現代中国の女性映画監督たち一九九四N. 藤岡 キネマ旬報臨時増刊号の広告を見た時から、これは行かねばとチェックしていた。 かねてから観たかったコン・リー主演の『画魂』を始め 『独身女性』 『離婚』 『天国からの返事』 『雲南物語』、 全て女性監督による作品ばかり五本を上映、 しかも五人の中から黄蜀芹(ホワン・シューチン)、王君正(ワン・チュンチョン)、 秦志[金玉](チン・ツーユィ)監督を招いて 「中国女性監督の過去、現在、未来」と題したシンポジウムも行なわれる! 「こんな季節に江ノ島に行くなんて‥‥‥」とあきれる友人や家族をよそに、 嬉々として出かけた私。確かに寒いけど、お天気が良くて江ノ島の海はとてもきれいだった! 珍しい弁士による日本語公演という児童映画『天国からの返事』や、 最先端の女性像を描いたという『独身女性』も面白そうだったけど、 結局観ることができたのは『離婚』と『画魂』の二本。何だか韻を踏んでいるみたいだ、 と、ばかばかしいことでニンマリしてしまった(浮かれているのだ)。 『離婚』 は一九三〇年代の北平(現在の北京)を舞台に繰り広げられる人情喜劇。 ロマンスにあこがれ、田舎出のがさつな妻をうとましく思い始めている主人公の官吏と、 彼を取り巻く役所の同僚、その家族、同じ四合院に住む美しい人妻 (夫は愛人を作って家を出ている)など北京の下町に住む市井のひとびとが 生き生きと描かれている。単刀直入な題名とは裏腹に十分笑わせてくれ考えさせ、 サスペンス(!)まで盛り込まれたバラエティ豊かな映画であった。 前もって入手したパンフレットの「当時の北京の風俗を忠実に再現する美術や音響」 という解説に実はつられた私、その点でも十分に満足。 春節(農暦のお正月)用品を売る市場の様子や、物売りの声、 主人公一家の四合院での暮らしぶりなど、北京という街が実に詩情豊かに描かれている。 特に四合院の中庭で主人公あこがれの女性が子供を相手に様々な遊びに興じる場面は、 主人公ならずともうっとりと眺めたくなってしまうほど。 わらべうたのような歌を歌いながら、七色の糸を繰ってかわいい小物をこしらえたり、 一心にあやとりをしたり‥‥‥。演じるのは陳小芸という女優。華麗ではないけれど、 楚々とした美しさのある人で、初めて見る顔だった。 中国映画界は、さすがに女優の層も厚いなあといつも感心してしまう (一方、男優の方は二枚目が少ないような気がするが‥‥‥)。 コン・リーが女流画家、潘玉良(パン・ユィリャン)の生涯を演じた 『画魂』は、裸体画を描くシーンが話題になった作品。 中国本土でも上映されたはずだが検閲はどうなっていたのだろう。 以前謝飛監督が『蕭蕭』という作品中でヌードシーンを撮ったところ、 監督自身ばかりか演じた女優までが激しい非難を受け、やむを得ず服を着せて 同じシーンを撮り直したと語ったのを聞いたことがある。 『画魂』の黄監督は、作品の中でヌードを描いたことについて 「女性が自分の体を認識することが、自分の個性や価値を認識することの第一歩である」 という意味を込めたそうである。 「自分の存在価値を認識していく女性を表現するのが好き」という黄監督の姿勢には感路を受けた。 少女の頃遊廓に売られ、恋した男性にはすでに妻がいて、 身請けという形で第二夫人になるしかなかったヒロイン、潘玉良。 当時の中国社会のタブーを破って裸体画を描く先進性や、 七年間パリで創作に打ち込む意志の強さがありながら、夫の為に男の子を生みたいと切望したり、 本妻の前では引け目を感じてしまったりする古風な一面も合わせもっている。 「完璧な人格の追求が、彼女の生涯の目標でした」とは黄監督の弁。 そんなヒロイン像に、コン・リーはちょっとそぐわないかなという感じがした。 最近『秋菊の物語』や 『覇王別姫』など気の強い役どころが続いていたから どうしてもそのイメージがつきまとってしまうからかな。 少女時代から老年までを演じているのだけど、老年とは言っても髪は白いのに 顔がぜんぜん年を取らない! 立ち振る舞いが老女らしいだけに何か違和感が‥‥‥。 ちなみに潘玉良の夫であり、芸術上でもパトロンでもあった潘賛化を演じているのは、 九三年香港一の話題作『新不了情』の爾冬陞(イー・タンシン)監督。 作品そのものは上海映画撮影所と台湾の映画会社との合作である。 映画界における三つの中国語圏の交流は定着しつつあるのかと思いきや、 十月に中国政府は外国との合作映画に関する規制を強化する内容の規定を発令した。 今後の成り行きが心配だ。 シンポジウムではその辺りもぜひ、監督に聞いてみたかったのだが、 微妙な問題でもあり、手を挙げる度胸もなくて聞きそびれてしまった。 質問したのが男性ばかりだったので、黄監督が 「女性映画祭で女性問題を討論しているはずなのに女性はだれも発言しないんですね」 と不思議がっていた。ごもっともです。せっかくだから何か聞けば良かった‥‥‥。 聞きたいことはいっぱいあったのだけどやっぱりこういう場で発言するのは勇気が要る。 だからと言う訳ではないが、意見を求められると照れたような笑顔で、 どことなく恥ずかしげに二言、三言答える王監督には親しみを感じてしまった。 その分?積極的によく語っていた秦監督も、ぱっと見た感じは優しい学校の先生風。 本当に三人とも一見ごく平凡な女性なのだが、何気ない言葉の端々に映画監督としての 風格が自然とにじみ出ていたのはさすがだった。 このような映面祭を企画してくれた 神奈川立県かながわ女性センター に感謝! 県民でもないのにちゃっかりと参加して、おかげで思いがけず未見の中国映画を二作品 一度に(しかも無料で)観ることができた。 一般公開されることの少ない中国や台湾の映画は、 やはりこういった自治体絡みの映画祭や上映会などに期待するところが大きい。 今後もこういう企画がどんどん増えていってくれることを切望する。 |
『天国からの返事』M. 橋本 この秋、 かながわ女性センター で江ノ島女性映画祭が開催された。 私は今、こんな考え方の女性になりたいというのが具体的に挙げられない。 なぜなら女性にどのようなことができて、どういう道を選ぶことが幸せなのか見えないから。 どんな人を手本にしたら私の指向にあうのか、それを探す上で私は女性監督の 視点のあて方を見たくてこの映画祭に参加した。 王君正監督の『天国からの返事』は女性の感覚から描かれた、 ある家族のエピソードだ。登場人物はチェンチェン(六才)、育ての親である 心臓の悪い郵便配達をしているおじいちゃん、 海外での仕事を終え帰国してきた母親の三人。 王監督は小さい頃祖父に育てられた経験があるので、 祖父へ贈る作品ということで創られている。 ストーリーは三分の二以上、おじいちゃんとチェンチェンの生活エピソードが続く。 チェンチェンはおじいちゃんと一緒に大好きな凧揚げをしたり、 郵便配達の手伝いをしたりした。チェンチェンは六才の男の子として感情の起伏が激しい。 また、少し褒めると機嫌を直す子供らしさがよく出ていた。 チェンチェンはおじいちゃんが大好き。おじいちゃんは子供と甘えあうことが好きで、 母親が帰国してからも母親に気を使ってチェンチェンに嫌われようとするのではなく、 甘えあう関係をなくさずに描いたところは女性監督だからこそだと思う。 他にもこれは女性の視点かなと思ったシーンがあった。おじいちゃんが病気で入院した時、 チェンチェンは風船を持って元気よくお見舞いに行った。 おじいちゃんはチェンチェンをびっくりさせようと死んだマネをする。 チェンチェンは泣いてしまう。 おじいちゃんをゆすっても死んだフリをしていて反応がない。 チェンチェンの涙はとまらない。大声で「おじいちゃんを助けて」と医者を求める。 おじいちゃんは慌てて身を起こしチェンチェンに近寄るが、チェンチェンは怒って 家に帰ってもなかなか口をきかない。 おじいちゃんの驚かそうという些細な気持ちとチェンチェンの必死な気持ちが 緊張感とともに伝わってくる。 その後のストーリー展開としては、ある時配達先の人が亡くなっていたので、 天国へ手紙を送る方法として凧揚げのひもに付け空高くあげて届ける方法を おじいちゃんに習った。やがておじいちゃんは母子の新しい生活のために身を退き、 古いアパートに戻る。チェンチェンは否応なしに母との生活もそれなりに慣れていく。 母とチェンチェンはおじいちゃんの誕生日を盛大に祝うが、その夜おじいちゃんは たくさんのろうそくに囲まれて永い眠りについた。そして映画はチェンチェンが 誕生日にプレゼントする予定だったメロディカードをつけて、おじいちゃんの友達から おじいちゃんがあげたように習って、凧をあげるシーンで終わる。 題名『天国からの返事』(天堂回信)とは、 凧をあげることで天国のおじいちゃんと気持ちが通い合えるということを チェンチェンの童心に伝えたかったのではないだろうか。 ものすごく優しい視点の作品だとラストシーンを見て思った。 愛して欲しい気持ち、瞬間的なうれしさ、悲しさ等、誰もが持っている気持ちを チェンチェンという子供を通して見せてくれた。きめ細かな心の動き、 変にがんばりすぎている人達に気張る必要はないとメッセージを贈ってくれ、 見おわった後、ほっとした。 中国では高度経済成長で高収入の男性が増えて、彼らに嫁いだ専業主婦が 若い人の間でかっこいいという風潮も一部では出てきた。 女性の生き方としての選択の傾向が日本と遭うのは面白い。 |