女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
24号 (January 1993)   pp. 14 -- 18

▼一九九二年 第五回東京国際映画祭

宮崎暁美

去年は女性映画週間に見たい作品がたくさんあったのに今年はあまりなかった。 ちょっと残念。特に日本の作品が脚本家だけだったのはほんとに残念。 でもシネフロント11月号によると、ベトナムやフィリピンなど 政治状況が不安定なところでも女性が監督として活躍しているということに刺激を受けて、 脚本家の重森孝子さんが、 「自分もやってみようという気持ちになっている。 現在進めている企画を来年一年かけて撮影し、 再来年のこの映画祭には監督として参加したい」と発言しているそうなので、 楽しみにしている。

またこの女性映画週間のプロデューサーを務めている高野悦子さんの 「外国から参加して下さった女性映画監督の人たちの姿が、 どんなに日本の映画にかかわる女性たちの刺激になっていることか」 という発言には共感できる。日本にももっと女性監督が出て欲しい。

てなわけで、今回は女性映画週間の作品は二つだけ見た。 ベトナムのヴィエット・リン監督による『旅まわりの一座』 とアンジェイ・ワイダ監督の『ヴィルコの娘たち』。 ほんとは『森の中の淑女たち』も見たかったのだけど、 公開予定と聞いていたし、けっきょく仕事が終わらなくてインターナショナル部門の 『籠民』を見た。また『カルナル』は去年のフィリピン映画祭で見ていた。 ほんとはクリスティーヌ・パスカル監督の『小さな王子さまが言った』 を見たかったのだけど、この日はどうしても『阮玲玉』を見たかったのでパスして、 この監督が出演した『ヴィルコの娘たち』を見た。 でもこれは私にとって好きな映画ではなかった。見なきゃよかった。

でも今年はアジア秀作映画週間にインターナショナル・コンペティションに出品してもおかしくない、 素晴らしい作品があった。 北朝鮮の映画『バード』だ。これは野鳥の渡りのことを軸にして、 南北に別れた家族のことを描いたすばらしい作品だった。

たくさん見たい作品はあったけど、けっきょく今年は七本しか見ることができなかった。 クロージングのセレモニーも見たかったのに、すぐに売り切れで見られなかった。残念。



インターナショナル・コンペティション
『ホワイト・バッジ』

韓国 一九九二年
監督 鄭智泳(チョン・ジヨン)
撮影 劉泳吉(ユ・ヨンギル)

韓国はベトナム戦争中(一九六四年〜一九七五年まで)同盟国アメリカのために、 延べ三十一万人余りもの兵士をベトナムに派兵したそうだ。 ベトナム戦争に韓国兵士が参加していたことは知っていたけど、 こんなにもたくさんだったとはびっくりした。

この映画はベトナム後遣症に悩む韓国の帰還兵を描いたものだ。

ベトナム戦争中の体験を文章にしようとする男が主人公なのだけど、 悪夢のような日々のことが去来し、なかなか筆が進まない。

韓国兵士はアメリカ兵士よりも残酷だ、とベトナム人から憎まれているという話を 聞いたことや読んだことがある。韓国の猛虎師団白馬師団など、 大変恐れられていたらしい。民間人を多数殺したり戦果の証拠として 殺した人の耳を切り取るとか読んだことがあるけどそんなこと信じられないと思っていたら、 この映画の中にもそんなシーンがでてきた。やっぱり本当だったのかな?。 でも石川文洋さんや本多勝一さんの従軍記の中にあった韓国軍の姿はそんな噂とは違う 礼儀正しい韓国軍兵士のことが書かれていた。

アメリカ映画が描くベトナム戦争物でも、ベトナム後遺症に悩む元兵士の姿を描いたものはあるけど、 韓国ではベトナム物は長い間タブーだったそうで、 韓国でこのテーマの映画は初めてだという。

主人公を演じるのは韓国のトップスター安聖基(アン・ソンギ)。 後遺症に悩む元兵士を好演していた。 私は彼がきっと最優秀男優賞を受賞すると思ったけど取れなかった。 でもこの作品は東京グランプリ(最優秀作品賞)と最優秀監督賞を受賞した。

作品上映前に監督の鄭智泳と主演の安聖基の舞台あいさつがあった。 その中で安聖基の「私もベトナム戦争に行きたかった」という発言に、 一瞬彼はベトナム戦争を肯定しているのかと思い、えっー!と思ったけど、 作品の内容を見てそうじゃないことを知った。 きっと通訳のしかたに問題があったのだろう。

朝鮮戦争後の民族分断の悲劇に苦しむ韓国が、 ベトナムでは民族分断に手を貸すという皮肉な歴史を浮かび上がらせていたし、 ベトナム戦争中、韓国軍にとって敵であった、北ベトナムの指導者ホーチミンの 「民族の独立と自由ほど尊いものはない」という言葉の精神が伝わってくる映画だった。

安聖基は大学でベトナム語を勉強したそうでベトナム語ができるらしい。この映画で、 自分のベトナム語が披露できるかと思っていたら、 ベトナム語をしゃべるシーンはなくて残念だったと言っていた。 ベトナム戦争中、アメリカは現地の民間人を通訳に雇っていたけど、 韓国は自前で通訳を養成したということが本多勝一さんの本にも載っていた。 彼もその要員になるはずだったのかもしれない。

戦争は憎しみを生むけど、愛も育てる。韓国兵士と恋に落ち結婚したベトナム女性もたくさんいたようだ。 韓国には今、ベトナム人との混血児がたくさんいるそうだ。しかし、 現地で結婚していたけど、戦争が終わると妻子は置いて韓国へ帰ってしまった兵士もけっこういるらしい。 別にやはり買売春による韓国人との混血児もベトナムに約二千人いると、 なにかのドキュメンタリー番組でやっていた。 アメリカ人との混血児は万単位ともいうから比べものにはならないが、 戦争は思わぬ落とし物をする。

太平洋戦争中の日本軍の落し子もアジア各地にたくさんいる。 実数はわからないけどフィリピンなどでは千人単位でいるらしい。 それとは別に、現地の女性と結婚して子供をもうけた人もけっこういるようだ。 やはり、戦争が終わったら現地の妻子は置いていってしまった例も多いと聞く。 五六年前に作られた幻のビルマ‐日本合作映画『にっぽんむすめ』を見にいった時、 ビルマの女性と結婚していたと元日本兵が言っていた。 毎日新聞発行の「サン写真新聞」復刻版昭和二一年によると 「戦時下の国際結婚、負け戦の夫の祖国へ来たインドネシアの女性たち」 のニュースで、復員船とともに日本に来たジャワ島からの戦争花嫁第一陣、 約九〇人のことが載っていた。 その後、日本にはどのくらいの戦争花嫁と呼ばれる人たちが来たのだろう。 そして、その人たちはいまどうしているのだろう。

今度はこんな題材の映画も見てみたい。




『籠民』(ロウミン)

香港 一九九二年
監督 ジェイコブ・C・L・チャン
脚本 ヤンク・ウォン(黄仁逵)
撮影 アーディ・ラム(林國華)

『籠民』とは一畳ほどの金網でできた、にわとり小屋のようなケージの二段ベッドで暮らす人たちのことである。 日本でいえば山谷ドヤ街の簡易宿泊所のようなところだろうか。

香港、九龍城で暮らす人々の人間模様と、開発の名のもとにここを追われた人々の姿を、 愛情を込めて描いている。群像コメディと見ても楽しい。楽しいけど悲しい映画だった。

九龍城の一画に住む住民と管理人親子の物語。その日暮しの貧しい生活を送る人たち。 だけど貧しいけど助けあって暮らしているかというとそうでもない。 鵜の目鷹の目で人の持ち物を狙っている。 いろいろなタイプのユニークな人間群像が展開される。まさに香港の縮図なのだろう。

立退要求が出るに至って、いかに金額を釣り上げてここを出ようかと模索する人がいる一方で、 もう年を取ってここを出ようにも出ることができない人たちがいる。 そんな中で、ここの住民は開発業者と対決姿勢を打ち出す。 けっきょく強制的に退去させられ、ケージのまま引っ張りだされるに至ってしまったけど、 深刻にならずコメディタッチで描かれていてほのぼのとした気持ちになった。

この作品のキャスティングがまたすばらしい! 香港映画人の多彩な面々が出演している。 映画を見終わったあと充足感が味わえる。



アジア秀作映画週間
『阮玲玉』

香港 一九九一年
監督 關錦鵬(スタンリー・クワン)
製作総指揮 何冠昌(レオナード・ホー)
      成龍(ジヤッキー・チェン)
製作 徐小明(ツイ・シュウミン)
原案 焦雄(ペギー・チュウ)

中国の映画雑誌を見ると、この一九三〇年代に上海で活躍した、伝説の女優、 阮玲玉の名前が時々出てくる。 だからずっと、どんな女優だったんだろうと気になっていた。 そしたら香港の映画雑誌に張曼玉(マギー・チャン)がその阮玲玉に扮した映画ができたと、 載っていて、ますます興味をもった。そして今年(一九九二年)のベルリン映画祭でマギーが、 この『阮玲玉』で主演女優賞を受賞したと知り、これはぜひとも見てみたいと思っていた。 だから東京国際映画祭での上映を心待ちにしていた。

私は阮玲玉がどんな映画に出演していたかも知らなかったし、 まだ二五歳の若さで自殺したことも知らなかった。パンフによると、 日本軍の侵攻に揺れる一九三〇年代の中国で、 その行動の一つ一つが人々の話題になる伝説的な女優だったらしい。 十六才でデビューし九年間で二九本 (入力者注)の映画に出演、 その人気絶頂の一九三五年にスキャンダルの標的になって自殺したそうだ。 その劇的な生涯のため伝説の女優と言われているらしい。 この映画では自殺に到る四〜五年を描いていた。

ドラマかと思ったらそれだけでなく、 俳優たちが自分たちの演じる役についてディスカッションする風景が出てきたり、 実際に阮玲玉を知る人々へのインタビューがあったり、 残存する玩玲玉が出演したフィルムが出てきたりと、 ごった煮的な彼女への讃歌といった感じだった。

マギー・チャンはこの映画で香港のトップ・スターになったなと思った。 ここ一〜二年日本でも彼女の出演した映画がずいぶん公開され、 すっかりお馴染みのマギーだけど、彼女は今までわりとおキャンな役が多かったと思う。 でもこの映画で風格が出てきたなと思った。 そして阮玲玉が主演した映画『新女性』の監督、蔡楚生(ツァイ・チューション)の役を 『ラマン』で、日本でもすっかり有名になった梁家輝(レオン・カーファイ)が演じている。 阮玲玉の自殺は、奇しくも『新女性』の主人公がたどったように、 同じ展開をすることになり、話題になったという。 『ラマン』ではあまり彼の良さが出ていないように思ったけど、 この映画では苦悩する監督の姿を演じていて良かったと思う。 ちなみに私は『西太后』を見た時皇帝の役の人、カッコいいなあと思っていたんだけど、 それが彼だったというのは大牟礼さんの彼を紹介する文で知った。 阮玲玉が最後、一緒に暮らした人の役をやったのは秦漢(チン・ハン)。 『レッドダスト』でもそうだったけど、なんかキザな役が多いな。 渋いって言えぱ渋いんだけど。その他、劉嘉玲(カリーナ・ラウ)や葉童(イップ・トン) など、豪華出演メンバーだった。

この映画の原案は焦雄屏、侯孝賢や楊徳昌など台湾のニューウェイブをバックアップした台湾の女性評論家だ。 最近大陸と香港、台湾を結ぶ映画が多い。体制は違っても中国人たちの連帯を感じる。

この映画を見て、阮玲玉が出演した映画を見たくなった。

入力者注:最近のニュースによると主演作の数は30だそうです。 http://news.searchina.ne.jp/2002/0919/entertainment_0919_001.shtml



『バード』

朝鮮民主主義人民共和国 一九九二年
監督 リム・チャンボン
脚本 キム・セリュン
撮影 カク・チョルサム

朝鮮戦争以後、北と南に別れて暮らすことになってしまった、 離散家族はどのくらいいるのだろう。この作品は北朝鮮の老鳥類学者を主人公として、 行方知れずになり南に暮らす、やはり鳥類学者の長男と再会するまでを描き、 離散家族の問題にせまっている。

この親子を結びつけるのに大きな役目を果たしたのは一羽のムクドリ、 そして日本の鳥類学者。 親子は日本で行なわれる鳥類学会で再会するというところでこの映画は終わっている。

それにしても北朝鮮の美しい自然が描かれ、圧巻である。 北朝鮮にはこんなにも豊かな自然が残っているのかと感動した。そして、 はまなすなどの植物や、白サギ、ゴイサギ、アカゲラ、丹頂鶴などの鳥が映し出され 日本と同じような生態系があるとびっくりした。

鳥を追っていったら軍事境界線にぶつかってしまったりして、 南北に別れてしまった国の現実に突き当たるつらいシーンもあった。

この映画のバックに流れていたのは「イムジン河」という曲。 とても効果的だった。フォークルの歌った歌詞を思い出した。 …………………………



国際女性映画週間
『旅まわりの一座』

ベトナム 一九八八年
監督 ヴエット・リン
脚本 ファム・トゥイ・ニャン
撮影 ディン・アイン・ズン

ベトナムには女性監督が二人いると「すばる」十月号でベトナムに取材した宮崎真子さんが書いている。 一人はハノイ在住のベテラン監督バック・ジェップさん。 六十年代から三十本以上の作品を撮っているそうだ。

そしてもう一人がこの映画の監督で、ホーチミン在住のヴェット・リンさん。 彼女はベトナム戦争中は民族解放戦線の兵士だったそうだ。 上映前に彼女が挨拶に立った時、凛としたものを感じたのも そのせいだったのかもしれない。水色のアオザイ姿(ベトナムの民族衣装) で語る姿は美しく、監督ではなく、まるで女優のようだった。 そしてこの映画は彼女が初めて撮った作品である。

時代はずいぶん昔のようだけど、かんばつに苦しむ、山岳民族の貧しい村に 旅まわりの一座がやってくる。何もない籠の中から米を出すという手品を、 村人たちは本当に魔法で出てくるのだと思い、働かなくなる。 一座と親しくなった少年は自分もそれをやってみようと真似をする。 しかし、しょせん手品で実体がないので出てこない。 座長はこの村に金が出ることに目をつけ、金と米を交換しようと 純朴な村人たちをだましていたわけだ。座長が村人たちをだましている事を知り、 それに苦しむ座員の女の人と少年とのほのぼのとした交流が描かれる。

痩せ細った村人たちの姿に、生きていくことはほんとに大変なんだと考えさせられる映画だった。 棚ボタ式には何も出てこない。 汗水流して働くことの大切さをこの映画は言っているんだろうけど、 教訓くささがないのが良い。山岳民族の純朴さと、 都会から来た座長のずるがしこさとの対比が面白かった。 けっきょく一座は村から追い出されるようなかたちで出ていく。

単純な物語なのだけど、ベトナムの山岳民族の生活の様子がうかがえたし、 高床式の家などやはりアジア全域にあるんだなと、 ドラマの進行に関係ない生活や習慣に興味を持った。 今までベトナムに抱いていた地形のイメージが変わった。 けっこう山岳地帯があるんだと、変なところで感心したりしてけっこう楽しめた。

般近の新聞にずっと抑圧されてきた山岳民族のことが載っていたけど、 この時代にはまだそんなじゃなかったのか。それともそういう内容は描けないのか。 知りたいところだ。

今年は東南アジア映画祭などで、ベトナム人の監督によるベトナム映画が随分上映された。 ベトナムを題材にした映画はだくさん描かれて来たけど、 今までアメリカなどが描いてきたのとは違う、 ベトナムに生きる人々の姿が映し出されていたなと思うし、 ベトナムの文化や人々の暮らしの様子が伝わってきた。 結婚式のシーンや廟の建物など、中国の影響をすごく受けている文化や習慣などもよくわかった。 たくさんの中国系ベトナム人がいるからかな。 あるいは千年にわたる中国からの侵略の歴史がある、と読んだことがあるから、 押しつけられたものかもしれない。 『姓はヴェト名はナム』の中でも儒教精神に抑圧されている女の人の姿が描かれていた。

コメディタッチのものもあったし、官僚主義を皮肉ったものもあった。 ベトナム人自身によるベトナムをもっと見てみたい。

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