1940年広島に生まれる。1964年に早稲田大学第一文学部演劇学科卒業後、映画・TV・教育映画(『子どもたちへ』(1986年)・『若人よ』(1987年)・『地球っ子』(1993年)・『わたしがSuKi』(1998年)等)に、18年間スクリプターとして参加する。1985年に企画制作パオ設立。2001年には映画『老親』で第17回山路ふみ子映画賞福祉賞他を受賞。
第16回東京国際女性映画祭の最終日、槙坪夛鶴子監督の「母のいる場所」を観に、会場である東京ウィメンズプラザに駆けつけた。会場前には30分以上も前から長蛇の列、中も満員。筆者は一番前に空いていた席をすばやく確保したが、ギャラリーで立ち見する観客も多かった。その後の話によると、最多の観客動員数を記録したのだという。会場には原作者の久田恵さん、監督のお母さん、音楽を担当した監督の息子さんなどもいらしていた。作り手、その家族、全国から集まった観客たちがひしめき合う会場は、熱気というよりも、これから始まる映画に対する期待感と温かさとで一杯だった。
原作は「フィリピーナを愛した男たち」で有名になった久田恵さんの「母のいる場所—シルバーヴィラ向山物語」(文藝春秋)である。久田さんの実体験に基づいたこの作品は、母親が脳血栓で倒れたのを機に、家族であることの意味を問い直し、バラバラになっていた家族の絆を取り戻すという流れを淡々と描いている。現在注目されている介護、そして夫婦・親子の関係、不登校、家族の成員それぞれの自立、老人のセクシュアリティといった、現代日本が抱える問題の数々が盛り込まれている。だからこそ、観客が自分の問題として身近に考え、後で対話をすることができる作品であったと思う。
槙坪監督というと、『子どもたちへ』『若人よ』『地球っ子』『わたしがSuKi』といった作品で、青少年の性や心に取り組んでこられたというイメージが強かったが、前作『老親』以降、老人、夫婦、家族にまで光が当てられるようになっている。この変化の背景などを伺おうと、監督を訪ねて企画制作パオにお邪魔することにした。
これまで槙坪監督は青少年の性や心という問題に取り組んでこられたが、家族や介護という問題もこのテーマから大きくかけ離れているわけではない。監督にとって大きなテーマは、「生きること」、「どう生きるか」である。「自分の命が大切と思うことで、人も大事にできる」と監督は言う。「生きる」ことは、人類共通のテーマである。この生と切り離すことができないのが、性という問題である。
監督にとって性とは、子どもを産み、母や父としてその子どもを育てるだけにとどまらず、人間関係やコミュニケーションの一部でもある。つまり、性とは相手を大切にする関係であり、たんなる性交なのではない。パートナーと手を繋ぎあったりするというスキンシップの苦手な男性も多いようだが、義務行為としてのセックスだけをしていたのでは、人は心と心を通い合わせることができない。
子育てが終わってようやく自由になった妻が、心の繋がりのない夫を介護しようという気になどなるだろうか?だからこそ、「自分が必要とされている」と感じることのできる、「互いをいたわる」ようなスキンシップが大事だという。監督の考える「生」と「性」は、自分だけでなく他者も尊重することと同義語である。互いに協力して生きるという意味での「共生」という概念に近いような気もする。
母親道子(馬渕晴子)が倒れたことで、これまで気づかれずに積もり積もっていた家族の問題が一気に噴出することになる。一体誰が母親の介護をするのか?長男も長女も自分の家族を持ち、末娘の泉(紺野美沙子)は多忙なフリーライターである。しかも彼女は、自己中心的な父親賢一郎(小林桂樹)を嫌って家出し、大学を中退した後に結婚・離婚を経験したシングルマザーでもあった。一人息子は不登校となり、大学検定を目指している。家族は実はバラバラだった。泉はあえて頑固者の父親と、母親を介護する決心をする。二人は介護の主導権を争い、母親の取り合いをしているかのようでもあった。それまで仕事中心で家庭を省みることのなかった父親は、これを機に食事を作ったり、掃除をしたり、自立した生活ができるようになる。しかし母親は、夫と娘からの介護に負い目を感じているようだった。母親と父親、母親と娘の間にできてしまっていたひずみが、介護をするという段になって急速に浮かび上がってきたのだった。
泉は幼児期に母親からネグレクト(無視するなど一種の「児童虐待」)された経験を持ち、そのトラウマを抱えている。家庭の責任を一切背負わされていた母親は、ストレスとやりきれなさのはけ口を能や短歌に向けていたのである。泉はそのために「母に認めてもらいたい、見つめてほしい」という願望が、人一倍強い女性に育ってしまった。こうした親子関係の歪みは世代間連鎖する。泉と息子との間にも、愛情の薄い親子関係が繰り返されることになった。しかし、重要なのは子どもが母親をひとりの人間として受け止めることができるかどうかでもある。子ども自身の自立も必要ということだ。泉はひとりの人間として生きた母親を次第に受入れ、彼女から自立するようになる。息子もこの間に一人立ちし、大人へと成長する。
介護は女性や家族だけがするものではない。父親が倒れたのを機に、泉は取材したことのあるユニークな有料老人ホームに母親を預けることにする。「高齢者用長期滞在ホテル」と呼ばれるこのホームは、全員個室で厳しい規則もない。趣味も、お酒も、恋愛も自由である。ここで母親も久々に笑顔を取り戻すことになった。住宅地にあるこのホームは地域密着型で住民にプールを開放している。老人は隔離されるのではなく、住民と接触することができる。ここに滞在する老人は滞在客として尊重される。「ホームのために老人が存在するのでなく、老人のためにホームが存在しなければならない」と監督は強調する。監督は全国のホームを調査したが、こうした理想的なホームは実のところ少ないらしい。とても残念なことだ。人生の先輩である老人が、若い人に伝えることのできる事はたくさんある。地域の住民と老人が共生することのできるようなホームの建設が待たれるところである。
これまで特に触れなかったのですが、監督は慢性関節リュウマチで車椅子の生活をされている。エネルギッシュな方なので、傍目にはハンディを感じさせない。だから、記事の中でも触れる必要はないだろうと初めは考えていた。しかし監督は、痴呆が始まられているご自身のお母さんの介護もされている。そしてそのお母さんが監督の車椅子を押されている。監督はまさにギブアンドテイクの「共生」を実践されているのである。穏やかなタッチで描かれたこの作品が、それでも何か説得性を感じさせるのは、現場から発信される声を映像化しているからなのかもしれない。映画は多様なバックグラウンドを持つ、広い年齢層の人たちに向けメッセージを伝える上で強力な媒体である。介護や家族の現実に立ち会ったことのない人も現実には多いと思う。彼女/彼らが考える機会を作り、今から心の準備ができるように、今後も現場の実態を伝える作品が出てくることを期待してやまない。
最後に、本作品の今後の上映スケジュールを紹介しておきます。岩波ホールでの本作品の公開も決定したというお知らせを頂きました。これに先行して、名古屋の劇場・シネマスコーレ(5月頃)、大阪の劇場・梅田ガーデンシネマ(6月末から7月)は、公開に向けて準備中ということです。
来年は1月17日(土)福岡県 北九州市立・八幡市民会館での公開を皮切りに、福島県、長野県、愛知県、広島県、東京都、秋田県など、全国で公開されるそうです。
詳しくは、パオのホームページをご覧下さい(http://www.pao-jp.com)。