女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
29号 (May 1994)   pp. 39 -- 43
◆特集シネマトーク

さらば、わが愛/覇王別姫

張國榮(レスリー・チャン)/鞏俐(コン・リー)/張豐毅(チャン・フォンイー)
製作:湯君年(トン・チュンニン)、徐楓(シュー・フォン)/監督:陳凱歌(チェン・カイコー)
原作:李碧華(リー・ピクワー)早川書房刊/脚色:李碧華、廬葦(ルー・ウェイ)
監督顧問:陳懐〓(チェン・ホアイカイ)/撮影監督:顧長衛(クー・チャンウェイ)
音楽:趙季平(チャオ・チーピン)サントラ盤ビクター・レコード
美術:楊予和(ヤン・ユンフー)、楊占家(ヤン・チャンチア)
編集:裴小南(ペイ・シャオナン)/イメージソング:林憶蓮(サンディ・ラム)
1993年/上映時間2時間52分/ドルビーステレオ

1993年カンヌ国際映画祭パルムドール賞受賞





★物凄い混雑ぷリで驚き

地畑

「平日だというのに十一時に着いて 十二時の回で最前列になってしまった。私の後ろの人はもう二時の回にまわされてて、 ひたすらスゴ〜の一言。大阪から会社休んできたっていう人もいたわ。 まだ一回も空席だしてないんだってね」

佐藤

「電話で混み具合を聞こうと思って何回かけても 電話中なの。劇場にいってみたら、電話器外してあるじゃない。混んでるなら、 きちんと説明すべきよ。電話番くらい置いてほしいわ。 みんな忙しい中で時間作ってくるんだし。行ったはいいけど入れずに、 また後日に時聞作るなんてね」

地畑

「昔からあのル・シネマってお客への対応がぞんざい!」

宮崎

「却って私みたいに最終の回の方がいいかもね」

地畑

「そう、平日の昼間っておぱさん族が多いから。 初めてル・シネマにきた人もいて"何この番号?"とか言ってた人もいたし」

佐藤

「あのチケットに打つ番号もちょっと 威張った感じよね」

地畑

「私、以前ここでトイレ行くとき、 入場券の番号みせろって怒られたことある。自分の所にいい映画が来てるから、 黙っててもお客がくるだろうっていうサービス精神のない態度はダメダメ。 映画館だってサービス業なんでしょ」



〜ここで、現在の一館のみの上映になったときの混雑ぶりを予想して、 興奮して話すスタッフの面々〜

勝間

「夏までのロングラン間違いない」

宮崎

「『インドシナ』みたいに他の作品上映後、 またこの作品上映するんじゃない」

佐藤

「それで人気が人気をよんでって感じにするんでしょ。 そういう作戦ってイヤね」

勝間

「この作品がル・シネマでかかるって聞いて、 顔が引きつったわ」

宮崎・地畑

「ねえ〜」(笑)

地畑

「ル・シネマって女性に好かれてるって 高をくくってるけど、結構キラってる人がいるのよね」

勝間

「混雑をあおることはしないでほしい」

佐藤

「どうして大きい劇場でかけないのかしら」

地畑

「ル・シネマ1・2合わせても四百人くらいでしょ。 混んで当然だわよ」

佐藤

「同じ文化大革命の時代を扱った 『青い凧』(ユーロスペースで上映中)は、余裕があったわよ」

宮崎

「やっぱりエンタテイメント性のあるほうに 人が流れるのね」

地畑

「今まで中国圏の映画をまるで取リ上 げなかった有名評論家たちが、いきなり誉めはじめたから、これだけ人が来るのよ」

宮崎

「それはいえる」

勝間

「それからテレビ東京がCMをバンバン流してる」

佐藤

「それに配給がヘラルドなのね」

勝間

「カンヌで賞をとってるから 値が釣り上がってるじゃないですか」

地畑

「香港映画なのよね、この作品。 ま、大陸だけで製作するのは難しい題材かな」

宮崎

「ロケは北京らしいけど」



★レスリー・チャンが美しすぎる

佐藤

「程蝶衣を演じた主演のレスリー・チャンが 美しくてステキ。彼女の色気にドキドキしたわよ。思わず彼女 といってしまうほど。 彼女の心情がせつせつと迫ってきて…。さすがのコン・リーが色褪せてしまったくらい。 本当に素晴らしいの一言」

地畑

「私は彼の作品を初めからほとんど順を追って 観てたから、俳優の成長ってスゴイと思った。『男たちの挽歌』だと、ボクって感じで幼い。 何しろアイドル歌手だったんだから。その彼の役者歴に驚かされる。 ま、ぴあとかのインタビューでは共演の張豊毅を批判したり、『欲望の翼』の時も、 "私は香港で一番うまい俳優だと思ってる"なんて、 ハッキリ言い過ぎる点にはびっくりしてる人もいると思うけど、私は、 それだけの努力も演技もしてる人だから全然気にならないけどね」

勝間

「完璧主義なのね」

地畑

「京劇の化粧を落とした場面でも、 歩幅を短くしたりとか手先のお手入れも行き届いているのがわかったから、 徹底した役者根性にひたすら感動してしまった。香港の俳優にも彼のほかに 抜群に上手な人いるけど、これほど抜けられるとこれ以上のことを演って下さいといわれても かわいそうだと思う。それほど上手かった」

宮崎

「それに有名な京劇の俳優、 梅蘭芳(メイ・ランファン)について勉強したらしいし、研究熟心なのね」



★作品の本意

佐藤

「息をつかさずに観る。 他のことを何も考えるすきなど与えない映画のパワーに圧倒されたわ。 三時間の長い作品なのに」

地畑

「音楽の力も多いにある」

宮崎

「この作品の音楽を担当した趙季平(チャオ・チーピン) 作品のコンサート《P81参照》に去年行ったけど、彼の音楽は素晴らしい」

地畑

「やっぱリ映画って総合芸術なんだなって身に染みて感じた」

佐藤

「今まで馴染みのなかった京劇が身近に感じたわ。 京劇を観たいと思わせる、現代人にマッチした洗練された感覚で劇中に挿入されてたのがよかったのね」

勝間

「物語と京劇の『覇王別姫』のストーリーの 相乗効果がうまくなされているからじやないの」

佐藤

「『北京好日』でも出てきたけど、 この演目がなんで人気があるかがわかった気がした。 劇中で程蝶衣(レスリー・チャン)が"美しい扮装に練達された演技、これが 総合芸術といわれる京劇だ"って言っていたじゃない」

地畑

「そう、それが監督のいわんとするところだったのよね。 これほど素晴らしい伝統芸術を糾弾した文化大革命に対する批判」

宮崎

「陳凱歌監督自身がその激しい糾弾を した紅衛兵だったから、こうした立場で反省を含めて撮っているのは ものすごく意義があると思う。でも一般的に日本では中国映画について、 謝晋監督の『芙蓉鎮』とかが被害者意識にたって撮られていると批判されているけど、 それは違うと思う。謝監督は陳監督よりも上の世代で、いわば陳監督の年代は 謝監督の年代の人たちを糾弾する立場だったわけだから。謝監督の年代の立場からすれば 被害者意識にたつのも当然じゃないの」

佐藤

「でも、この作品の中では文革 (文化大革命)がさらリと描かれていたわね」

宮崎

「それが監督の意図じゃない」

地畑

「そう、それが欧米でも高い評価を 受けたところだと思う。画はダサいし、 政治性ばかリが強い芸術性に欠けた中国映画っていうイメージを一拭してくれた。 先に芸術性の高い画があって、そこに主人公たちの京劇にかける人生とか恋愛感情や政治性 も きちんと並行して描かれてるから、絶賛されて当然。 あと程蝶衣が拾った子供がいたじゃない。 彼のキャラクターが当時紅衛兵になった若者の簡単な図式なのかなって感じた。 こんな風に当時はいとも簡単にひとリの紅衛兵が生まれてたんだって。 省けば省けそうなキャラクターだったんだけど、作品の本意を考えると 重要な役だったんだと気が付いたんだけど」

勝間

「そうね。あれだけ世話になっておきながら、 程蝶衣が麻薬中毒で苦しんでいるときも恩人の世話そっちのけで集会にいったり、 政治力で程蝶衣のあたリ役を横取りしようとしたリ。すごく恐ろしいものを感じたわ」

宮崎

「あの役の俳優レイ・ハン(雷漢)って、 『北京的西瓜』で留学生演ってた人よ。文革を彼を通して描いているのね。 手塩にかけて育てた子供が彼のように身内さえも敵に回して紅衛兵になっていく…。 彼のキャラクターはそのまま監督自身のことだと私は感じた。本筋からすれば、 さりげないキャラクターだったけど、ここに監督が言いたかったことを感じた」

佐藤

「だからこそ、歴史のひとこまとして 描かれた文革が生きてるくるのね。でも三時間であれだけの時代を描いてるから、 ちょっと駆け足すぎて中国の時代背景を知らない人だと理解できないところも あったかもしれないわね」

地畑

「でも、今まで中国映画を観なかった人には、 とても勉強になったっていう声をあちこちで聞いたわ。画がすばらしいから、 それだけで入リやすいしね。『月はどっちに出ている』でも言ったけど、 こういう現代の歴史はとにかく日本の学校では教えてない。国際化っていったって 欧米相手じゃもう時代遅れだから、アジアに目を向けるなら、 こういった文化大草命とかは知っておかなきゃいけないんじゃない。 その点でみても、劇場に不満は大だけど『さらばわが愛 覇王別姫』 は今の日本の人たち、特に私の年代以下の人たちにはとても刺激になるし、 知識欲をかきたたせてくれる素晴らしすぎる作品だと思う」

宮崎

「中国語圏の映画を多くの人が観る きっかけになった点でも、収穫のある作品だったと思う。この作品は、 香港のアレックス・ロー監督もTV化してるらしい」



★俳優について

勝間

「第二次大戦中の日本の描き方もさらっとしてたわね。 国として人間をみるのではなく、その人個人としてみる。その描き方もよかった」

佐藤

「あと、パトロンのホモセクシャルの俳優(葛優) も適材すぎてよかったわ」

地畑、

「気持ち悪すぎて。すごく上手い。 俳優もそれぞれ適材適所で起用がよかったと思うけど、コン・リーが脇すぎて気の毒かな。 でもあの押しの強いおばさんぶりにびっくりした」

宮崎

「彼女のビッグネームは、 観客を引き付けるには、よかったんじゃない」

佐藤

「始めしか出なかったけど、程蝶衣の お母さん演ってた女優さん(チャン・ウェンリー)すごい美人」

勝間

「媚を売る視線がドキっとした。 コン・リーも娼婦役だったけど、コン・リーの方が高級な立場だったせいか、 毅然として気品を漂わせてた」

宮崎

「彼女って『西太后』でも身 をもちくずして娼婦になる役だったけど、品が良すぎてそうは見えない」

地畑

「レスリー・チャンの始めの子供時代を 演じてた子が、可愛すぎてどうみても女の子にしかみえなかった」

宮崎

「確かに。 前半に出てくる子役たちも上手すぎるくらいだった」



★気になった点

宮崎

「それにしてもこの作品についての批評が、 レスリー・チャンに偏リすぎだわよ」

勝間

「観客の感情移入がついレスリー・チャンに いってしまうからね。でも、レスリー・チャンが段小楼役の張豊毅のことを "同性愛者としての演技をしてくれなかった"って言ってたのは、言い過ぎかなって。 張豊毅の役柄が、愛する菊仙(コン・リー)も程蝶衣(レスリー・チャン) も彼のために命を落としてしまうっていう卑怯な男だったんだから、それは違うと思う」

地畑

「そう。私は別に張豊毅のファンじゃないけど、 彼はとてもよかった。幼い頃から京劇学校の仲間のリーダー的存在で、 男気のある人物だったんだから、あれで満足」

勝間

「だから、あの男気のある彼が、成長して 高級娼婦の菊仙に惹かれるのはわかるけど、レスリー・チャンの激しい恋情を 受け止めるわけでもなく、その付き合い方がなんとなく暖昧」

地畑

「程蝶衣の心情は実に懇切丁寧に描か れているのに、段小楼の心情はないがしろにされてたみたいね。 だから逆に張豊毅はこのおおまかなキャラクター設定で演じたんだから、 もっと評価されていいんじゃない。共演をしたレスリー・チャンが "彼と演技しにくかった"っていうのは、別に演技のつくリ方の相違だから構わないけど、 観る側の人が彼の演技を批判するのは変」

宮崎

「段小楼は、程蝶衣と違って性的には ストレートに育ったんだから、程蝶衣を京劇のパートナーとしては認めるけど、 同性愛のパートナーとしては認められないっていうキャラクターだったのね。 たとえ程蝶衣が、自分に激しい恋情をぶつけてきても」

地畑

「愛しても相手が応じてくれない、 その苦しさが観てる側にすごく伝わってくるから、レスリー・チャンの役はすごくお得。 文革の時札をつけて火の前に引き回されて、京劇の化粧がバ〜っと剥げ落ちていくシーンも なぜかレスリー・チャンばっかり映ってたものね。
 あと気になったのは字幕が英語からの訳だったこと。 もちろん戸田奈津子さんの英日訳は批判のしようがないけど、中国語から訳してほしかった。 確か程蝶衣が菊仙に二回だけ"お姉さん"っていうシーンがあったと思うけど、 訳がバラバラ。中国語の脚本もきちんと計算してつくってあると思うから、 気になったわ。中国語圏の映画をビデオで観てると漢字字幕と、英語字幕が、 その母国語の人がわかりやすいように訳してあるみたいだから、 言葉のニュアンスが違ってる。日本人の場合は漢字そのものの意味が判るんだから、 中国語から直接日本語に訳した方がいいと思う。中→英→日の訳だと 少しずつ変わってしまうみたいだから、これからはきちんと中国語から訳した字幕で 上映してほしい」






追加

宮崎暁美

私は陳凱歌監督と同じ年。 だから同時代を生きてきたといえるかもしれない。 一九六〇年代後半から一九七〇年代前半まで、世界中で学生運動が盛り上がった。 私は紅衛兵の運動が起こった時中国でも学生運動が始まったと思った。 それが文革だった。

今でこそ、文革はひどいことをしたという事になっているけれど、最初の出発点は 封建制や古い秩序からの解放を唱えて素晴らしい運動のはずだった。しかし、 いつの頃からか行き過ぎになっていった。私も最初の頃は古い足枷からの脱却か、 それはいいことだと思っていた。 そのうち三角帽子を頭に乗せて町を引きずりまわすような個人攻撃や仏像を壊したり、 文化遺蹟を壊したりということが日本にも伝わってきて、 彼らはなんでこんなことをやっているんだろう、こんなことをやっていたらだめだと思った。 それに共産主義というのはすべての人が平等であるという理想を掲げていると思うのに、 毛沢東の肖像を飾ったりして個人崇拝をしているのが私にはとても不可解なことだった。 だからどうも好きになれない国だなと思うようになって行った。

それから十数年たって中国映画に出会った。それが『芙蓉鎮』だった。 すごいショックだった。中国映画なんて教条的で面白くないだろうと考えていた私にとって、 これ一作で中国観が変わった。それから中国映画を観まくり、二年程の間に百本近く観た。 確かに教条的な物もあったけど、映画を観ることで中国の人たちがあの文革の時代を どのように生きたかも知った。

ところで最近、中国映画というと陳凱歌や張芸謀、田壮壮など第五世代のことばかりが 絶賛されるのは、同世代ながら納得がいかない。四方田犬彦氏などは『芙蓉鎮』 なんてと言うけど、日本で中国映画を一般の人が観るきっかけになったのは 『黄色い大地』ではなく『芙蓉鎮』だと思う。確かにその後、 日本で公開された謝晋監督の作品はいまいちと思うし、それまでの作品も ワンパターンだとは思う。しかし中国映画を日本で広く認識させた監督としてもっと 評価されても良いのではと思う。

「ぴあ」のインタビューで張國榮が相手役の張豊穀に対して、 お門違いの非難をしているのも気に掛かる。役の入り方に対して、 自分はこうだから相手もこうあるべきだというのは思い上りも甚だしいと私は思った。

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