*オーストラリア映画 *監督 スティーブン・ウォーレス *主演 ブライアン・ブラウン、塩屋俊
■この映画を観る前に…
第二次世界大戦中、オーストラリア北部、 ダーウィンから北へ一千キロに位置するインドネシア諸島のひとつ、オランダ領アンボンは、 日本軍にとっても、オーストラリア軍にとっても、戦略上、非常に重要な地点であった。
一九四一年一二月、屈強のオーストラリア兵がアンボン島に配置された。 これは既に駐留していたオランダ兵を支援することと、 自国の防衛という二つの目的のためであった。
一九四二年一月三〇日と三一日の夜、日本軍はアンボン島に上陸し、戦闘が繰り広げられた。 オーストラリア兵一、一五〇名、オランダ兵二、六〇〇名の部隊に対して、 日本軍は三五、〇〇〇名。わずか、六日でアンボン島は陥落。 捕虜となった兵士はアンボンをはじめラヴァウル、ミンダナオ等周囲の島々の捕虜収容所に収容された。
それから三年半の間、捕虜たちは休む間もない労働、病気、飢餓殺りくに耐えしのばなくてはならなかった。 中でもアンボンPOWに収容された捕虜が受けた待遇は、 第二次大戦中オーストラリア人が捕虜として体験したものの中では、最悪のものだったという。 それは、収容された五三二名のオーストラリア兵のうち、 戦争終結の三年後に生き残ったのはわずか一二三名だったという死亡率の示す通りである。 そして、これは『戦場にかける橋』で有名なタイ・ビルマ鉄道建設におけるほぼ二倍に相当するという。
■解説
一九四二年、インドネシア諸島アンボンで一体何がおこったのか? 一九四五年一二月、南太平洋地域での戦争裁判はオーストラリア陸軍法務部が担当。 敏腕検事の手でアンボン島タン・トイ捕虜収容所の出来事が明らかにされていった…
『ニュールンベルグ裁判』『東京裁判』など有名な戦争裁判は映画化もされているが、 この映画で描かれたような小さな裁判は、記録にさえ残っていない。 何百人ものオーストラリア兵が虐殺されたタン・トイ捕虜収容所の裁判記録や文献は、 オーストラリアでは皆無に等しいという。
『アンボンで何が裁かれたか』はこの裁判を担当したあるオーストラリア人検事の実体験に基づいている。 この検事というのが、実はこの映画の脚本・プロデューサーのブライアン・A・ウイリアムスの父親なのである。 ウイリアムスは一二歳の時、自宅のガレージの片隅でこの裁判の膨大な記録をみつけた。 以来、アンボンでの出来事に長いこと興味をもちつづけてきたという。 映画化に際しウイリアムスの父親は多くの情報提供を惜しまなかった。
この映画は、多くの事実に基づいてつくられたフイクションであり、ドキュメンタリーではない。 が、登場する人物は実在する人物であること間違いなく (塩屋俊の演じる田中中尉は片山日出雄というクリスチャンで本人の日記や遺書も残っている) 俳優たちは資料を読み、演技に役だてたという。
■物語
太平洋戦争が終わった一九四五年一二月。オーストラリア陸軍法務部は、 南太平洋における日本軍の戦犯に対する告訴と裁判の義務をおっていた。 アンボンでの裁判もこのひとつであった。
アンボン捕虜収容所における日本軍のオーストラリア兵の捕虜虐殺事件、 これを扱うのは敏腕の検事、ロバート・クーパー大尉(ブライアン・ブラウン)であった。
捕虜の虐待の全ての責任は、南太平洋地域の最高司令官である高橋中将(ジョージ・タケイ) と池内大佐(渡辺哲)のふたりにあるとクーパー大尉は判断した。 戦争裁判は被告である日本人側にも弁護士(藤田宗久)がつく公平なものだったが、 日本の指導者層を温存しようとするアメリ力の思惑によって 男爵の身分を持つ高橋中将は無罪になってしまう。
裁判の進行中、ひとりの日本人田中中尉(塩屋俊)が長崎から自首してきた。 彼はクリスチャンで、ここでおきたことをきちんと証言し、 裁判に身をつらねようという意志を持っていた。
なんとか池内大佐だけでも有罪にしようとするクーパー大尉は オーストラリア兵パイロットが死刑にされた事件を捜査し、 これを指揮したのが池内であることをつきとめた。 しかし、池内は割腹自殺を遂げてしまい、上官の命令で実際に死刑を実行した田中中尉が、 この事件の責任をとることになってしまった。
そして、田中は死刑を宣告され、処刑された…
日本人俳優・塩屋俊 インタビュー
試写会の会場で、田中中尉を演じた塩屋俊に出会った。
映画の中の印象より背が高い。 ほんの短い時間、インタビューをさせてもらったので報告します。
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▼この映画に出られたきっかけは?
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僕は慶応大学出身で、学生時代、英語劇の演出などをしていました。 又、奈良橋陽子主催のアクティングスタジオで演技を学んでいました。 おととしの七月、この映画のオーディションを受け合格し採用されたんです。
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▼撮影はどこでおこなわれたのですか?
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海に近くアンボン島の雰囲気に似ていて、撮影に便利なところということで ブリスベーンの南、モートン湾の入江の一角が使われました。 ここは日本の観光客のお気に入りのゴールド・コーストにあります。 中日ドラゴンズがキャンプをするところです。 今ここの土地を日本の不動産会社が買っています。 ジャングルのシーンは力ナングラの熱帯雨林で撮影されました。
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▼この映画の中の日本兵は、 その他大勢の人も含めて言葉が自然でよかったですね。
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そうなんです。これは、監督と随分ディスカッションをして、 僕ら日本人スタッフの意見をとりあげてもらったからです。 監督は四五歳位の方なんですが、本当によく僕達の意見を聞いてくれましたね。 日本での公開を望んでいるなら、これは大事なことだと僕らは言ったんです。
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▼私はここにとりあげられた歴史的事実を初めて知ったのですが、 塩屋さんは御存知でしたか?
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僕も知りませんでした。 日本入がこういう行為(捕虜虐待)をしていたことも、 裁判でこういう処刑を受けたことも知りませんでした。戦争では、 人は加害者にもなるし、被害者にもなる。 オーストラリア人は確かに被害者だったんですが、それを追及していったら、 罪の軽いものを処刑しなくてはならなくなった… そんな矛盾がでてきたのですね。
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▼公開を前にひとこと…
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とにかくこの映画は公開されること自身が意義があるんです。 日本にこの映画を持ち込むのにあたって、見えない多くの圧力が ありました。『ベルリン天使の詩』が長く静かにロングランした ようにこの映画もぜひ多くの人に観て欲しいと思っています。 この映画の監督は、私が描きたかったのは、戦争とは個々の人 々によって起こされるもので存く、組織によって生み出されるも のであり、傷つくのはごく普通の兵士たちぱかりなのです…とい っています。戦争の態かしさを知ってもらうためにもぜひ、多く の皆さんに観ていただきたいと思います。
『アンボンで何が裁かれたか』を観て 〜戦争裁判は、誰が裁くのか?〜
佐藤
最初のシーンから、この映画は日本人である私にとってショッキングだった。 日本人捕虜がオーストラリア兵にこづかれて、オーストラリア兵の死体を掘らされる。 残虐なことをした日本兵ということなんだろうけど、 ここにいる日本兵だって好きでこんなニューギニアまできたのではないのに…という思いで、 死体を掘っている日本兵が直視できない。そして、無数の骸骨のアップ。
この残虐な捕虜虐殺をてがけた池内大佐を演ずる渡辺哲が凄い演技をする。 少々オーバーな感じもするが(シェークスピアシアター出身)適役である。 彼は最後まで象徴的に悪の権化としての役割を果たし、割腹自殺をしてしまう。 このシーンも直視できない。腸がぐにゃっと出てくるまで写している。 日本の切腹シーンを数多く観ているが、こんなにリアルな撮りかたをしたのは、観たことがない。
南太平洋地域の最高指揮官高橋中将を演じたのは日系米人のジョージ・タケイ。 『スター・トレック』などに出演している有名な俳優であるという。 この司令官は、戦後のアメリ力占領軍の日本の処理の施策の恩恵を被り、 男爵という身分ゆえに(よくわからないのですが、皇室を残すことになったので、 それに附随する華族も残されたのではないか)無罪になってしまう。
なんだって! 天皇は処刑されないのか! というオーストラリア検事の叫びは世界中の疑問符であったことを改めて学ぶ。 天皇とは第二次大戦中にそういう役割を果たしてきたのだ。
ふたりの責任者が、罪をまぬがれた。 罪はこうして自首をしてきた誠実なクリスチャンの下級兵士が負うことになった。
裁判は非常に短期間で処理された感じがした。 (資料が手もとにないので推測でしか言えないが…)ブライアン・ブラウン (あの『普通の女』のダンナ役の人)扮するオーストラリア陸軍の検事はとてもリベラリストで、 結局は上官の命令に服従し、 捕虜の処刑に実際に手を下さずにはいられなかった下級兵士が罪を被らざるをえなくなった現実に苦悩する。
私は今ひとつこのクリスチャンである田中中尉に心情移入ができなかった。 唐突に画面に現われるし、彼の人間性もあまりよく描かれていない。 捕虜に刀をふりあげる前や前夜に上官に、 これは間違った処理の仕方ではないかと反抗をするのでもなかった。 人を殺すということにもうすこしクリスチャンらしい抵抗があってしかるべきではなかったか。
狂気的な軍隊であったろう。日本兵自身にも食糧が既になかったのかもしれない。 捕虜を養うどころか自分たちにも飢えの恐怖があったのかもしれない。 公正な裁判らしくみせるため、真面目そうな日本人弁護士が出現するが (藤田宗久、なかなか素敵な人です) ニュールンベルグ裁判がそうであったように、戦勝国がすべてを裁くというパターンには変わりなく、 戦争を起こされる真の要因や原因の追及度合いが稀薄であるもの足りなさが、感じられる。
この映画の撮影には多くの日本人がエキストラとして雇われ、このなかには、 戸惑いをみせるものが少をくなかったという。 集団墓地を掘るシーンも、ショックが大きかったという。 歴史的事実を知って驚いているエキストラの様子が目に浮かぶ。 それにしても、このバックにつぶやかれる日本語は外国映画にありがちな不自然さがなく、 映画をより格調高いものにしている。
最後に、こういう事件があった、 戦争とは罪のない人ばかりを犠牲にしてしまうものだという視点は素晴らしいが、 (加害者であった日本兵もある時には被害者になったのだ)ではどうすれば、 このような愚かしい戦争はなくせるのかというところまで論じられる、 真の戦争裁判が観てみたいものだと痛感した。 この戦争から四五年を経た現在も、どこかで戦争は起こっている。 この空しさをどこにぶつけたらよいのだろうか。
■資料
戦争末期から次第に表面化した資本主義国と社会主義国、 その中でもとくにアメリ力とソ連の対立が影響して、戦後の平和回復のガンとなった。 …占領の究極目的は日本がふたたびアメリ力の脅威とならぬことであった。 戦後の食糧事情の悪化にともなった国民の解放へのエネルギーは一気に爆発した。 共産党をはじめとする民主勢力は占領軍を解放者とする見解にたっていた。 ところがメーデー直後の対日理事会でアメリ力代表は共産主義を歓迎せずと言明した。 改革の実施過程は国際的なもの国内的なものとが複雑にからみあい、 それぞれの力関係によってジグザグとなった。 そして占領軍による改革は革命を防止するための改良として施行された。 このような情勢を背暴に、占領軍は天皇制と旧支配勢力の温存をはかり、 国民の民主的成長に先手を打ったのである。
当時のアメリ力の世論調査では天皇制廃止の主張が七一パーセントを占めていた。 にもかかわらず、アメリ力の対日政策は保守的色彩を濃くしていったのである。…
(岩波新書「昭和史」より)
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