2010年4月26日(月) 19:00~
於: なかのZERO 小ホール
原発建設に反対し続ける山口県上関町祝島の人たちの日々暮らしを記録したドキュメンタリー『祝(ほうり)の島』。 24年前に起きたチェルノブイリ原発事故発生日にあたる【4月26日】に、完成披露上映会が行われました。
上映前には、本作製作に関係した方たちが登壇して、映画が完成したことへの思いを熱く語りました。また、上映後には、監督の纐纈(はなぶさ)あやさんを囲んで、トークショーが行われました。
最初に登壇したのは、本作のプロデューサーで、チェルノブイリ原発事故で汚染された村を記録した『ナージャの村』(97)『アレクセイと泉』(02)の監督である本橋成一さん。本橋さんが、製作に携わった方々を紹介する形で、舞台挨拶は進められました。
プロデューサー 本橋成一さん:
本日、4月26日は、24年前にチェルノブイリ原発事故が発生した日です。この映画の完成披露を、なんとか4月26日に行いたいと思いました。一番のお願いは、瀬戸内海の人たちに、まず観て貰いたい。今日の完成披露の後、4月末から6月にかけて、瀬戸内海巡回ツアーを行います。カメラは、九州朝日放送(KBC)から特別に貸していただきました。カメラだけを借りたのではなく、普段、テレビのニュースを中心に撮っている大久保千津奈さんを会社も特別に許可してくださって、撮影にあたってくださいました。そして、事務方を担当した中植きさらさんも女性です。纐纈さんから、この映画を作りたいと言われ、女性たちで行こうと考えました。山の上の棚田にオートバイに乗って3人で上がっていく姿は、それ自体がドキュメンタリーになるなと思いました。また、ナレーションも女性が担当。広島をテーマに何年にも渡って活動している斉藤とも子さんです。
監督 纐纈あやさん:
昨日、テープの書き出しが終りました。綱渡りでドキドキしてこの日を迎えました。チェルノブイリの事故の時は12歳。学校から帰ってテレビをつけたら、ニュースで事故の様子が流れていたのですが、モノクロの映像が脳裏に残っています。今日のこの日を迎えるとは、夢にも思っていませんでした。
『アレクセイの泉』の上映会で祝島の人たちと出会いました。チェルノブイリの事故の4年前から反対運動をしていたのだと、後になって気付きました。私の心を動かした祝島の人たちのことを知って貰いたい一心で作りました。本橋さんから、映画は観てもらって初めて映画になると言われました。
撮影 大久保千津奈さん(KBC映像):
1年半、祝島に通って、共に生活しながら撮影しました。その間にも色々な変化があって考えさせられました。長い時間撮影したものを、105分に凝縮しました。島の四季、島の人の息遣いを感じていただければと思います。
製作デスク 中植きさらさん:
空き家を借りて、3人で生活しながら撮りました。私の役目は主にご飯炊き係。島の人たちの生活を見て、すごく好きになりました。生活を手伝いたい気持になりました。
ナレーション 斉藤とも子さん:
皆さんのパワーで作った映画の最後に参加させていただいて嬉しいです。纐纈さんがとにかく島の人たちがいい、それを伝えたいと。私は広島の被爆者の人たちの気持を伝えたいという思いで活躍してまいりました。それに通じるものがあると思いました。
編集 四宮鉄男さん:
長年記録映画の仕事をしていました。いつも、あまり考えないでパッパとやるのですが、纐纈さんはすごく考えてやる人。編集も纐纈さんがやったといえます。
宣伝美術 西村 繁男さん:
ポスターを担当しました。島に行ったことがないのに、纐纈さんの話を聞いているうちに、行った気になりました。纐纈さんの中にある島のイメージを絵にしました。
森達也(映画監督/作家)×下村健一(市民メディアアドバイザー)×纐纈あや監督
この作品がどんなものになっているのか、まだよくわかりません。島に通い続けて、島に流れている時間を撮れないかと思いました。私から見た島の一面です。淡々と流れていく時間を感じていただければ幸いです。
下村:なぜ、このオッサン二人がトークに出てくることになったか・・・ (笑)
監督:モノを伝えるプロフェッショナルの方に是非映画を観ていただいて、ご批評いただきたいと。
森:仕事柄、ドキュメンタリー映画初日のトークを頼まれることが多いけれど、この2年断ってきました。このところ自分で作ってなくて、他人の作品にコメントしている場合じゃないと。今回引き受けたのは、この4~5年、テレビドキュメンタリーの企画書の審査員をしていて、その中に、この3年、祝島のドキュメンタリーの企画を出し続けている方がいます。テーマは、風。風の強い島で人々がどう生活しているか・・・ 審査で落ちるけれど、諦めないで毎年企画書を出してくる。今年、審査会の直前にこの『祝の島』のことを知らされました。風の方の企画書では、原発に一言も触れていません。テレビのドキュメンタリーでは、原発のことは触れられないんです。ニュースでは出来るけど。島民を撮れば、9割が原発反対。鎌仲ひとみさんも『ミツバチの羽音と地球の回転』で祝島を撮っています。ポレポレがBOX東中野時代に、自分の作品が全部上映されていますし、義理もあって引き受けました。
下村:テレビの企画書を3年出してきて、原発に触れていないとは! ニュースが取り上げなかったことは、この世に存在しないという雰囲気がありますね。ニュースでは原発反対のみしか触れられない。普段の生活が見られない。この映画では、原発反対のシーンと普段の生活が一体化しています。監督は、どういう割合と考えて撮ってましたか?
監督:最初は考えていたけど、編集を進めていくうちに、島の人たちの心の中には、ず~っと原発があって、それがありながら、日々の生活をしているから、割合として分けられないと思いました。要素として切り離して考えられない。
下村:その成果は出てましたよね。日常生活を描いている時にも、なんとなく原発反対が感じられて、逆に、デモしている時も、普段の生活の延長という感じで。エイエイオーとやってるのが、ラジオ体操に見えました。
監督:デモの行列のまま公民館に入っていくのですが、普段の話をしながらデモしていて・・・
森:集団ヒステリー的なものと違うデモの姿ですね。集団で動いているようで、一人一人があるし。
下村:ニュースは元々、落ちた飛行機のことしか伝えない。異常なことだけを伝えるのがニュース。普段の姿は伝えない。ピックアップされた一部を見て、全体のイメージを作る。でも、この作品では、普段の姿も見えてくる。
監督:デモしてるだけじゃなくて、合間におまわりさんと世間話をしていたりしますね。一緒にいると、捉えるのは自然に日々の姿になってきます。
森:女性は強いなと。運動を牽引しているのは女性。島に愛着持っていて・・・ 男を圧倒していましたね。イデオロギーではなく、生活の中から出てきた運動は確かなものです。
監督:デモも最初婦人部の人たちが始めて、男性が後から付いて来たそうです。
下村:原発を、理屈で「これからの日本のエネルギーの為に必要だ」と、オバちゃんたちは、ただただ反対してないで勉強しろよと思うかもしれない。この映画の中では、原発の良し悪しは語ってない。でも、生活感に基づくアピールは大きい。
監督:理屈で考えなかった。感覚ですね。心の中からの声は、理論や理屈ではない。
実は島の人たちは、原発についてよく勉強しています。
下村:女3人で作った映画に、明るい声で優しいトーンのナレーションがつきましたね。
監督:それが狙いでした。斉藤さんの声は柔らかくて魅力的。
下村:原発をテーマにした映画で、これだけ客席が笑うのは珍しい。島が真っ二つ。賛成派の人たちには、あえてアプローチしなかった?
監督:「推進派の人は撮らなかったのですか?」と、聞かれたのですが、私は自分が素敵だなと思うものを撮りたいなと。私が惹かれた人たちと一緒に行動していると、推進派の人には会わないんです。島に何を与えたのかという点では、推進派の人にもカメラを向けるべきだったのでしょうけど。原発ありきで撮りたいと思ったのではなかったので。
森:撮る側が何を撮るかでテーマが決まってくる。
下村:自分のベースはニュース。まんべんなく入れようと思ってしまいます。
監督:最初の頃のデモは、推進派への罵倒もすごかったと聞いてます。
下村:住民が外から持ち込まれた問題で二分することはよくあること。
監督:原発問題で一番悲しかったのは、それまで家族のように仲良くしていたのが、切り離されて、憎しみも倍に。それをこちらは聞くしかない。何もできない。
下村:島を二分した恨みを向ける先は、中国電力でもない。怒りをどこにぶつけたらいいのか・・・ 映画の中で答えを出していましたね。
監督:え~?
下村:都会の人は身の丈以上の生活をしている。そのしわ寄せがここに来ていると。
― テレビで原発のCMをしていて、リサイクルするので心配ないと。こんなCMを流されていいのかと不安になります。原発反対の人たちは、そんなCMを見て、どう思っているのでしょう?
下村:CMはスポンサーがお金を払えば、よほど非常識じゃない限り流す。反対派の人たちもお金を出しあってCMを流すことができます。
森:今日の新聞にチェルノブイリのことをどこも載せてないと本橋さんが嘆いていました。
― 纐纈さんからの案内に「懐かしい未来という言葉は取り止めました」とありましたが・・・
監督:島の人たちの圧倒的な強さをどこまで自分が受け止めていたか・・・と、何度も自分に問うている内に、キャッチ的に使える言葉でないと思いました。島の人たちと接していると元気も貰うけど、「希望」を口にしたとたん、希望がなくなりそうに思いました。島に希望が見えなくなったわけじゃないけれど、たやすく言ってはいけない言葉だと。
― 蛸踊りや、海老で鯛を釣ったり、ウニが出てきたりと美味しそうでしたが・・・
監督:あのウニは、ほんとに美味しい! あそこでしか食べられない!
(美味しかった海の幸の数々を思い出されて、監督の声のトーンがぐんと上がって、笑顔が広がりました。)
最後に纐纈監督は「映画は生きもの。観ていただくことで育っていく。この映画が育っていってくれたら嬉しい。本橋プロデューサーが言われたように、映画は観られて映画になる」と結びました。
客席から、「島の人たちが撮られているという緊張感がありませんでした。3人のチームがほんとにうまく中に入っていったのだろうと思いました」と、感想が寄せられて、トークは終了しました。
祝島の人たちの日常の何気ない会話に、上映中、客席から笑いの渦が何度も沸き起こりました。「原発反対!」を28年間も叫び続けている人たちを描いた映画を観て、こんなに暖かい気持ちになるなんて不思議でした。まさにこれが監督の言う、島に流れている空気なのでしょう。ご先祖様から受け継いだ伝統を、子孫にもちゃんと伝えたい・・・ そんな当たり前の気持ちを、今一度、皆で再確認したいと思いました。祝島の女性たち、そして、この映画を作った女性たちの元気を貰った完成披露試写会でした。(咲)