昨年『女が一番似合う職業』という桃井かおりが『グロリア』ばりにハードボイルドす るというふれこみの映画があった。女のアクションという着眼点はよかった。女が銃をかまえる姿には男のそれとは全く違う意昧でのカタルシスがある。それは女にとって胸のすく光景である。だからこそ女のアクション映画に熱烈なる拍手を送るのは女の観客なのだ。 ところでこの『女が一番似合う職業』の桃井かおりに果たして女たちは拍手を送りたくなったのだろうか????? この映画での桃井の役どころは女刑事。つまり「女が一番似合う」というのは刑事らしい。女刑事、なかなかかっこいい響きである。ところが映画の中の彼女ときたら全然颯爽としていないし、あまりタフとも思えないし、女として共感できない部分があまりにも多いのだ。 例えば、彼女は夏だというのに修道女のように肌をかくす黒っぽい服を暑苦しく着込み、仕事で気弱になってついつい妻子もちの同僚にすがって泣きながらセックスしてしまったりする。 最近の映画で増えている女が主導権を握るセックスシーンには女の性を肯定する明るさがあり、見ていて気持ちいいものがある。ところがこの女刑事は、さみしさからかあるいはもっと別の感情の起伏を表現したかったのか、突然泣き出してすがるように男と寝てしまう。こういうかっこ悪いセックスはできれば見たくはないものだ。特に映画の中では…。 極めつけには凶悪犯の少年とも情交を結び、少年の子どもをみごもり風船のように膨らんだお腹をかかえて犯人である少年をおって全速力で走り回ってしまう。ちょっと待って、なんでこんなことになってしまったの、という唖然とした思いの中、映画はエンドクレジットを迎える。 映画『女が一番似合う職業』で桃井かおりが女である必然性は、実にこの大きなお腹をかかえて走るという点でしかないように思えた。ここには『グロリア』のジーナ・ローランズや『エイリアン2』のシガニー・ウィーバーや『ニキータ』のアンヌ・パリローが突き付けられたどたんばの決断と捨て身の切実さがない。それこそ女がアクションに駆り立てられる必然性であるのに。 かくして女のアクションは日本映画において敗北と終わってしまった、ように思う。なぜそうなったのかといえば、やはり今の日本映画が女に対して正しいアプローチがなされていないからではないだろうか。 映画の中で喋ったり、泣いたり、怒ったり、あるいは黙ったりする女たちに、見ている女が心底引き付けられるのでなければ「女が似合う映画」とはいえない。 女が心底引き付けられるような女がでてくる「女が似合う映画」をやはり見たいではないかというわけで、最近話題の日本映画をワイワイガヤガヤと料理してみた………。トークを読んだ読者のみなさんの御意見はいかがなものでしょうか。 |
女たちで ワイワイガヤガヤ… |
◆パッとしない斉藤由貴佐藤「小津の映画で原節子が鎌倉かなんかに住んでる未亡人でその娘の結婚を考えてやる中年の男たちという映画『彼岸花』を観たことがあるけどそれによく似てるんだ。原が現代版三田佳子で三田の方がもてちゃうのね。三田の生き方はなかなか魅力的だった。同時代のせいかしら」 大牟礼「いえ、やっぱり斉藤由貴はなんかね、パッとしない役だったですね」 佐藤「あら若い人がみてもそう? なんか主体性がないみたいな感じなのね」 地畑「もっとちゃっかりしてるとか、全部母親におまかせっていうね、そんな感じでもないし、なんか中途半端なのね」 出海「母娘の関係で観るとやっぱり三田佳子がとんちんかんだと思ったわ。リアリティがないでしょ」 佐藤「ないない、でもない風に演出してる面もあるんでしょうけど」 出海「冠婚葬祭に関するいろいろな本を買うのがはじまったでしょ」 佐藤「あれは、なんていうの現代版結婚マニュアルみたいで一番気にくわなかったわ。でも未亡人をめぐる三人の男、田中邦衛もいれると四人かな、彼等がよかったからまあまあだった」 大牟礼「そうそう、男の人がよかったですね」 佐藤「男三人の奥さんもリアリティがあったわ。三田のところに行くことがわかってても“いってらっしゃーい、バイバイ”なんて車の姿がみえなくなるまで見送るなんて人、いなそうで結構いるのよね。留袖買ってもらえるんだったらお仲人やってもいいわっていう奥さんもしらけてて面白かった」 出海「中年の会話は面白かったけど、男の子もよかった。みかけは細くてなよなよしてるけど、受け答えとか彼のセリフがすごく現代風だったわ」 大牟礼「ええ、私も彼はあの映画の中で役として生きていたと思う。だから同じように素人っぽいというかあんまり役者じゃないような女の子がくればよかったんだけど」 佐藤「だけど、斉藤由貴も素人っぽく、ねざとやってたじゃない」 出海「浮いてるのね。ほんとに子どもなのかわかっててとぼけてるのかよくわからないのね」 大牟礼「変にうますぎるのよね」 出海「新人連れてきてやった方がよかったんじゃない?」 大牟礼「牧瀬里穂みたいな子が…」 出海「ああ、ああいう感じがいいわね」 地畑「ようするに、斉藤由貴がミスキャストだったってことなの?」 大牟礼「ミスキャストっていうか…でもこれは最初から三田と斉藤でやろうって企画ではあったらしいんですけど」 出海「他がうまくできた割には斉藤由貴が浮いちゃったっていうのはキャスティングの問題になるわね」 地畑「ようするに他のところではリアリティが出ているのに由貴でだめになったと…彼女はあの年代にしてはリアリティのない子なのよね。浮いてるのね、斉藤由貴自身が…」 大牟礼「同世代にも、うけが悪い」 出海「悪いと思うわ。重もったるいんだか、軽いんだかわけわかんないのね」 大牟礼「だから女優として映画で出てくるといいんだけど、あの役にはちょっとという感じがしましたね」 ◆労働者なんて言葉は古い!!出海「トレンディな結婚ということをああいう風に描いたのだけど、若い世代のあなたたちが観てああいうのがトレンディな結婚観なのかしら」 大牟礼「ああいう結婚観というのはわかるような気がします」 地畑「森田監督は三高(高学歴、高収入、高身長)にこだわっている女の子が多いのを皮肉っているんじゃないですか」 大牟礼「でも口では三高なんて言っててもみんな実際は、なんとなく弾みで結婚しちゃって、親のためにいい結婚式でもして…っていうのが多いんじゃないんですか」 地畑「そうそう、私の友だちもみんなそんな風に結婚したわ」 大牟礼「それがいいとか悪いとかいうよりも割とみんなサバサバやっているんですよ」 佐藤「でもあの男の子にリアリティがあるっていったって、あの男の子も三高じゃないの。まあ、家は離別による欠損家庭だけれどね」 大牟礼「でも、あの男の子をエリートでなくしたら映画自体がみじめっぽくなっちゃうもの」 佐藤「そんなことないんじゃない。昔はエリートなんかじゃなくて労働者の息子とかの方がもてたのよ。私なんかあんなエリートな青ちょろい男みても全然魅力を感じないんだけど…中年の男たちの方が魅力あったわよね」 出海「若い人たちはどうなの? ああいう男の子が今は魅力なの?」 佐藤「エリートだけでもてるって感じの?」 出海「いえ、彼はエリートぶってないからもてるんじゃない。あれくらい腰が低くて安定感のある人はなんていったって今はもてるんだと思うわ」 地畑「好感度が高い」 佐藤「エリートならいいってわけ!(声を荒ら立てる)いい大学を出て、大会社に入ってるっていうだけで気分が悪いわよ」 出海「キャラクターがいいってことよ。彼がたとえばコーラを運んでいるおにいちゃんでも好感度があるってことなの」 大牟礼「でもそれだとTVドラマのありふれた話になちゃう」 地畑「ある程度クリーンなイメージをださなくちゃいけないんじゃないかと…」 佐藤「クリーンななによ」 大牟礼「今様な結婚を描いているわけで…」 佐藤「労働者とか貧乏な男では古いというのね」 地畑「今、労働者という言葉は古いんですよ」 出海「あんたの貧乏ってどういう男よ」 佐藤「つまり…労働者出身…よく(爆笑)大体あの男はエリート然としてて気にくわないの、安定してる感じっていうのも気にくわない」 ◆『おいしい結婚式』の題名にしてほしい大牟礼「ふつうよりもちょっと上の人の結婚ではあるけど普通の人が見ても、ああ上だなーとかああいいなーなんて別に思わない」 佐藤「今は昔かなわなかったからみたいな感じで派手な結婚式をしてるんじゃない、みっともない…バカバ力しいから式は豪華じゃなくていいんだと言ってるのはよかったと思うけど」 大牟礼「最後の華美でない自然のなかでのセレモニーをまああそこを一番みせたかったわけで…」 佐藤「だいたいあの若いふたり、一緒になってすぐわかれちゃうんじゃないかって思うわ」 出海「別れようがどうしようが、そんなこと関係ないって思っちゃうけど。あの斉藤由貴が奥さんになったらどうなっちゃうのかって思うわ」 佐藤「こんなこと女にやらせるのなんて、えらそうに自立してる女のようにいってる割にどうってことしてない」 大牟礼「普通の今の女の子はそういう風にいうわけ」 地畑「言う言う」 大牟礼「でも、それを言う斉藤由貴にリアリティがないから、浮いちゃう」 出海「家に帰っても存在感ないしね。三田の質屋の方が存在感があるわ」 佐藤「大体この映画、式がどうこうってことばっかりいってて結婚の中身の討論というかどういう家庭を作るのかなんてことがないのよ」 大牟礼「でも結論自体が結婚の仕方が結論なので、結婚にこぎつくまでのゴチャゴチャがテーマなのだから、他のことは関係がないわけなんですよ」 出海「結婚ってこういうものですってことくらい…なにも残らないのよ。山での式を最後にもっていきたかったのね。だったら、題も『おいしい結婚式』にすればよかったのにね(笑い) 地畑「森田監督は若い人に対して結婚は愛情が大事ということをいいたかったみたいですけど」 佐藤「かっこつけて、三田が娘は私に似て“愛を重んじているようです”とかいうシーンがあるけど、すごくパロディっぽくて笑ってしまう。三田と三人の中年男の絡みはよかったけど、若い人が浮いてしまった感じ…」 大牟礼「では、とりとめがありませんが今日はこのへんで終わりにさせていただきます」 |
『おいしい結婚』シネマメモ 三田の娘斉藤の結婚について三田の亡夫の親友の三人が三田と共に考えてあげるというお話。宣伝文句は「平成ニッポンの結婚事情を森田芳光がスルドく切る!」とのこと。 |
◆女の子たちがみんなきれいで・・・出海「みんなの意見、一致しておもしろかったのね。最近見た日本映画のなかでは」 地畑「すごく自然だった、女子校の雰囲気とか。女の子たちもきれいだったし」 出海「うーん、きれいだったわねー」 地畑「やっぱり、女の人をきれいに撮れないとダメなんですよね、映画監督は」 勝間「私は後から原作をみて、原作のマンガと結構ちがうなって」 (映画をみていないが、横でみんなの話しを聞いていた佐藤さん) 「えっ、マンガなの!?」 勝間「そう、原作の方がもっと本当の女子校生っていう感じで、男言葉しゃべる子とか出てきて、それが映画ではすごくかわい子ちゃんていう感じになってたり。ボーイフレンドの話しももっと露骨だったりかえって、あの原作からよくあの映画をつくったな、と思いました」 出海「つまり映画として成功しているのよ。なんで『死の棘』がだめなのかっていうと(一同「また〜」と笑う*注)、オリジナリティがないのよ」 大牟礼「『バタアシ金魚』なんかも、だから成功だったわけですよね」 出海「原作のスピリットっていうかがちゃんと生きているわけよ」 大牟礼「原作者の吉田秋生って女の子の感情をすごくうまくだす人で、例えば部長の子とつみきみほが、二人だけでしゃぺっていて「小学校のときとかわざと生理用のナプキンみつけてからかうような男子がいて、あたしそういうの絶対許せない。その子が大人になってどんなに偉い人になっても絶対に許さない」「そんなの一生許すことないよ」っていう場面ね。あの辺りとか吉田秋生のエッセンスがすごくよくでている」 地畑「あと部長がパーマかけたことで、なんかふっきれて、ちょっと不良っぽい子たちのことを、前はあまりよく思ってなかったけれど、解るようになるというか、うちとける。ほんとにちょっとしたことでぬけだせた、というのすごく判るのね。リアルだなあと思いましたね」 大牟礼「そのパーマをかけて出てくるシーンだけど、「(パーマが)似合わない?」「いいですよ、とっても」「昨日の夜やっちゃった」という会話をある評論家は“突然パーマをかけて登校して、昨晩「ボーイフレンドとやっちゃった」という部長は…”なんていっているのね。やるっていったらすぐセックスと結びつけちゃう、でもどう考えてもあのシチュエーションでセック
スがでてくるのはおかしい。 出海「私なんかは、やっぱり女子校でセーラー服で、世間一般の中にはセーラー服っていうと脱がして、犯してっていうシンボルみたいなところがあって、いろいろな映画の中でもそういう先入観で動いているところがあると思う。で、この映画にきて初めて本当のセーラー服の中身が描かれているな、と」 ◆女子高生と同じ視点地畑「監督の中原俊ってホント女心がわかるっていうか」 大牟礼「異性としてではなくて、同性として判ってるって感じ、この人、女になりたかったんじゃないかって思っちゃう」 出海「人間って、少なくともいいものを創るひとって両性もってなきゃ、ダメなのよ」 大牟礼「マッチョじゃダメ」 出海「ダメ、ダメ」 大牟礼「ヨーロッパ映画で『彼女たちの舞台』ってあったけれども、演劇学校の学生の女の子だけがでてくる。やはり監督と女優たちとが共謀してつくっている、という感じで」 出海「これなんかもまさにそれだと思う。2ヶ月間ずっと合宿して、彼女たちの世界ができて、それを引き出していった」 地畑「視点が違う。低い視点で、っていうのか、彼女たちと同じ視点なのね」 出海「あと、あの記念写真のところ、すごくよかったわ。二人で(部長の中島ひろ子と白島靖代)どんどんカメラに寄っていくところね」 地畑「う〜ん、あそこはよかった。それを耐えてるつみきみほも、賞とったけど、やっぱりよかった。あ一ゆーのあるのよね」 出海「レズビアンとは違うのね」 大牟礼「でも友情ではない」 出海「あれはね、他人への愛情ってあるでしょ、子供の愛から大人への愛への間なのよ。これから他人を愛するようになる入口っていうか。それをレズビアンっていう人がいるけど、でも違うのよ。 絶対に」 大牟礼「男にだってあるでしょ、そういうの。でも男はそのままホモセクシュアルになっちゃうじゃない」 出海「男は攻撃的だから、手をだしちゃうのよ。女は待つ方でしょ両方とも待っちゃうの」(笑) 佐藤「女は精神的なものとかが、すごく重要だしね」 地畑「男の人が回りにいたら、男の入の方にいくかもしれないけれど、自分しかなかった世界に、他人が入ってくる変わり目なのよね」 大牟礼「女子校の人が多いんだけど、共学の人はどうなの?」 勝間「やっぱりそういうのはないけど、男の子の方に目がいくから。でも私もあの部長さんがすごくステキだと思って、つみきみほの気持ちがすごくよく判った」 大牟礼「誰でも、だれかに感情移入ができるのね」 地畑「キャラクターもそれぞれリアリティーがあって、よかった」 大牟礼「で、彼女たちが反抗しているのは、学校っていうか、体制、つまり男のつくった仕組みなんだと思う」 地畑「嫌われている先生も男でね。すごい不気味な現われかた」 出海「スタイルから入ったものじゃないのよね。実から入っている構成がどうのというのじゃなくて、映画でしかできない世界を作りあげたのね」 佐藤「あら、みんなべタほめね。私の回りのおじいさんなんかは、なんで『櫻の園』なんてっていうのよ」 大牟礼「おじいさんじゃ無理よ。男であることとか、大人であることになんの疑問ももたない人には、ピンとこないという気がする」 地畑「みんな誰でも1回は通る道なのよね。大人にしたら、なんでパーマかけたぐらいでってなるかもしれないけれど、やっぱりそれがスゴイことである時期ってあるのね」 出海「まだ見ていない佐藤さんが、どういう感想をもつか楽しみね」 佐藤「絶対にみまーす」 *注 出海さんの『死の棘』に関する評は シネマジャーナル17号にでています |