さど・じゅん 映画のポスターを横目で見ながら仕事へと急ぐ。(又々見逃しそう…) 新聞の映画案内欄が、おいでおいでしている。 (でも, 東京遠いしなあ…)そんな、こんなで、あんまり映画みてないのであります。 シネマジャーナルがなんだか遠いなあと、勝手に寂しがっていましたら、今回、 標記のタイトルで、文を書く機会を手にすることができました。感謝、感謝。 とは言っても、『上海映画事情』の大牟礼さんと違って、 私はちっとも中国の映画通ではありません。『古井戸』は見ましたが、 『芙蓉鎮』も『赤いコーリャン』も見ていないのです。 「第五世代」という言葉も、へ、へ、へ、と笑ってごまかすくらい、 とんと知らなかったのであります。それなのに、なぜ、なぜ?当然の疑問ですね。 孫自強??『芙蓉鎮』の監督の助手です。一九六四年生まれの中国人。 孫さんは、今、私の仕事場である日本語学校の生徒です。 これはいい機会とばかりに話を伺ってみることにしたのです。 まず、孫さんのプロフィールです。 なぜ日本へ、という問いに、孫さんは次のように答えました。 ??映画制作会社にいる限り、会社の方針のものしか作れません。 独立して会社を作りたいです。独立プロを作るのは簡単ではありません。 というよりとても難しいのが現状です。 みなさんご存じの六月四日の事件でますます難しくなりました。 でも、日本で記録映画の勉強を続けて、独立プロの夢をいつか実現したいのです。 ??今、週一回、六本木の記録映画センターに通っています。独立して、 中国内の少数民族の記録映画をとりたいとずっと考えています。 孫さんは日本語をはじめたばかり、この私は中国語はてんでだめ、という訳で、 中国語ペラペラの私の上司に通訳を頼みました。 映画通でもなく、制作の裏側にも暗く、ましてや言葉を人に借りて、 ではこれはもうムボーというより他ありません。 そこんところをご理解の上、引き続きお読み下さいね。 中国では、映画がどの様に作られ、どの様にして人々の元に届くのかを尋ねてみました。 映画制作所は、シナリオを監督に手渡し、制作を命じます。 陳凱歌、張芸謀などの一流の監督になると、ある程度、制作上の自由が与えられますが、 ほとんどの場合は、会社の方針通りに作っていくそうです。 できあがると会社のトップが編集します。 編集後、永田町にあたる中南海にまわされます。 つぎは、中央廣播電影電視部(廣播は放送、電影は映画、電視はテレビ。 日本の映倫です)で、ここが終わると、中国映画発行公司にいきます。 これは映画の配給会社で、中国には一社しかなく、ここをパスしないと、 作品は永久に一般公開されることなくボツになってしまうそうです。 日の目をみた映画は映画館で上映されるわけですが、 一回の料金は〇.五?〇.八元(平均月収は一二〇元だそうです)。 日本では映画代が高い、と孫さんが溜め息まじりに言ってました。 ポーランドのワイダ監督を知っていますか、と聞いたら、 知らないという返事がかえってきました。 中国ではポーランドの映画はまず見られないそうです。そこで、 外国の映画はどの様にしてはいっていくのかを質問しました。 ??主に日本やアメリカの映画が入ってきますが、外貨の問題もあって、直接、 買い付けに出向くことはほとんどありません。買うのは香港でです。 ??外国の作品がそのまま上映されることはまずありません。カットされるのは、 政治的なものだけでなく、同じくらいの比重で性的なものも対象とされます。 孫さんが感銘を受けた日本の監督および作品は 最後に、孫さんがみた中国、日本、 それに他の国の映画で印象に残ったものを選んでいただきました。
孫さんはヘビースモーカー。通訳して下さった私の上司もスモーカー。 煙の中で、話しはつきないようでしたが、またの機会にということで終わりにしました。 出海さん、今度一緒にお話できるといいですね。 日本語学校には、映画評論家を夢みていたという韓国の若者もいます。 また、話を聞いて、シネマジャーナルの仲間をつづけようとおもいます。 よろしくっ! |