松永敏郎 Your film K. has been selected for ...... 妊娠した若い女性が一枚の絵はがきを見たことから精神のバランスを崩してゆく、 というストーリー --- 拙作『K.』は九三年の初春に撮影した二十一分の短編映画だ。 パリから急行で南へ三時間半。クレルモン・フェランに着いたのは映画祭の二日目・ 二月五日の午後。メイン会場内にあるフェスティバル事務局に行くと、 いきなり写真を撮られ、パネルに貼りつけられる。 まだ三割位しか埋まっていないそのパネルを見ると、世界中から監督、プロデューサー、 配給会社、ジャーナリスト等が集まってくるという事が判る。パンフレット、 パス等の書類を受け取ると、近くに用意されたホテルにチェックイン。 部屋でパンフレットを拡げ検討すると、コンペはフランス部門(68本) とインターナショナル部門(69本)の二つに分かれ、それがまたそれぞれ 五、六本ずつのプログラムに分けられ、四つの会場(劇場)で八日間、 朝十時から夜中の十二時までビッシリ、各プログラム三回ずつ上映される仕組みになっている。 『K.』の入ったプログラムは明日が初上映ということで、 その日はそのままホテルでゆっくり休むことにした。 翌朝事務局に顔を出し、フェスティバルの雰囲気を味わっていると、 一人のマドモワゼルから声を掛けられる。外国の監督という趣向で テレビでインタビューをしたいということだ。フランス語は全く話せない私だが、 変なところでクソ度胸を発揮する性格(たち)で、拙い英語であっさりとOKしてしまう。 夜の七時に同じ場所でということで別れる。 午後二時からいよいよ自分の作品が入ったプログラムの上映ということで、 日本から同行している女性二人と三人でジャン・コクトーと名のついた劇場へ… とビックリ!入口前には長蛇の列。中へ入るとさらにびっくり。千五百人収容という、 二階席まである大劇場。こんなところで自分のつましい16mmプリントが上映されるのかと 少々びびる。一本目のアルゼンチン作品、二本目のギリシャ作品共々、 終わりと同時に拍手が湧く。いよいよ『K.』の上映が始まる〜 上映中から嫌な予感はしていた〜妙に客席の間から咳払いが聞こえるのだ。 案の定クレジットが出ても拍手は数えるほどしか無く、 とどめにブーイングまで一つ食らった。これで完全に打ちのめされた私は、 次のポーランド作品を観ながらだんだんと腹が立ってきた〜 どう見たって所謂BGVでしかないのだ。 それでも最後のナレーションに意味が込められていたらしいのだけれども、 映画で最後のナレーション(ポーランド語。字幕はフランス語で僕にはさっぱりだった) に意味を頼るようじゃ…と思ったところで満場の拍手。 あまりにショックが大きいと無性に眠くなる私は、 このプログラムが終わるとホテルの部屋に戻り、夕方まで寝込んでしまった。 あとで人から聞いた話だが、肩を落として劇場を出る私たちジャポネを、 審査員の一人である女優のソルベイグ・ドマルタン(ヴェンダース作品で有名) が後ろからじっと見ていたそうだ。 次の日の朝会場に向かっていると、審査員として参加している日本の大久保賢一さんが 「観客の反応なんていい加減なものだから気にしないほうがいい。 審査員の間でもなかなか面白く観たという意見もあるから。 特に主演の女優は評判がいいようだよ」と声を掛けてくれた。 これはまんざら慰めだけの言葉ではなかったらしく、同行していた主演のその女性が、 やはり審査員の一人であるロイ・アンダーソンに握手を求められたと後で本人から聞いた。 ここで、私が観た作品の中で印象に残ったものを紹介しておこうと思う。 まずはフランス部門だが、インターナショナル部門中心に追いかけていた為、 こちらはあまり本数を見ていない。しかしあった! 〈TROUBLE OU LA JOURNEE D'UNE FEMME ORDINAIRE〉という作品。 ある日の午後母親に連れられてプールに行った少年が、その母親の浮気 (更衣室でのセックス)を目撃する、というだけのストーリー。 当然セリフはフランス語なのだが、これがストーリーも、感情の流れまでもがよくわかる。 お喋りなフランス映画にもまだ良心はあった、とほっとした。 最終日の授賞式。ジャン・コクトー劇場のスクリーンにジャン・ジャック・ベネックスと ジャン・ジュネが現れ、メッセージを述べる。当然何を言ったかさっぱり解らない。 その後壇上に審査員他、関係者がズラリと並ぴさすがに華やか。 審査経過等読み上げているらしいのだが、こちらもさっぱり。 ドマルタンとフランス部門の審査員でこれも女優のクレア・ヌボーがいちいち マイクに近寄ってきて、華を競い合っている感じだ。賞の発表と監督の挨拶が済むと、 二部門、それぞれのグランプリ作品の上映があった。インターナショナルの方はともかく、 フランス部門のグランプリには憤慨した。登場人物のアップとセリフのオンパレード。 これがまたフランス人の観客に大受け。小噺を競っているわけじゃないのに… 今度志ん生の落語アニメが出来たそうだが、出品すればグランプリ間違いなし --- そう思った。例のポーランド映画が賞を獲っていたのにも愕然とした。先述した、 フランスの私の一推し映画がCANAL+賞というテレビ局の賞をもらったのも 皮肉といえぱ皮肉だった・・・映画的だったのに。 振り返ってみると、今回の映画祭参加はいろんな意味で勉強になった。 最初の上映が大変なショックだっただけに、あとはリラックスして眺められたと思う。 よく友人に言うのだが、今回は相撲に勝って勝負に負けたのだと。もっと言うなら、 曙に勝つという大金星を挙げた大翔山がそれでも親方衆に悪く言われている気分だと。 日本の変なアマチュアリズムが通用しないことも痛感した。 創る以上はプロフェッショナルなものを創らなければいけないのだ。しかし私は、 この世界によくある"紹介"や"推薦"を使わず、まったくのコネなしで自分で手紙を書き、 予備審査を通し上映作品に選ばれたことを誇りに思っている。 現地ではいろんな人と知り合い、お世話になった。先述した大久保賢一さん。 いつも優しく声を掛けてくださったその奥さん。『シネ・フロント』の近森邦子さんは、 ベルリン映画祭へ行くと言って途中で帰られたが、アグレッシブでとても格好良かった。 留学生のAさんとパリジェンヌのBさんには 食事の注文にまでお世話になった。フェスティバル事務局の クリスチャン・ギュイノーさん、インタビューのスタッフの方々、彼らの笑顔と "ボンジュール"にどれだけ救われたか。そしてお互い下手な英語で話し合った ドイツのジョーン・ステッガー監督と、英語の達者な韓国のキム・スンス監督。 彼らとは連絡先を交わし合った。 チャップリンは件(くだん)のセリフを言ったあと、初めてのトーキー 『モダン・タイムス』を撮った。私もそのチャレンジ精神を失わず次回作に取りかかるつもりだ。
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