女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
40号  (March, 1997)   pp. 76 -- 77

『奈緒ちゃん』

文京シビックセンター「奈緒ちゃん」上映会

K.I.

「奈緒ちゃん」は、重い癲癇と知的障害を持つ奈緒ちゃんの八歳から二十歳までの 十二年間の記録映画です。この映画を見て感動した人々が「奈緒ちゃん応援団」なるものを 作り、一人でも多くの人に観てもらいたいと、全国各地で上映会を催しています。 「奈緒ちゃん新聞」まで発行しています。その一環で、文京区でも上映会が催されました。

 障害児関係団体の私達のもとに、その鑑賞券の販売協力を求められた時、正直言って、 「障害児に関連してるからってどうしてうちの団体が協力しなくちゃならないの?」とか、 「福祉映画なんてそんなもの見たくないぞ」、上映時間が夕方だったこともあって 「障害児を抱える母親達がその時間に家を空けられるわけないじゃない」なんて、 私はブーたれていました。友人に「香港映画のレイトショウなみだね。」と肩を叩かれて、 そうだ、私は、「観てね」と言っては香港映画のレイトショウのチラシを配っている身。 福祉映画のチラシ配りに文句など言える筋合いではなかったのです。やがて私は 「観てね」と言って配りはじめました。チラシをご覧になって足を運んでくださった 方々どうもありがとうございました。



「奈緒ちゃん」は叔父さんにあたる伊勢監督のもと、カメラマンの故・瀬川順一さんの 遺作にあたる作品です。奈緒ちゃん宅の普通の日常生活が、淡々とカメラを通して 映し出されます。四人家族のいきなりの朝の身支度風景に、「えーっ、こんなとこまで 映しちゃうのお!」っとまるで、奈緒ちゃんちへお泊まりにいったかのような気になって しまいます。

 十二年の歳月は長く、その日常生活の緩やかに確実に変化していく姿に日本の 家庭生活の成長が見うけられて、なつかしい気にさせられます。十二年の記録映画と 聞かされて、友人宅で子供のビデオを延々と見せられるようなものかとビビっていた 気持ちを、やさしく裏切ってくれました。

 かわいい弟がカッコ良く成長していくのが見れるのも嬉しい収穫です。なんだか 親戚のひとりになったかのような気でスクリーンを観てしまいます。

 毎朝、ハラハラして「車に気を付けるのよ」と言いながら、奈緒ちゃんを 小学校まで送っていくお母さん。「わかってる、わかってる」と言ってちっとも 注意してない奈緒ちゃん。今もどこかの小学校で繰り広げられている朝の風景です。 普通のクラスも障害児クラスもパソコンの授業がある今の時代も、十二年前も、 子供達の世界はそうかわらずに育くまれているのだなあと感じさせられます。 お母さんがこうしてお話しているんだろうなあと感じる奈緒ちゃんとお友達の会話。 人々よりゆっくりとした速度で成長していく奈緒ちゃんと、ただ、そこにあるだけの 奈緒ちゃんちの近所の公園が、観ている私達を、子供だったなつかしい時代にいざなって いきます。お母さんが、ピアノの先生しながら地域の中で、まじめに懸命に暮らして いく姿を、先輩のお母さんとしてみている自分も同時にそこにいました。

 日々の暮らしが映しだされると、その生活にあの時代の息吹が感じられて、 これはとても貴重なフィルムなのではって思いました。もちろん、そこには、 障害児を抱えている親の悩みとか、将来への不安とかのお母さんの想いも込められては いますが、これは貴重な「日本の普通のひとつの家族の記録映画」としても すばらしいと思います。ごく普通に恋をして、ごく普通に結婚して、ごく普通に 子供を産んで、でも、ひとつ違っていたのは奥様は…もとい、お子さまは、 ハンディキャップという付録つきだったのです。てなものです。あ、奈緒ちゃんのうちの ご両親が普通の恋をしたかどうかは描かれてませんので、誤解のないように。

 奈緒ちゃんが大きくなっても、変わらずそこにある公園。そして一緒に 遊んでいた子供達も大きくなって、もう公園で遊ぶことはない。ひとり、奈緒ちゃんが、 ゆっくり公園に残っている。そのシーンでは、今、我が家の子供達がなくしてしまった 遊び場を想って胸が痛くなりました。我が家は東京ドーム・遊園地の前、近所の 公園もホームレスのおじさん達のおうち、遊び場は外にはない。これじゃいけないとは わかっているけど、どうにかしようとしてるうちに大きくなってしまった。 子供にとって月日の流れは重い。

 障害をもつ子に関わったことのない方々は、障害児をなんだか特別な存在、 どうやって接したら良いものかと思われるかもしれませんが、いろんなことがポツポツは 起きるけど、その辺の子と変わらずなんということなく普通に時は流れていくのだと、 わかっていただけるのではないかと思いました。

 実は、この家族のお父さんのキャラクターがとぼけてて面白く、「まあ、 日本のお父さんなんて、こんなもんだよなあ」って笑いを誘い、会場は大笑いの 渦に巻き込まれました。カッコ良く成長する弟と、とぼけたお父さんは、お薦めキャラです。

 上映後の監督のトークで「こんなに大笑いしたのは、この会場が初めてです。 大阪ではシーンとしてました。」とのこと。そう言えば真っ先に大笑いしてたのは、 我々の一角だったなあ。ワンテンポあって、遠慮がちに笑いが起こり、二回目の笑いの ツボでは安心したように笑ってたけれど、やっぱり、障害者ものだとちょっと遠慮が あるのでしょうか。それを当事者の私達が大笑いしてるので「あ、笑ってもいいのね」 と安心して楽しまれたのでしょう。面白ければ笑えばいいじゃないですか、 特別なものじゃないのですから。

 また、「問題提起がされていない。これだから日本の福祉はだめだ」という意見も、 他の会場で出たそうですが、子供の成長の記録映画という性格上、そのようなものを 求めちゃいかんだろう、と私は思います。

 子供はどの子も、自分が幸せになるために産まれてきたのであって、社会に 問題提起するために生きているんじゃない。それぞれが、小さな、そして大きな 幸せに向って暮らしていくための方法が福祉だと考えます。最後に、自信を もってお薦めします。ほんわかおもろいよ。「観てね!」


※ 著者の希望により一部省略しました。
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