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— まず、原作で一番ひかれたのは、どんなところですか。
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松岡 主人公のカオルとソノコが生きていると感じたんです。 ああいった話は現実にも虚構の世界にもいっぱいあるけれど、そういった中で、あの世代、 今の十代の男の子と女の子のあり方の一つとして、(世代は違うけれど)共感することができたんです。 あらかじめ、高校生を題材に、というようなことを考えていたわけではなく、 それは、この原作に出会って初めて感じたことです。
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— 映画の中にはプールが、かなり特別な場所として出てきますが。
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松岡 作品が完成して見たときに、結果としてそういった解釈ができるようにはなるんでしょうが、 僕自身にとっては、(プールは)特別な意味は持っていないので、 最初は特に意識してはいませんでした。 作品の中で唯一意識的に中心にもってきたのは、(カオルとソノコの)格闘シーンですが、 撮影中は、ある舞台にはなるだろう、という程の意識でした。
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— 緑や雲など、自然の風景がとても印象的にとらえられていますが、ロケはどちらで。
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松岡 八月をメインに。関東近郊をあちこち。自然は好きなんです。 僕の中に原風景としてあるのかも知れない。
雲は随分撮りました。最初からカメラマンと打ち合わせて、ハッとした瞬間は、 とりあえず、その時々で撮ってました。 例えぱ、撮影部が現場に先乗りしていて、僕が後から行ったら、もうカメラが回ってたんで、 びっくりしたら、それはカメラマンがハッとして撮っていたんです。 虹なんかも、偶然のものですし、すぐ消えてしまうから、撮る時はちょっと焦りましたが、 その頃は、撮影も順調にこなしてて、フットワークもかなり良くて、 あれ撮ろうっていう時に、よし撮ろうっていう雰囲気ができてましたから。軽い気持ちで。 きまぐれ、良くいえば、直感ですけど。
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— 脚本には、そういった部分は、どのあたりまで、書かれていたんでしょうか。
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松岡 虹のような、偶発的なものはシナリオには書けませんから。
シナリオは、一度人の動きを限定するまで細かく書き込んで、それを熟させて、 いらないところをそぎ落としていきました。(シナリオは)見取り図、 設計図ですから、書かなくても僕が頭の中でわかっていれぱいいことは削っていきました。 わりと幅をもたせて撮影に臨もうとはしましたけど、限定しとかなくちゃいけないこともありますし、 場面によって撮り方も変わってきますが、シナリオ自体を現場で変えるということはなかったです。
今の若い人達のしゃべりとか、そういうものをうまく出してるというふうに、 どこかに書かれたりもしましたが、あの登場人物は、全部純粋に僕の頭の中で創りだした、 僕のイメージです。
台詞も、現実の生活の中で使っているような言葉は意識して排除しました。 あれは物語を語ったり、その時の気分を想定した台詞で、映画としてのリアリティですから、 今の十代の現実からは離れていて、俳優さんたちにとっては、 やはり架空の世界を演じていたことになるんじゃないかな。 僕としては、俳優さんたちに合わせたという覚えはないです。 あまりくどくど説明もしませんでしたから、 彼らも意味がわからなくて不満気な顔をしてた時もありますが、 言葉で説明したところで実感としてどれだけ伝わるかということもありますし。 ただ、何だかわからないけど、 未知の世界を演じるという魅力は俳優さんたちの側にもあったんじゃないかとは思います。
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— この映画の中で、カオルの周囲にいて、物語の重要な展開に関わってくるのは女性ばかりですが。
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松岡 彼は女性に好かれると思ったんです。ああいう無軌道というか、メデタイというか、 脳天気というか、そういう(カオルの)言動は、女性の方が理解してくれると。 男の方は、よくあるモラルとかに囚われていて、女の方がカオルを直視している、 という関係性があると思います。
僕自身は、男の友情っていうのも好きなんですが、自分の中に二極あるというか、 マザコンという面もあって、カオルイコール僕ではないけど、自分の生み出したものですから、 (自分の)体質というか、自然に滲み出たものがあるんじゃないでしょうか。
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— ヒロインが過食性になったり、病的な部分もあるのに、観終わって暗い印象はありませんね。
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松岡 (『バタアシ金魚』は)僕の作品では、初めてのハッピーエンドなんです。 今までは、うまくいかない話ばかり撮ってたから、根は暗い方だと思いますが、だからこそ、 もう少し前向きになりたいと。そういう願いを込めて作った部分はあります。 暗さを作り手の技量とかで表現するということには、 慎重にならなくてはいけないんじゃないかとも思ってますし。 映画作りって、その前に、自分の現実がありますから、実人生とは違うけれど、 嘘の中にも自分を入れたいんだろうな、きっと。
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— 映画を撮るようになったきっかけを伺いたいのですが。 影響を受けた作品などはありますか。
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松岡 映画を観て、映画を撮ろうとは思いませんでしたよ。全然違うものですからね。 映画は人並みに好きでしたけど、マニアでもなく、映画に対して早熟でもありませんでした。
写真を撮りたくて、カメラが欲しくなったり、音楽が聞きたくて、 ステレオが欲しくなったりするのと同じような気持ちで、僕は何を思ったか、 (親に)8ミリカメラ(が欲しい)、と宣言した。高校一年位の時かな。 で、手に入れたのはいいけど、しばらくは、どうしていいのかわからなかったという記憶があります。 つまり、自分がそれまで観てきた映画とのギャップが大きくて、これで何を撮れば、 あの映画になるのかって。ただ撮ってれば楽しいというのでもないし。 そこで、初めて〈ストーリー〉という発想が出てきたんです。 とりあえずの手だてとして、非常に狭い身の回りの題材を撮ろうと思ったわけですが、 それもほんとに最初はおもしろくなくて、カット割りも覚えようとしなかったし、 同録なんて当り前と思ってたし、編集機もなしで切って貼ってた時もありました。 お金かかるし、面倒くさいし、思ったようにはいかないし、遊びとしては最悪です。
それが、そのうち、自分の撮った絵が、(自分の)イメージしたのとは違うけど、 不思議に面白いと感じたり、映像の中で息づいているものをだんだんと感じとるようになった。 それは、何気ない会話をする二人の呼吸だとか、その後にポンと実景をもってきたら、 それがただの山なのに、妙に(こちらの心に)しみてくるものがあったりとか、そういう、 映像の中で息づいているものの雰囲気がわかるようになってきたんじゃないかな。 何だかわからないけど、何なんだろうなあと思って観ていて、後で、そうか、 あれは、あの時少し気付いていたのか、というようなことがしばしばあって、 そうやって何かをつかんでいったんじゃないかと…。
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— この『バタアシ金魚』を撮ることになったきっかけは?
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松岡 この映画のプロデューサーの方が、僕の前の作品を観ていてくれて、 この企画に僕が合うということで、話がきたんです。
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— スタッフは、ご自分で選ばれたのですか。
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松岡 撮影の笠松(則通)さんだけ、僕の指名です。 僕が大学一年の時に助監督をやった『爆裂都市』(82年/石井聰互監督) の時の仕事ぶりがとても印象的だったので、笠松さんとやりたいという気持ちが強かったんです。
笠松さんは、僕の前の作品を観て、僕のなかにある撮りたいものに対する欲求を、 言葉ではなくわかってくれていたので、いいものが撮れたんだと思います。
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— 最後に、今後の映画づくりについて、お聞きしたいのですが。
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松岡 今、僕らがいる時代ってのは、ロマンを感じてそれを求めても、1分後には結果がわかってしまって、 それで何もできない、という現実が取り巻いていて、気分的には爽快ではないと思う。 そのしんどさをしっかりと認識しつつも、爽快でありたいという思いを描けたらなと思います。
優れた映画って、暗くて重い題材を扱っていても、どこか軽妙だったり、逆に非常に楽天的な、 おもしろおかしい映画の中にも、すごく身にしみてじんとくるものがあったりしますからね。 観ていて滲みでてくるような味のあるものをやりたいです。 映画っていうのは、手作りだから、その時の気分が作品にはっきり表われるんで、 愛情がないとだめですね。 そして、作ろうという元気さを持続させる為にも、一人の力には限界があるから、 どんな人とめぐり会えるかも非常に重要だと思います。
その時々の自分が生きていたんだというのが表れている作品は恋しいです。
(R. 小川)