女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
40号   pp. 16 -- 18
1996年度 読者&スタッフが選ぶベストテン

一九九六年ベスト20

高野

Shall We ダンス?(周防正行/日本)
渚のシンドバッド(橋口亮輔/日本)
Kyoko(村上龍/日本)
月夜の願い(陳可辛&李志毅/香港)
ナヌムの家(ビョン・ヨンジュ/韓国)
画魂(黄蜀芹/中国)
女人、四十。(許鞍華/香港)
ピクチャーブライド(カヨ・ハッタ/米)
天使の涙(王家衛/香港)
デッドマン・ウォーキング(ティム・ロビンス/米)
彼女の彼は彼女(ジョージアーヌ・バラスコ/仏)
太陽と月に背いて(アニエスカ・ホランド/英)
恋の力学(フィナ・トレス/仏)
ミュリエルの結婚(P・J・ホーガン/豪)
イル・ポスティーノ(マイケル・ラドフォード/伊)
司祭(アントニア・バード/英)
アトランタ・ブギ(山本政志/日本)
ひみつの花園(矢口史靖/日本)
大地と自由(ケン・ローチ/英・西・独合作)
戦士の刻印(プラティバ・パーマ/米)

○印…女性監督



 一九九六年に劇場、試写会で見た映画は、一二五本。ベスト20は見た順に並べた。 シネマジャーナル三七号にも報告を書いたように昨年六月に私の住む名古屋で 「あいち国際女性映画祭96」が開催され、世界と日本の女性監督作品一九本が公開された。 以前から映画が今より面白くなるためには、もっと女性監督、スタッフが増える必要が あると考えていたので、この映画祭をキッカケにして、“今年のテーマは女性監督”と 勝手に決めて意識的に見ていった。その結果二〇本のうち九本、女性監督の作品を 選ぶことになった。“無理してヒイキ目で入れてない?”と言われそうだが、 そんな事は全然ない。監督名を伏せて見たとしても、きっと選んだと思われる水準の 高い作品ばかりだった。むしろ見損なった『ムーンライト&バレンチノ』や 『月の瞳』なども見ていたら、入れたくなって困ったのではないかと思う。

 まず、その女性監督作品から。『ナヌムの家』は覚悟して見に行った映画だった。 日本がアジアでしたことを覚えておくため、見なくてはならないのだけれど、 叱られているような萎縮した気持ちにもなりがちだ。しかしこの映画は厳しい過去と 現在を描いてはいるものの、監督と元従軍慰安婦のハルモニ(おばあさん)たちの 交流が段々深まってゆくにつれ、ハルモニたちの表情が柔らいできたり監督に 「髪切った?似合うヨ」と声をかけたりする“老女と若い女性の交流ドラマ”としても 見る事ができ、そこで救われた。

 『画魂』は浮わついた所のない正攻法で描かれた、女の一代記。面白くってたまらない、 という作品ではないけれど、映画作りの本物の実力をズシッと感じさせてくれて 頼もしかった。

 『ピクチャーブライド』は正直言って、ちょっと甘めの採点。日本人のはずの 準主人公、タムリン・トミタの日本語が下手でシラけるとか、三船敏郎の使い方に 疑問が残るとかのひっかかりはあるものの、自分の原点を描きたいという監督の 強い意志が映画の中にあらわれていた。映画祭での彼女は底抜けに陽気でおしゃべり、 フェミニストとしての押さえもキチンとしていて、ついその人柄に加点。

 『女人、四十。』は映画としての出来もよく、俳優もうまくて言うことはない作品なのだが、 実は私はひとつひっかかっている点がある。有吉佐和子の小説「恍惚の人」とあまりにも 似ている点だ。香港映画じゃパクリは常識と言われても、人物設定、ストーリー、 エピソード、ラストシーン(雪のように花が降るところ)まで原作通り、 日本で高峯峰子、森繁久弥で作った映画ともそっくりだと、首をかしげたくなる。 私は有吉佐和子の小説がとても好きだった。通俗的と言われたけれど、時代の問題点を 探る能力は並はずれていたと思う。今から三〇年も前に、呆け老人と介護する嫁という テーマを見つけ作品として発表した彼女の先見性は、今思うとたいへんなものだ。 この功績のためにも、「原作・有吉佐和子」とクレジットを入れてほしかったと 思っている。

 話はそれたが、この女性映画祭では日本の女性監督の『エコエコアザラクII』 (佐藤嗣麻子)、『ウィンズ・オブ・ゴッド』(奈良橋陽子)、『人でなしの恋』 (松浦雅子)などの劇場で公開された作品、ドキュメンタリーの大御所、羽田澄子監督の 『歌舞伎役者・片岡仁左衛門』なども上映されたが、ベスト20に入れるのには、 やはり今ひとつ、という感じ。今年に期待している。

 フランス映画『彼女の彼は彼女』は、とても好きな作品。監督で主演のジョジアーヌ・ バラスコは二重アゴ、腕は太く、おっぱいは垂れている見事な中年体型(実に親しみを 感じる!)、なのに女性相手に堂々たるベッドシーンを展開し、魅力と威厳を 感じさせた。

 しかし、この作品がレズビアン、『太陽と月に背いて』がゲイ、『司祭』もゲイ、 素直なサクセスストーリーかと思わせた色彩鮮やかな『恋の力学』も隠し味に ゲイが使ってあるなど、ヨーロッパの女性監督はストレイト(一般的な男女関係) にはあまり興味がないのだろうかと考えてしまう。先進国になってくればくるほど、 男女の利害関係や対立の構図がはっきり出てしまい、無邪気な恋愛や結婚観が 成立しにくくなっているのかもしれない。利害のない本物の愛は同性同士にありということ なのだろうか。しかしこういう性の描き方が、これからの女性監督への期待を高めてくれる 要素でもある。男性監督が描くベッドシーンは“男の目”から見たものでそれは “女の見たいもの”とは微妙なズレがあったのではないかと思う。『太陽と月に背いて』 など、男同士のラブ&ベッドシーンが延々と続いて、一緒に見ていた男性が 「まるで拷問だった」と嘆いていたけれど、私はそんなこと感じなかった。若盛りの 美しさレオナルド・ディカプリオがたっぷり眺められ、ホクホク嬉しかった。監督の アニエスカ・ホランドのネッチリした撮影に、まさになめまわすように見ている 女の眼を感じ、これからのスクリーンでの性描写は“女が撮ること”で変化が 出てくるのではないかと思わせた。

 『戦士の刻印』は前号で映評を書いたので略。ぜひ多くの人に見てもらいたいとだけ 繰り返したい。女性監督の作品は以上だが、これだけ入れる事ができて嬉しい。 今年も九月に第二回の「あいち国際女性映画祭」が開かれることになったので、 今年はもっと女性監督の作品が見られるのでは…と期待している (シネマジャーナルの読者の皆様、九月にはぜひ名古屋へ!)

 日本映画の中では『Kyoko』『アトランタ・ブギ』 『ひみつの花園』の三本が、“活き活きした若い女性”の描き方が抜群! 以前から“女性がホントに好きなこと、やりたいことを見つけると強いゾ” と思っていたが、それを証明するような三本の作品だった。一昔前は しがらみの多いのが女で、男はすぐしがらみを切って放浪してしまうもの… と決まっていたが、どうやら今は逆転しているようだ。会社や家族のしがらみで もがくのが男性、軽々といろいろな所へ飛んでゆき、自分のやりたいことを 実現するのが女性なのかも。

 各種映画評で評判のいいのが『キッズ・リターン』と『岸和田少年愚連隊』。 奇しくも“少女もの”のむこうを張る“少年もの”だが、私は採らない。 若い男性を描くとき、まるで判で押したように“暴力への衝動”をテーマに 選ぶのは古いのではないか。だから男にも女にも母親にもさり気なく親切で優しい、 自然体の男の子が主人公の『渚のシンドバッド』や、 組織の中でできない自己実現を求める男性像を描いた『Shall We ダンス?』 が、新鮮に感じられてしまった。

 名古屋では今年やっと見られた『月夜の願い』。 期待に背かないハート・ウォーミングな映画。香港映画には劉徳華(アンディ・ラウ)や 張國榮(レスリー・チャン)、そしてこの映画の主役、梁朝偉(トニー・レオン)、 梁家輝(レオン・カーフェイ)など、スターとしての輝きを持った男優が多くて 羨ましい。もし、映画の出来が悪くても、「その役者を見に行ったんだからいいよね」と、 納得できる。最近の日本映画で“いい男”にはちっともお目にかかっていないぞ!と 八つ当り。と言いつつ、私にはいまイチその魅力がわからない黎明(レオン・ライ) 主演の『天使の涙』も入れてしまったのは、やはり王家衛の魔術。 ハッキリ言って『恋する惑星』の二番煎じの感はあるけれど、金城武や莫文蔚 (カレン・モク)を見て、“マーなんてカワイイんでしょー”と幸せな気分に させてくれたから。もっとも『楽園の瑕』は完全にコケましたね。 シネマジャーナル三九号「読者のお便り」中の「女が嫌いか王家衛、 女性が皆ものすごーく愚かに描かれている」にはうなった。そういう目で見たことは なかったけれど、言われてみればそう。なら、逆にゲイを描いた映画らしい 『ブエノスアイレス・アフェア』には期待できるかもしれない。

 九六年十月に見に行った劉徳華のコンサートで、すっかり彼にイカれてしまい、 忙しくて時間がナイナイと言いつつ、寝不足覚悟で毎晩深夜にビデオを見る日々が 続いている(しかしアンディのビデオってかなりあるんですねー、嬉しい悲鳴)。 血肉恐怖症なので今迄は香港映画の“血がドバッ”というのは避けていたんだけれど 彼にハマったらそんなこと言っていられない。

 台湾映画、中国映画は上映そのものが少なかった。アン・リーの 『推手』、張藝謀の『上海ルージュ』ぐらい。どちらもいい出来でかなり満足。 「中国映画祭96」で上映された映画は六本。印象に残ったのは 『項羽と劉邦』、『正義の行方』、『草原の愛』の三本。 中でも、モンゴルを舞台にした『草原の愛』が自然だけでなく、人間の営みが 眼差し深く描かれていて印象的だった。

 ワーストという訳ではないのだが、文句を言いたい作品が『霧の子午線』。 世界を見ると、女性監督には元・女優(兼ねている事もある)が多い。 これは当然で、映画事情がよくわかっているし、親しいスタッフが多いので 監督になるのもムリがない。自分の撮られ方に不満が出てくれば 「私が監督をやろう」と思うのは自然。今、日本の女優の中で、 一番監督になり易いのは吉永小百合ではないだろうか。そんな彼女が 何の意欲ももたず、清純派のイメージを引きずったまま着物で出てくる 『霧の子午線』を見て、欲求不満におちいったという訳。

 “ピンチの日本映画をなんとかしたいなら、あなたクラスがリーダーシップ とらなきゃ!”と心の中で吉永小百合を叱咤激励してしまった。

 伝わらないよね。残念だけど……。

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