女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
24号   pp. 40 -- 41

『阿賀に生きる』

  • 『阿賀に生きる』 飯島
  • 『阿賀に生きる』を観て 満川 
  • 『阿賀に生きる』を観て 佐藤 


『阿賀に生きる』

飯島

阿賀野川—新潟水俣病  この切り離せない現実。
悲しいかな、また、きっとそういう映画なんだろうと思いながら (現実をこれでもかこれでもかと視せられて息苦しくなる。) 六本木へ向かった。

二時間後、私はとても明るい気持ちで、生きていくってなんて素晴らしいことなんだろうなんて思いながら、 街の中をちょっと駆け足で通り抜けた。

登場するのは、阿賀野川を生活の場とし、長い間そこに暮らし続けてきた人々である。
山間の水田で、淡々と農作業をする老夫婦。
名工と云われながら、80歳をすぎて初めて弟子をとった船大工。
餅をつかせたら一番という老人の、少年のような目の輝き。
そして、川と共に、自然の恵みと共に生きている、村の人々。
彼らは輝いている、地に足をつけて生きている。
私達はそんな彼らの世界に、ぐいぐいと引き込まれていく。

山辺の田圃へいき、肩を並べ黙々と働く姿、長年培ってきた夫婦の絆が、 ちょっとした会話の節々に見えてくる。私がこんな風に語るなんて、とんでもない。 本当に大きなものなんだ。

皺の刻み、まがった腰、日焼けした肌、そのひとつひとつに、 自然な年功を感じることができる。土と川と木と天と流合し、働き、 食事をし、お互い助け合い?という当たり前の人の生活に、 自分がいかに離れてしまっているか、気付きハッとするのだ。 そして、自分はきっと、あんな風に年をとっていくことはできないのだろうと悲しい気持ちになった。

監督佐藤真は、コンテを描いて、彼らを撮ったわけではない。 むしろ、フィルムをまわしっぱなし、に近いものだろう。これは記録映画だ。 スタッフが3年の長い月日をかけた、努力の結晶だ。 彼らが得た多くの喜怒哀楽は、スクリーン中で、純粋なドラマを造り上げた。
老夫婦の食卓風景、初弟子の初船出を見守る船大工と村の人々、 祭りの風景、夕日の沈む阿賀野川、そんな素敵なシーンの数々。
しかし、これらには、水俣病という拭いとることのできない代物がまとわり付いてくる。 そのことを否応なしにも映像は訴えかけてくるのだが、過去に縛り付けられるのではなく、 生きていこうとしていくことが大切なんだ・・・蘇生。私はそう受け取った。

汚れ切った都会の中で、今、水俣病。
環境保護が叫ばれている現在、もしかしたら、 もうどうにもならないところまで来てしまっているのかもしれないと、 危機感をもっている人々が、この作品を観て、元気を取り戻すかもしれない。
ただ私達の場合、加害者であることは忘れてはならない。 阿賀野川の人々は被害者なのだが、村の振興が工場によるところがあったのも事実だ。
人は矛盾をつくりだす。そしておたおたする。 でも事実を直視し向かっていかなければ、生きてはいけない。
久々にそんなことを考えた。

佐藤真監督作品

『阿賀に生きる』を観て

満川

佐藤様、この度は映画の券をありがとうございます。観たいとは思っていたのですが、 都心までとなると気が重く、券も買わずにすぎていました。 ご紹介いただいてようやく観にいこうかという気にもなり、よい機会でした。

じっくりともの静かな映像の中に、しみじみと「生きる」ことを問うているような映像で、 日を追うごとに映像が重みをまして脳裏によみがえってきます。

三年前に安中公害のことを五年生の子どもたちと学習し、 安中の現地で原告団の方のお話を聞く機会を持つことができたのですが、 その時のことを思い出します。公害への怒りを底に秘めて、 生きている生活そのものを丹念に描いたその映像の持つ力がどすんと響いてきます。 曲った腰、なにげなく出される反り返った手、そして身動きできなくなるおばあさん、 力がでないから、船は作れないというおじいさん。 裁判所の現地調査が挿入されることを通してこの公害の犯罪性がじっくりと描き出されてくる。 公害訴訟の難しさ、公害を認めず、もう何十年も放置している国と企業。 そこの部分も気負いでなく、よく描かれていました。 その映像があるから逆に、船を作る時の引き締まった顔、 おもちをつく時の生き生きとした表情、耕耘機をおす厳しい表情、 人間はやはり生きていくのだ、そして、働くのだ、 と訴えているようで感動にとらわれるのです。

自分の生きてきた道に何かを持っている表情はすごいと思いました。 あの年の頃、私はあんな澄み切った表情でいられるかしら、とふと思いました。 心に残って忘れられない映画になりそうです。


『阿賀に生きる』を観て

佐藤

満川様、お便りありがとうございました。映画というものは、とても不思議なものですね。 感動が同じ目線で伝わると、お目にもかかっていないのにもう、 ずーっと前からのお友達の気分になってしまいました。

「文章力がないため、なんだか軽い表現になってしまいますが…」 と前置きされて「あの年の頃、私はあんな澄み切った表情でいられるかしら」 とおっしゃる満川さんの生きる姿勢に感激しました。

私がこの映画で、一番思ったことは、あそこに生きている餅つき職人の奥さん (体が悪くて寝てばかりいる)や、雨の中、 体の病みをだましだまし田圃にでていくおばあさんのような生き方ができるかな あの年になった時(満川さんの思いと奇しくも同じ)ということでした。 気負うことなく、愚痴をいうわけでなく、ユーモアを常に携えて生きているおばあさんたち。 「〜に何々されたんだ、されたんだ、されたんだ」と声だかにはいわないけど、 言うべき時には言うよ、という心持ちが彼女たちの表情からうかがえます。

自分自身の生活の場を持ち、自然の中で、体が痛くても 何か働こうとする姿勢にも心惹かれました。 その一方で、ポケッと観ていた私は、昭和電工の現場検証とか、 登場した人たちの体の不自由さのショットとか見逃してしまっている始末で、 私のようなぼんやりものにも分かるように、 説明か構成をして欲しいなという気持ちも持ちました。 映画は、テーマが分かっていて観にいく人ぱかりではないことへの配慮をもう少し、 作られた人にもってもらいたかったなと思いました。 また、ご一緒に良い映画を観て語り合いたいですね。

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