という人間は典型的な中国人だ。感覚も、物の考え方も表現の仕方もすごく中国的だ。この映画を本当の意味で理解できるのはやはり中国人だと思う」(中国百老汇 8月号)
※上の発言は国内での上映にあたり、電影局が要求した7カ条の修正に対するもの。姜文はこれらを受け入れ、結果としてオリジナル版2時間20分が18、9分短くなりました。プロデューサーの二勇は、時間が短くなったのは中国国内の配給システム上はよいことだ、としています。オリジナルの長さでは通常の作品2本分としては短すぎ、1本としては長すぎる、と。
しかし、この修正の費用を捻出するため姜文は相当苦労した模様です。すでに200万USドルを投じて作られたこの作品、修正のために更に150万香港ドルが必要となり、合作相手の香港側からはもう資金が出ず、姜文側だけで資金集めに奔走しなければなりませんでした。幸い、ある方面から援助があったのと、電影局が修正前に香港での先行上映を認めたのとで、何とか解決をみました。
□編集部 この作品はこの夏、香港でも公開され、ヒットはしなかったもののロングランだったそうです。日本でも公開して欲しい!
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