女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
10号 (1989.04)  pp. 41 -- 42

上海映画事情・其の3

R. 大牟礼

とにかく映画館にあししげく通わないことには、情報も何も得られない。 という訳で一月は、宿舎から程近い住宅街の交差点にある近代的な四平電影院(映画館) に小まめに自転車を走らせることにした。

料金は○・九元ほどだが物によっては見る直前では売り切れてしまう。 しかしダフ屋というやつが必ず出ていて二倍ぐらいで当日券を売っている。 場合によってはダフ屋でも一元位で売ってたりする。 はっきり言ってせこい商売なのだ。


一月の四平電影院の上映映画は以下の通り

  一日〜七日 暴風勇士
日本/日活映画『嵐の勇者たち』/客の反応、まあまあ
  八日〜一四日 無敵小子
香港/『小林寺』のリーリェンチェ監督主演の三流アクション映画。 中国人は結構喜んでいた。
  一五日〜二六日 存暗殺名単上(暗殺名簿)
中国/福建映画製作所/二時間ドラマクラスのサスペンス
  二七日〜三一日 英雄的苦悩
ソ連

一五日〜二六日の間は時間帯により『揺滾青年』(彩色歌舞片)を上映するという。 『盗馬賊』の田荘荘が監督だというので是非とも見なくてはと足を運ぶと 上映映画が勝ってに変わっている。(こうゆう事はよくあること) しかたなく日を改め別の映画館へ行く。

買い物客で賑わう、四川北路の入口にある永安電影院は三階がディスコになっていて、 比較的若者の多い映画館だ。一番高い席は二階席で、一・五元もする。 ところが行ってびっくり、何と二階というのはアベック用で、 ゆったりとしたソファのような二人掛の座席が並んでいる。 女の子二人で行ってしまった私たちはちょっと場違いさんだ。 でも、一人で行かなくてよかった。これで一・五元は安い!


さて本題の映画のほうだが、監督の田荘荘は、中国のニューウェイヴ、 「第五世代」の作家で最も注目されている一人、海外での評価も高い。 日本では、一昨年の中国映画際で『盗馬賊』が上映されている。

盗馬賊』では、人間が生きることすらも拒絶するかのような苛酷なチベットの自然と 一人の馬泥棒の受難劇ともいえる悲劇をドキュメントタッチのカメラが淡々と追った。 ドラマチックな展開を排した画面は格調高く、詩的で美しかった。 忘れられない映画の一つだ。

今回の『揺滾青年』は『盗馬賊』の静とは対照的に彩色歌舞片のサブタイトルのとおり 歌あり踊りありの映画なのだ。

一人のダンサーが、恋人との別れ、踊りでの成功、パトロンとの衝突、 オートバイにかける友人との交流、自由に生きる少女との出会いなどを通して 最後に自分の場所をみつけるという話し。

これといった話の展開を観客に説明するでも無く相変わらず淡々としたカメラが 主人公の青年の日常を追う。 台詞は、時に独り言のようでもあり、対話にあっても常に 自分に向けて発せられる言葉のように聞こえる。 (ここら辺は中国語が聞き取れないので細かいニュアンスが解らない) 日常の合間に人工的なダンスシーンが対照的に挿入される。 中国へのしなやかな肉体は一見の価値あり。 主人公の青津と恋人とのダンスのシーンが美しい。


盗馬賊』から一転して、ダンスやオートバイなど盛り沢山なので、 私などは大衆受けを狙ったのかな、などと思っていると、 当の中国人は解っているんだかいないんだかはっきりしない反応だ。 一緒に行った子にも「何だかわかんない」と言われて、気が抜けてしまった。 いわゆる解りやすい映画というのではないらしい、 かといって解りづらい映画だったりもしない。

ベルリンで賞を取った『紅いコーリャン』などは昨年夏頃、 中国内でも爆発的なヒットになったそうだが、 田荘荘と観客の間には微妙にずれがあるように思える。このずれは監督自身が、 あるいは意図的に作っているのかもしれない。

普通私たちが中国映画を見るときそこに必ず中国を期待してみる。 『芙蓉鎮』にしても『古井戸』にしても、第五世代と呼ばれる『黄色い大地』 の陳凱歌にしても中国人であることはあまりにも重要なことだ。 誰もが中国人であるがゆえに悩み、その悩みゆえに共感を呼ぶ。 ほんの数ヶ月上海に暮らしただけの私でも、 中国人というのは確かに随分厄介なものだなあ、とつくづく思うことがある。

私の知るかぎりでは、田荘荘はそこのところを敢えて避けて通っている唯一の作家だ。 『揺滾青年』の女実業家のオフィスや最後に主人公が行きつく少女の部屋は おおよそ中国の現実ではない。彼の悩みもまた中国人であるがゆえ、のものではない。 『盗馬賊』を見たときも、本当に中国人がつくったのかな、と思ったのを憶えている。 彼の追う主題は人間そのもの生そのものの謎に迫っているように思えてならない。 しかし敢えて問題提起をしたりはしない。

いずれにしても彼は、中国映画界の中にあって非常にユニークな存在なのだ。 そしてそれゆえに重要な作家であることに変わりはない。

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