女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
30号 (1994.09)  pp. 64 -- 65

張暖忻監督に会いに名古屋のアジア文化交流祭に行く

宮崎暁美

 中国映画なんて教条的でおもしろくないだろうと思っていた私が『芙蓉鎮』を見て中国映画にショックを受け、次に見た中国映画が張暖忻(チャン・ヌアンシン)監督の『青春祭』だった。そこでまた改めて瑞々しい映像にショックを受け、完全にノックアウト。そこから中国映画にのめり込む日々が始まった。きっと、二作目に『青春祭』ではなく、おもしろくもない作品を見ていたら、「ああやっぱりね」と、こんなにのめり込むこともなかっただろう。

 その張暖忻監督が新しい作品を引っ提げて、名古屋に来るというチラシを見て、これは行かねばと出掛けたのでした。直前まで監督が来ないかも知れないとか、作品の上映が変更されるかもしれないなどいろいろ取り沙汰されたけど、結局、監督は来られたし、新作の『雲南物語』もビデオではあったけど、見ることが出来た。私が名古屋の会場に到着した時は『雲南物語』が間に合わなくて、上映されないということだったのだけど、午前中に到着したので、なんとか上映できることになった。だけど、本上映は次の日の夜ということになり、この日だけの予定で行っていた私は締めた。でも、主催者側の計らいで日本語字幕はないものの中国語と英語の字幕入りのビデオで見せてもらえることになった。

 この『雲南物語』は「中国銀幕」や森川和代さんが毎月出している「中国映画消息」に載っていたのでぜひ、見たいと思っていた作品だった。日中戦争後、中国に残留し東北部から雲南省に移り、暮らしている実在の日本人女性をモデルにした物語だ。

 戦争が終決し、一人だけとり残された日本人女性。中国解放軍の兵士に捕らえられ、ある部隊に連れていかれるがしばらくして解放され、その部隊の兵士と結婚。そして彼の故郷である雲南に行くことになるが、雲南に着いたとたん夫は死んでしまい、またしても独りぼっちと思い気や、夫の家族が良い人たちでそこで暮らしていくことになり、数年後夫の弟と結婚。その場所で助産婦のようなととをして暮らしている。そして、何十年かたって、自分の故郷に里帰りするというシーンも出てくる。この里帰りのシーンで、この名古屋の人たちが撮影に協力した縁で、今回この作品の上映と張暖忻監督の来日が可能になったらしい。

 日本でのシーンは『乳泉村の子』同様、監督の日本に対する思い入れからか、勘違い日本のシーンが出てきて不自然なところもあったけど、全体的には良い作品だったと思う。数奇な運命をたどりながらも自分の幸せをつかんでいった女性の姿を張暖忻監督らしい暖かい目で描いていて好感がもてた。この作品のプロデューサーは杜又陵(トゥ・ヨウリン)。

 この日は最初に『青春祭』の上映があり、そのあと張暖忻監督が出席してのディスカッションがあった。従ってこの『雲南物語』のことはこの時点では作品の簡単なストーリー説明があっただけだった。でも最初に実在の彼女を日本に紹介した、牛島純一さん(「すばらしい世界旅行」などのテレビドキュメンタリー番組を開拓)が彼女を発見した時の話などをしてくれてとても興味深かった。「すばらしい世界旅行」でも彼女のことを紹介したことがあったそうだ。

 『雲南物語』や『青春祭』『おはよう北京』などの撮影にまつわる話の後、会場とのディスカッションになった。そこで出た『青春祭』の主題はという質問には、主人公の女性の精神変化、自分たちが生きてきた時代を振返るという意味を持たせた。また「祭り」というのはもう過ぎ去ったもの、失ったものへの哀悼、追悼、レクイエムという意味もあるけど、再生の意味も持つということだった。

 自分の作る作品にフェミニズムの視点を折り込むかという質問に対しては「特に意識はしていない」と言っていたけど、『青春祭』の中で、労働点数を村の幹部?が読み上げるシーンで村一番の美人が高得点なのに対して「美も労働点数なのか」と主人公が独り言をいう場面でさり気なく皮肉っているなと私は思った。

 フランスに留学していた時に共同監督でとった『花轎泪』はどんなストーリーだったんですか?という私の質問に対しては、ピアニストの女性が主人公で、泣く泣く親に無理やり押しつけられた結婚をするのだけど、夫の死後フランスに渡り、長い間望んでいたシャンゼリゼで演奏をする。というような物語だそうで『花轎泪』とは花嫁がのる籠の涙とでもいう意味だと言っていた。私は中国銀幕で姜文が白髪頭の老け役に挑戦みたいな記事が載っていたのでてっきり彼が主人公の作品だと思っていたけど、これもやはり女性が主人公の作品だったのですね。監督はフェミニズムの視点では考えていないと言っていたけど、意識しなくても作品の中に女性が共感出来る思いを盛り込んでいるなと思った。

 中国では女性監督が多いですが女性が上にたつことへの反発はないのですかという質問に対しては、確かにそういう部分もあるけど説得力ある構想、作品の魅力でスタッフを引き付けると答えていた。

 次はどんな作品を撮りたいですかという質問に対しては深圳における出稼ぎ族をあつかった映画を作りたいと言っていた。張暖忻監督独特の温かみのある映像を私は期待したい。

 このアジア文化交流祭ではアジアンポップスのコーナーでビヨンドのビデオ上映もあるというので期待していったのだけど、映画の上映と時間が重なって見れなかったのが残念。でもみんな親切でとても気持ちの良い交流祭だった。アジアの映画や文化に興味を持っている人たちがボランティアで運営しているそうで今年で三回目。

 次の日は『銀馬将軍は来なかった』と『月はどっちに出ている』の上映と張吉秀(チャン・ギルス)監督と崔洋一監督を招いてのディスカッションも予定されていたのだけど、この作品はもう見ていたのと、他の予定が重なっていて次の日の催しには参加できなかった。ちょっと残念だったけど。でも今思えば、次の日の日本での劉徳華のファンクラブ、アンデーズ・インフォメイションの催しで出会った人たちとの出会いが、今回の「香港ポップス、このカバー曲の元歌は何?」にもつながっているので、この二日間でいろいろな出会いがあり、有意義な日をすごせたなと思う。名古屋で知り合った高野さんが今回は『女ざかり』の感想を書いてくれています。次号では私が出れなかった次の日の催し『銀馬将軍はこなかった』と『月はどっちに出ている』の上映会と、ディスカッションの模様のレポートをこの交流祭のスタッフの方が書いてくれますので、乞うご期待。





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