女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
40号   pp. 65 -- 67

南島映画通信 (1)



岩野素子

 東京から沖縄に移住して、いつの間にか六年が経ちました。東京にいた頃、 最盛期は一年に百本以上の映画を見ていたのが、沖縄に来て時間がとれなくなったのと 上映される映画の種類や本数が限られているため、見たいと思える映画が少なかったりで、 観る本数が激減しました。(ビデオでは、やはりどうしてもフィルムの微妙な質感が 再現できない点が気になり、気が散りやすく集中力がないという自分の性格も ビデオ鑑賞向きでないため、ビデオでは見た気になれないのです)。 最近は、それでもいくらか時間がもてるようになり、昨年は五十本程度の映画を 見ることができました。そこでシネマジャーナル復帰を思い立ったわけです。 とりあえず、沖縄で映画に関して見聞きしたことをこれから書いていきたいと 思っています。

◇     ◇     ◇

 昨年は沖縄にとって激動の年でしたが、沖縄に関する映画(特に沖縄が日本に 復帰する前後に撮られたもの)も何本か見る機会があり、それが今起こっていることの 意味を知るための参考になったりもしました。そこで、昨年観ることができた、 沖縄に関する映画を紹介します。



◇『反国家宣言』

(山崎祐次監督/72・95年)

 最初は、東京で沖縄出身者たちが様々な沖縄問題に対して闘っているのを、 学生運動や市民運動が盛んだったその時代らしく、映画撮影することを通して 共に闘うなどといって議論していたのが、カメラが東京を離れ、移動し始めると、 映画は撮影する側の見た印象のコラージュのようになっていき、沖縄を経由し、 やがて北海道へ渡りアイヌの人たちを取材した後では、その映像すら登場しなくなり、 ただひたすら凍てついた道を車で移動するショットを背景に、延々とアイヌの人々から 聞いた話が語られるだけということになるのだが、それが何か妙に気持ちよく 感じられるのは、作り手の側が映画によって何かをしようとか、何かできるという以上の ものをその時感じていて、それが無理に映像にはできないものだということを素直に 表現しているからではないかと思う。それは、反国家ではなく、 超国家という思想ではないかと感じた。



◇『みやこ』

(山谷哲夫監督/74年)

 沖縄宮古島の近くにある小さな島、水納島の人々の暮らしと、生活苦から島を離れ、 宮古島に移住した人々のその後の暮らしを追ったドキュメンタリー。

 残っている家が数軒しかない水納島の暮らしはかなり不便なものだが、海は豊かで美しく、 人々の表情は明るく幸福そうに見える。宮古島に移住した人々を訪ねると、男の人たちは、 一年のうち半年は出稼ぎに出ており、その出稼ぎ先の名古屋の工場を訪ねると、 不当な労働条件で働かされていたりする。帰郷する前に出かけた名古屋の街は大きすぎて、 どこへ行けばいいのかわからず街中で途方に暮れる。そうした現実が淡々と綴られている。



◇『沖縄のハルモニ〜証言・従軍慰安婦』

(山谷哲夫監督/79年)

 韓国の従軍慰安婦に関して調査をしていた監督は、沖縄に住む従軍慰安婦を知る。 彼女は戦時中、慰安婦として沖縄の渡嘉敷島で働き、戦後も沖縄本島で水商売をして過ごし、 沖縄が本土復帰の際に日本に帰化し、長年の無理な生活から身体をこわして、 現在は生活保護を受ける身となっている。彼女はこの映画を通じて何かを訴えるとか そういった気持ちは何もない。ただ問われるままに何の気負いもなく語られる彼女の これまでの人生は悲惨なもので、故郷である韓国にも帰りたくない事情があるようだ。

 だが、どんなに悲惨な人生であろうと時には楽しいこともあるのが人生だ、 という監督の視点が、この映画に普遍性を持たせている。時には一緒にビールを飲んだり、 昔見た映画のことを話したりして笑う。(ハルモニが、かつて美空ひばりや 小林旭が好きで、大変な混雑の映画館で彼らの映画を見て楽しんだ時代もあった、 と語る部分は、NHK教育テレビで1995年の末に放送された 〔NHK人間大学・映画はついに100歳になった〕という四方田犬彦氏が 講師をした番組の中で、映画を見る側からの証言の例として取り上げられていた)。



◇『モトシンカカランヌー 〜沖縄エロス外伝』

(布川徹郎監督/71年)

 モトシンカカランヌーとは、元銭のかからぬ=元金のかからない商売、つまり娼婦のこと。 復帰前の沖縄には日本の法律は適用されないから、売春防止法も存在しない。 この映画のスタッフたちは、労働運動などを支援するため沖縄に密航し、デモなどに 参加する傍ら、フィルムを回し続けた。モトシンカカランヌーのアケミさんの歌う 「十九の春」が流れる中、激しいデモのぶつかり合いの中へカメラも突っ込んで行く。 撮影も編集も勢いだけが全てのような作品だが、その分、復帰直前の沖縄の熱さが直に 伝わってくるようだ。



◇『沖縄』

(武田敦監督/70年)

 戦後、米軍に基地用地として強制的に土地を取り上げられた村の人々の物語を中心に、 占領下での様々な苦渋に満ちた暮らしを経て、自分たちの尊厳を守る戦いへと人々が 力を合わせて立ち上がって行くまでを描いた劇映画。

 生活レベルでのエピソードにリアリティがあり、一人一人の人物設定もわかりやすく はっきりしていて、泣かせ所、笑わせ所も上手にツボを押さえた脚本で、 映画としてそれなりに楽しませてくれる。

 ところで、現在放映されている沖縄県の観光CMに地井武男が起用されているのは、 この映画の主役の島袋青年を彼が演じているからなのだろうか、と勝手に推測してみたりした。



◇『執念の毒蛇』

(吉野二郎監督/31年)

 沖縄からハワイに移民して成功した人が私財を投じて作ったという、 沖縄で作られた最初の劇映画といわれている。

 物語は、夫に裏切られ殺された妻が、幽霊になって夫に復讐するという、よくある パターンの怪奇モノだが、この時代にハワイと沖縄でロケを行っており、当時の ハワイや沖縄の風景の登場する映画という点では非常に貴重なものだと思う。



◇『沖縄列伝第一・島小(しまぐわー)』

(吉田豊監督/79年)

 沖縄の平安座島で、石油備蓄基地建設に反対する住民たちの様子や、沖縄の 代表的ミュージシャン、喜納昌吉の日々を追ったドキュメンタリー。 喜納昌吉という全てを超越したような人物の圧倒的存在感が、この映画の魅力。 松田優作がナレーションを担当している。



◇『沖縄列島』

(東陽一監督/72年)

 怒っている人、踊っている人、闘っている人、走っている人、演じている人、 有名無名の様々な人々が、沖縄の抱える矛盾の中で、格闘しているが、 つい目を奪われてしまったのは、おばあのカチャーシーの美しい手の動きだったりする。

 少年院の運動場を少年たちがひたすら走り続けるのを延々と隠し撮りしている場面がある。 『サード』のことが頭に浮かんだ。



◇『やさしいにっぽん人』

(東陽一監督/71年)

 今から二十年位前、この作品はメジャーでない日本映画の中の伝説的存在だった。 その頃どこかの公会堂で見た記憶はあるのだが、河原崎長一郎と緑魔子が主演だった ということ以外、二、三の場面を覚えているだけで、内容はほとんど覚えていなかった。 だけど緑魔子の歌う主題歌は今でも歌えると言ったら、みんなから感心された。 映画を見に行ったのは、その歌がよかったからだった。

 河原崎長一郎の演じた役が、渡嘉敷島で戦争中に起きた集団自決の生き残りという 設定だったなんて、全然わかっていなかった。渡嘉敷島といえば、『沖縄のハルモニ』 のハルモニが慰安婦をしていた所だ。

 あまりはっきりしたストーリーのない、バラバラのエピソードのコラージュのような、 この時代だからこそ出来た、この時代らしい映画。伊丹十三、石橋蓮司、蟹江敬三など、 今見ればキャストはけっこう豪華です。



◎私自身は未見だが、昨年公開された沖縄に関する作品



◇『GAMA〜月桃の花』

(大澤豊監督/出演:朝霧舞、川平慈英、玉木初枝ほか)

 第二次大戦末期、日本国内で唯一米軍が上陸し、県民の四人に一人(十二万人)が 犠牲になったという沖縄戦の体験を一般の人の立場から描いた作品。GAMA (ガマ)とは洞窟のことで、沖縄には鍾乳洞が多くあり、戦争中は防空壕代わりに 多くの人々がその中に避難したという。


◇『人間の住んでいる島』

(橘佑典監督)

 沖縄の伊江島で、米軍用地のための土地強制使用に対して拒否の姿勢を貫き続け、 平和の大切さを訴え続ける現在94歳になる阿波根昌鴻さんのドキュメンタリー。



◇『光りの島』

(大重潤一郎監督/出演:上條恒彦)

 八重島諸島にある無人島の風景の中で、一人の男の魂が癒されていく姿を描いた作品。 撮影には十三年もの歳月がかけられたという。



◇『風の島』

 『光りの島』の大重監督が、沖縄の陶芸家大嶺實清による幻の土器 〈パナリ焼き〉の復元過程を追ったドキュメンタリー。



◎今年、公開予定の作品

◇『秘祭』

(新城卓監督/石原慎太郎原作/出演:倍賞美津子、大鶴義丹ほか)

 沖縄の島々に伝わる秘祭(見ることはできるが、撮影や録音をしたり、 メモを取ることなどは一切できない)に絡めて描かれる島の暮らし。

◇     ◇     ◇

 こうして並べて見ると、沖縄が日本に復帰する直前(復帰は1972年)に 復帰運動を支援する立場から作られた映画が多いのに気づく。これらは私が 沖縄にいたからこそ見ることのできた映画で、沖縄に来るまで沖縄のことを ほとんど知らずにいた私にとって、それらの作品を見ることは、現在の沖縄が 置かれている状況の原点を知り、何が変わり、何が変わっていないのかを 認識する上で少しは役に立ったのではないかと思う。

 亜熱帯の風景、風習や祭りなど民族学的なもの、米軍基地や戦争の傷痕など、 絵になりやすい特徴的なもの、魅力的なものが沖縄には沢山ある。これから 生まれる映画がどんなふうに沖縄を切り取っていくかに興味がある。 沖縄に住む時間が長くなるのに比例して、沖縄のことに関心をもたざるを 得なくなっている今日この頃なのです。

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