女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
37号 (1996.06)   pp.34--39

あいち国際女性映画祭96



あいち国際女性映画祭96

高野 史枝



 96年六月六日から一〇日までの五日間、名古屋で「あいち国際女性映画祭96」 が開催された。愛知県の作った女性総合センター(ウィルあいち) のオープン記念イベントとして企画されたもので、 世界で活躍する女性監督作品一二本、95年公開された日本人の女性監督作品七本に加えて、 日本女性を描いた名作五本の、合計二四本の映画を一挙に上映、同時に外国人監督七人 (女優一人)と、日本人は上映作品の七監督全員がシンポジウムなどに参加するという なかなか意欲的な映画祭である。
 女性関連の行政が格別際立っている訳ではない愛知県なのに、 国内でもあまり例のない「女性映画祭」を開くなんて、正直なところ“嬉しい驚き” で少々鼻が高いし、税金も気分よく払おうじゃないの…という気分である。 私はこの映画祭の司会担当のひとりだったので、五日間とも参加でき 映画のほとんどを見られたのは幸運だった。
 以下、自分の関わった範囲での映画祭の様子をお伝えしたい。




会場:ウィルホール
上映日 第1回(10:00〜12:00) 第2回(13:00〜15:00) 第3回(15:30〜17:30) 第4回(18:30〜20:30)
6/6
(木)
女人、四十。
許鞍華監督
香港
※少年の叫び
アニエス・メレ監督
フランス
画魂
黄蜀芹監督
中国
人でなしの恋
松浦雅子監督
6/7
(金)
天の馬
オランチメグ監督
モンゴル
ウィッシュ・夢がかなうとき
マーサ・クーリッジ監督
アメリカ
※私の子供
ラマサン監督
フィリピン
ウインズ・オブ・ゴッド
奈良橋陽子監督
6/8
(土)
※インディラ
スハシニ監督
インド
Dearフレンズ
レスリー・リンカ・グラッター監督
アメリカ
片岡仁左衛門〜登仙の巻
羽田澄子
エコエコアザラクII
佐藤嗣麻子
6/9
(日)
※エデンの園
マリア・ノバロ監督
メキシコ
ピクチャーブライド
カヨ・ハッタ監督
アメリカ
※少年の叫び
アニエス・メレ監督
フランス
 

6/10
(月)
※私の子供
ラマサン監督
フィリピン
※インディラ
スハシニ監督
インド
ピアノレッスン
カンピオン監督
ニュージーランド
※エデンの園
マリア・ノバロ監督
メキシコ


会場:大会議室
上映日 第1回(10:00〜12:00) 第2回(13:00〜15:00) 第3回(15:30〜17:30) 第4回(18:30〜20:30)
6/6
(木)
めし
成瀬巳喜男監督
未定

冬の河童
風間志織監督
 

6/7
(金)
お吟さま
田中絹代監督
※ツーフレンズ
カンピオン監督
ニュージーランド
シンポジウム
西鶴一代女
溝口健二監督
6/8
(土)
杉の子たちの50年
藤原智子監督
岩波ホール総支配人
高野悦子氏講演
「映像が女性で輝くとき」
シンポジウム
かたつもり
につつまれて
河瀬直美監督
6/9
(日)
わが青春に悔いなし
黒澤明監督
黒澤プロダクション・プロダクションマネージャー
野上照代氏講演
「わが青春に悔いなしの時代」
フェアウェル・パーティ
にっぽん昆虫記
今村昌平監督

※印は日本初公開作品


六月五日 映画祭前日

 外国人監督の来日始まる。私の関わっているラジオ番組に、 来日早々の許鞍華(アンホイ)監督に出演してもらう。大柄で目がクリクリした童顔の監督は 緊張の様子は全然なく、リラックスした受け答え。終わってすぐ合同記者会見へ。 参加者は許鞍華(香港)、黄蜀芹(ホワン・シューチン/中国)、 ナンサリーン・オランチメグ(モンゴル)、オリビア・ラマサン(フィリピン)、 スハシニ・マニ・ラトナム(インド)、カヨ・ハッタ(アメリカ)、 ロザリオ・サグラフ(メキシコ・主演女優)の七人。 各新聞社、放送局もほぼ揃っての取材態勢。モンゴルの民族衣裳を着た オランチメグ監督はキリリと美しく、元女優のスハシニ監督のしぐさはどこか優雅で みとれる。
 スピーチの中では、日系のハッタ監督が印象的だった。いかにも陽気、 “しゃべりたいことがいっぱいよ”という感じで「フィルムは人に直に訴えかける。 特に女性にはエンパワーメント(力を与える)するものだと思っている」と力強く、 思わず“いいぞ”と声をかけたくなった。この時の印象もあったのか、 インタビューの申し込みがその後、大変多かったらしい。



六月六日 映画祭開幕

 オープニング作品はアンホイ監督の『女人、四十。』。 八〇〇席のホールはほぼ満席になった。私の方はまた昨日と同じく、 黄蜀芹監督と一緒にラジオ出演。黄蜀芹監督は重厚な人柄を感じさせ、 事前の打ち合せでも「何を質問するのか」とキチンとメモをとり、 自分の話すことも原稿化しておく、優等生の雰囲気漂う女性。
 夕方からは、二〇〇人規模のウエルカムパーティ。ここでシネマジャーナルのメンバーと合流。 会場には一四人の招待監督の他、岩波ホールの高野悦子さん、 黒沢プロダクションの野上照代さん。「映画をつくった女たち」の著者、松本侑壬子さん。 歯切れのいい映評が好きで昔からのファンの評論家の北川れい子さんなどの顔も見かけた。 私は参加全監督のサインをもらおうと会場内をチョロチョロ動きまわり、 ついに野望達成!



六月七日 映画も次々に上映される

 入りはまずまず。シンポジウムや質疑になると、外国の監督に比べ、 日本の若手監督の発言が気になる。「女性であることをあまり意識しない」 「男、女に関係なく撮りたい」という言葉は一見その通りだが、 差別構造は意識しなげれば見えないもの。フランスやアメリカに比べ、 監督だけでなくスタッフにさえ女性が少ない現状を自分の痛みとして感じてほしいと願う。 私が司会をしたモンゴルのオランチメグ監督は、通訳に 「もっとキチンと訳してもらわなくては困る」と大声で文句をつげていた。 いくら手短に答えてくれと注文をつけられても平然と無視し、言いたいことは トコトン言うオランチメグ監督の迫力にむしろ感心した。このくらいでなければ 多くの人をしきる監督など、できはしないのだろう。



六月八日

 この日、初回上映の『インディラ』(インド)が評判。笑い声、映画の途中の拍手など、 熱気が溢れている。これは、カースト制度への批判を含みつつ、一種の娯楽映画だが、 色彩鮮やかでわかり易い。一番人気になりそうな雰囲気。 『Dearフレンズ』(アメリカ)も満員。出演のデミー・ムーア(来日はしていない) 人気もあるのだろうが、昨日の『ウイッシュ・夢がかなう時』の入りもよかったことを考えると、 やはり“ハリウッド映画強し”の感はある。 『片岡仁左衛門』『エコエコアザラクII』は、監督の固定ファンが存在している。 この日、岩波ホール支配人の高野悦子さんの講演があったが、これもびっしりで立ち見が出た。 さすがと言うべき話術。カリスマ的魅力がある。
 この日はスケジュールが終わったあと、黄蜀芹、ラマサン、スハシニ、ハッタ監督に 映画祭スタッフを加えて内輪の飲み会に行く。皆、素顔に戻って大はしゃぎ。 しっかり飲み、写真を撮りまくり、スハシニ監督は唄と踊りまで披露して参加者を喜ばせてくれた。



六月九日

 いよいよ最終日(六月一〇日は再映のみ)。フェアウエルパーティは一般の人も チケットを買えば参加できる形。それぞれ、監督と話したい人々が列を作る。 黄蜀芹監督が質問責めにあっていた。やはり、まだなじみの少ない他の国 (フィリピンやインド、メキシコ)の映画に比べ中国映画はよく観られており、 ファンも多いようだ。
 こうして、「あいち国際女性映画祭96」は幕を閉じたが、 この映画祭の意義は大きかったと思う。 「文化不毛の地」なんて有り難くない噂のある愛知県で、初めて開かれた国際映画祭。 しかもそれが女性監督作品の上映だったことは、私にとって嬉しいだけでなく 「こんな(男の分野だと思っていた)世界で活躍している女性がいたんだ!」 という誇りを感じられたし、「私も頑張らなくちゃ」と励まされる思いだった。 きっと参加者の多くもそうだったろうと思う。あとは続けること!!  いや、なんとしても読けてほしい。この女性映画祭が一〇年、二〇年と続き、 映画制作をする女性たちの話題の中に「あいちで評判をとりたいネ」 などと出てくるようになったら、どんなにいいだろう……。



 この映画祭で印象に残った映画を三〜四本ご紹介します。



『ツーフレンズ』ジェーン・カンピオン監督 86年 オーストラリア(日本初公開作)

 高校生の二人の少女、ルイーズとケリー。 有名女子高に通うルイーズと、どぎつい化粧にパンクファッション、 男と棲んでいるケリーの間の友情はいかにして壊れたのか? こんな微妙な心の変化をカンピオン監督は非凡な構成で観せる。 つまり、二人の友情がさめたところから物語を始め、映像をどんどん過去に さかのぼらせてゆくのである。そこで観客の私たちは、あたかも探偵が 犯罪の動機をあばいてゆくのにつき合うかのように、 二人の友情にひびが入っていく過程を検証することになる。 順序よく描いたら別に面白くもない話を、スリル満点、緊張を持ってみせる カンピオンの才能は、やはり並みたいていではない。実を言うと、 私は『ピアノレッスン』より、こちらの映画の方が好きだ。



『歌舞伎役者片岡仁左衛門』—登仙の巻 羽田澄子監督 94年 日本

ご存知の通り全六部作(上映時間十時間四〇分)の最後の部分。それでも、二時間四〇分。 ナレーションなし、効果音なし、BGMなしの映像は、正直なところ、最初は辛い。 特によく知らない歌舞伎の場面を延々と写されると、眠ってしまいそうになる。 しかし始まって一時間ほどたつと、今度は自分の感覚が徐々に冴えてきてわずかな音、 少しの光に反応するようになってくるのに気づく。そうなると、一転して気持ちが 映画に集中してむさぼるように観たくなる。映画の中の仁左衛門の端正さ、 可愛さは無類だ。多分、監督もそれに魅かれて十時間も撮ってしまったのだろう。 女性がなめるように男性を撮っているって、本当はかなりすごい官能的なことでは…?



『エコエコアザラク』佐藤嗣麻子監督 95年 日本

エコエコのIを劇場で観た時、若い女性監督が“売れる”映画を みるからに低予算で作ったことに、とても感激した。エンターティメントのコツも わかっているようで(主役の使い方、レズビアンのシーンをきれいに撮っていることなど)、 二作目を期待していたのだが『エコエコII』は少々期待はずれ。 物語が拡散してまとまりがつかなかった感がある。本人にインタビューしたところ、 「前作と同じことはしたくなかった」とのこと。気持ちはわかるが、二〜三作は “これは売れる監督だ”と、スポンサーに思わせるよう、手堅く作った方が 良かったのではないかという気がする。






あいち国際女性映画祭96

宮崎 暁美



「六月六日から五日間、名古屋で女性映画祭があるから来ない?」と、 高野さんから連絡があったのは四月。その時は「その頃はシネジャの次の号の編集で、 もう忙しい時期だからとても無理」と、答えた私。五月に入ってからまた連絡があり、 今度は「許鞍華監督も来るし、黄蜀芹監督も来るよ」。編集間際のシッチャカメッチャカが 目に浮かんだけど、これは行くしかないと覚悟を決め、行くことにした。 名古屋に出かけたのは、シネジャの最終編集予定日の一〇日前の六月六日から三日間。 三七号は香港金像奨の特集もあるし、“とーく”も『女人、四十。』だったので 許鞍華監督にぜひ会いたい。そう思ってインタビューを申し込んだんだけど、 間際になって急用ができ残念ながら私はインタビューに出席することができなかった (スタッフの出海がインタビューしているのでそちらを参照)。 でも、シンポジウムも少し聞けたし、ウエルカムパーティでも会うことができ、 ほんの少しだけどお話しすることもできた。他にも何人かの監督にインタビューできたので その模様を中心にリポートします。



『画魂』 92年 中国 黄蜀芹監督

 実在した中国の女性画家、潘玉良(パン・ユイリャン)の生涯を、一九二〇年代〜 一九七〇年代に渡り、上海やパリを舞台に描いた。裸体画が得意だった彼女の、 本国での軋轢や活躍、本国を追われパリで暮らした彼女の晩年までを鞏俐が演じた。
 94年の江ノ島女性映画祭でも上映され、シネジャ31号 でも映画祭リポートが載ったけど、今回は監督にインタビューすることができたので、 その時の様子を。
 『画魂』撮影時のエピソードで印象に残ったものは?と聞いたら、 もうだいぶ前に撮った作品だからと考えていたけど、娼館の女たちが寺に 新年の挨拶をしに行くシーンを撮る時、雪のシーンにしたいと思っていたら 運良く雪が降ったと言っていた。
八〇年代は中国でも女性監督が多く輩出し(第四世代の女性監督は二〇人くらいいるらしい)、 活躍が目立ったけど、九〇年代に入って活躍の場が少なくなってきたそうだけど、 これは女性に限らず男性もそうで、売れる映画や政府の政策にそった映画などは 撮りやすいけど、芸術的な映画は撮りにくくなっているとのこと。
 今までに六本の作品を撮り、『画魂』は五本目。 日本では二作品公開されているけど、私はもう一本の『舞台女優』も好き。 どちらの作品にも共通しているのは、芸術の分野で頂点を極めた女性をモデルにしていること。 またいつか、こういう作品を撮りたいと言っていたけど、 新作は白血病の男の子とサッカー選手の交流を描いたものだと言っていた。
 終始にこやかで落ち着いた感じ、それに堂々としていて、貫禄があった。



『天の馬』 95年 モンゴル ナンサリーン・オランチメグ監督

賭事に目がない息子を持つ老人と、一緒のパオ(テント)に住む、血の繋がらない孫? とその母親。馬の調教師だった老人はある日、息子が割り当てで連れて来た馬を見て 駿馬だと見抜き、孫と共にその馬を一生懸命調教し、ナーダム(競馬)に出場させ優勝する。 しかし息子が賭事に負け、馬は連れていかれてしまう。それを見送る老人と孫。 自分の誤りに気づき、馬を追いかける息子。しかし、馬は国境を越え、 売られていってしまった。
 やはりモンゴルの監督。馬を題材に家族や親子の関わりを描きだす。 血の繋がりがなくても、向いている人に自分の持っている技術を継承させることが 大事という事も描いていた。これは五人の子持ち(二人は養子)の監督の持論なのかもしれない。
 これが二作目の作品。一作目は『枷』で、去年、名古屋アジア文化交流祭で上映され NHKのアジア映画劇場でも放映された。 『枷』も血の繋がらないお爺さんと子供の関わりを描いたものだったけど、 インタビューで、監督はお爺さんを「記録されない文化の体現者」の象徴として表した、 と言っていた。また、馬と人間の運命はひとつとして、馬を「かけがえのないもの」 の象徴にしたとも語っていた。
 モンゴルでは91年に民主化がおこり、映画状況は少しづつ良くなっているという。 民主化以降約四〇本の映画が撮られ、最近は娯楽物も多くなってきたと言っていた。 人口が約二〇〇万なので、年四本位が適当とも。モンゴルには約二〇人の映画監督がいて、 そのうち女性は四人くらいだという。オランチメグ監督はモスクワの映画大学に留学した、 脚本家出身。



『私の子供』 94年 フィリピン オリビア・ラマサン監督

フィリピンでは国民の二〇人に一人は海外に出稼ぎに行っているという。 この映画は出稼ぎをバックに、子供の親権をいとこ同士が争うことになってしまったことを 描いている。主演には現在フィリピンで最も人気のある女優と男優を使い、 この作品を盛り上げている。
 この作品がデビュー作の監督は脚本家出身。この作品でいきなり、マニラ映画祭の 最優秀作品賞を獲得。二作目の『あの日に帰れたら』も、大変評判を呼ぴ、 若手評論家協会の最優秀監督賞にノミネートされているという、期待の新人。



『インディラ』 95年 インド スハーシニ・マニ・ラトナム監督

年間八〇〇本前後の作品が作られているという、映画王国インドからの作品。 カースト制度の対立を描きつつ、歌や踊りのミュージカルは入っているし、 これこそ、エンターティメントしている!(笑) 泣かせて、笑わせてといった映画のツボを良く押さえた作品。 劇中「私たち女は柵なんて、越えるわ」と、主人公の女性がいうセリフが心強い。



 『私の子供』も『インディラ』も、作品の内容としてはシビアなものなのだけど、 それを娯楽作品として楽しめる作品にまで高めて、観客ヘメッセージを 放っているということに関心した。その意味では、『女人、四十。』も同列の作品。
 ごくごくオーソドックスな作品で一般観客受けはするけど、ちょっとひねった作品が 好きな評論家には受けないかな。でも、映画は一般観客を泣かせ、笑わせ、沸かせ、 唸らせてこそ、作品の価値が生きる。評論家受けばかり狙ってほしくない。
 ところでこの映画祭では、いつも名古屋から映評を寄せてくれる高野史枝さんや、 三五号から映評を書いている小島愛理さん藤原淳子さんの三人が司会を担当し、 各作品の紹介をしていた。三人とも、名古屋のラジオやTVで、 番組を持っている方たちだったんですね。知りませんでした。
 今まで、東京国際映画祭や東京国際映画祭京都大会の女性映画週間や、 江ノ島女性映画祭など女性映画祭と名のつく映画祭にいくつか行ったけど、 こんな大がかりで盛り沢山の女性映画祭が日本で行なわれたのは初めてのことでは?  準備がとても大変だったと思うけど、とても魅力あるラインナップ。 今後もぜひ続いてほしい。

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