-
酒井さんが支配人になられたのは・・・
-
酒井 「支配人になったのは去年の9月です。 映画は観るだけのほうで、子供の頃から映画は好きでしたが、 熱中してというわけではありませんでした。 でも、一応映画の仕事はしたくて大学時代に大井武蔵野館でアルバイトしていて 自然にこの会社(武蔵野興業)に入りました。 はじめは同じ建物のホテルのほうにいて、去年やっと映画のほうにまわれました。
-
中野武蔵野ホールはいつから・・・
-
酒井 「映画館としては中野武蔵野館という時代がずっとあって、途中ホテルに敷地を建て直して、 今のようになったのはS62年の8月です。武蔵野興業の映画館は大井、新宿、自由が丘と中野ですが、 それぞれ個性がつよくて、立地条件にあわせて映画をかける路線がかたまりつつあります。
-
韓国映画をよくなさって、火付け役のようになっていらっしゃいますが・・・・
-
酒井 「そうですね。最初が『鯨とり』。 あれがたぶん韓国映画の日本での劇場公開の初めじゃないかと思います。 あまり韓国映画にはポピュラリティーがなくて大きい映画館はかけません。 ですから小さいところから火をつけていこうと。 前は大手の配給会社がからんでいなかったものですから、入りやすかったんです。 アジア映画社というのですが、そこの所から個人的な付き合いからはじまりました。
-
かなり盛況だったようですが・・・・・
-
酒井 「わりと入りました。『馬鹿宜言』とかは作品自体が有名でしたから。 安聖基の特集のときも入りました。 僕はNHKで『風吹く良き日』を観て彼のファンになりました。 昔はものめずらしくて韓国映画というだけでお客さんが入りましたが、 最近、韓国映画も市民権を得た感じですから、作品自体が良くないとやっぱりダメです。
-
個人的に好きな映画は・・・・・・・・
-
酒井 「一番は『無法松の一生』ですね、三船版の。 いろいろありますが『冒険者たち』とか、山田洋次の馬鹿シリーズ。 『馬鹿がタンクでやってくる』『馬鹿まるだし』『なつかしい風来坊』 と大島渚監督の『愛と希望の街』ですね。
-
そういった自分の好みが選定で役立っていますか
-
酒井 「12月のラジカル映画はそれこそほとんど好みです。 『19歳の地図』も好きでやりたかったんですけど。 監督でしたら、根岸監督が好きです。
-
最近すごく面白く、かわった番組ですね。 去年の年末は日替わりで・・・・
-
酒井 「あれはもう、12月はどうせ入らないだろうから、だったら好きなのやっちゃおうと。 単にしばらく観てない映画だったなあと。ただそれだけですね。
-
『老人と海』『地下の民』『時が乱吹く』を観ましたが、見逃してしまったり、 遠くで上映されていた作品をしてくださるので助かってます。
-
酒井 「名画座がほとんどないですからね。 一応建前は単館のロードショー館、ミニシアターなんです。 ですから、『老人と海』や『地下の民』はやる意義があるんじゃないかと。 どうせやるならウカマウ集団の短篇も一緒につけてやったほうがいいと思いました。
-
番組はどうやって決めますか・・・・・
-
酒井 「今は新宿武蔵野館にいますが、ここの初代の支配人だった細谷という者がおりまして 彼が中心になって番組を決めます。 もちろん、僕の意見もはいりますが。相談しながら決めています。 従業員は社員は僕一人で、あとはアルバイトですが、 映写技師のふたりはオープンからずっとですから、番組の話し合いにもはいってます。 人には節操のない番組といわれますが、「面白い映画、やる意味がある映画をする」と思っています。
単館ロードショー作品が7、8割がたといったところです。
-
ご苦労は・・・・
-
酒井 「やることは全部むずかしいですよね。好きな映画を商売にするのは。 好きなだけじゃお客さん入りませんから。 自分が観て好きな映画でお客さんが入るのはベストですけど。そういうのはなかなか難しいです。 上映する作品をもってくるのもたいへんですね。 上部が決めてそれを流すということはなくて 映画館でみつけてきての単館ロードショーですから一から宣伝をしなくてはなりません。 資料は例の細谷さんの顔の広さでカバーしています。 宣伝もうちのキャパが小さいものですから、地道に経費をなるべくかけずやっています。
-
客層は? どの作品が入りますか・・・
-
酒井 「映画によって客層は変わります。『老人と海』のときは高かったし、 『時が乱吹く』のときも金井さんを知っている年代ということで比較的高かったです。 ペドロ・アルモドバルの時は若い女性が多かった。 もともと人通りのあるふらっと入れる所にない映画館ですから、お客さんはいくぞーという感じで。 「この映画」ってくる人が。年齢層は作品で絞られます。 最近で一番入ったのは『鉄男』です。レイトショーで連日満員、 ペドロ・アルモドバルも入りました。
-
個人的な映画との関わりは・・・・・
-
酒井 「中学、高校の頃、地方に引っ越したんです。金沢なんですが、 洋画のポルノが一本交じった3本立ての名画座が一軒と少ないロードショー館だけしかなかったので、 情報量がすくなくて。大学で東京にでてきて無性に映画を観たくなって、 金沢にいた頃観られなかった映画を名画座でまとめて観るようになったんです。 よくいきました、今はない大塚の名画座、高田馬場のパール座、早稲田松竹、五反田東映シネマ。 僕はS35年生まれですから1980年に大学入学でその頃以降封切になった映画はほとんど観てません。 自分の中で映画は70年代で終ってます。(笑) いけないと思いながらあまり新しいのは観たいとは思わないんです。
-
これからの抱負は・・・・・・・・・
-
酒井 「中野に似合った若手監督のものをガーンとやってみたいですね。 刺激のあるものをその中から出したい。やはり、日本映画はよくあってほしいです。
今年は1月にペドロ・アルモドバル。 2月に『5月夢の国』という光州事件のもの、 3月に『カブキマン』『バンカー・パレス・ホテル』『スキンレス・ナィト』、 その後『ゼロシティ』(ソ連)これがゴールデン・ウィーク、 5月の後半から『狭山事件』(狭山事件のドキュメンタリー)をします。
*う〜んなかなかのライン・ナップ。驚嘆をするふたり。
-
『自転車吐息』がかかっていましたが・・・
-
酒井 「去年はレイトショー、今年は昼間にアンコールロードショーでした。 とにかくキャパが少ない(73席)ですから、なるべくなら中野でということで、 若い映画監督を育てていこうと思ってるんです。 そういう意味で園子温(『自転車吐息』の監督)さんの作品かけたわけです。 あと『追悼のざわめき』というのも。 わりと自主上映なさっているかたも一緒に大手にかからない感じの映画も育てていこうと思っています。 自主製作は売込もありますが、試写を観てこちらから声をかけることもあります。 上映することで監督は成長していくんですね。 でもつくっても上映する場がなかなかない。 『鉄男』なんかはうちのレイトショーやってそのまま成長して、 塚本監督は有名になりました。今じゃ相手にもしてくれない(笑)。 これも痛し痒しなんですけどね。 長い目で映画界の為になれればいいと思ってます。
-
最後に一言
-
酒井 「『スキンレス・ナイト』を観て下さい。強力オススメ。期待大です。